太田述正コラム#2998(2008.12.27)
<皆さんとディスカッション(続x349)>
<遠江人>
≫当時は政治介入してたのですからね、現実に。東条英機は当時天皇がとことん反対したらそれは聞くしかないって言ってます。≪(コラム#2997。michisuzu)
それは東条がいつどこで言った言葉か分かりませんが(東京裁判等、時と場所によって信憑性が変わってくるので)、しかし仮にそうだったとしても、それは天皇が実際に政治介入していたのかどうかとは関係がありません。実際に権限を行使して政治介入していたというお立場なら実例を挙げてみてください。
それと私がお聞きしたのは、天皇が自発的に政治介入することにmichisuzuさん個人は是とするのか、ということです。
私の興味は、天皇の政治介入を是とする人間の語る民主主義とは何か、その自己矛盾とも言える言説にあります。
≫大混乱したでしょうがその結果至極まともな民主主義が芽生えたと確信します。≪(同上)
私は、そんな確たる根拠も無いことのために自決するような無責任な天皇より、国民の命を守るという地に足の付いた決断をした天皇を支持しますけどね。
政治介入を控え続けてきた天皇にとって、敗戦という状況により否応無く国を左右する選択をしなければならない立場に置かれた時、自分が死ぬことで多くの国民が死ぬことが分かっているのなら、生き延びたという汚名(私はそう思いませんが)を被っても(後で国民の一部から死んで責任を取らなかったじゃないかと言われることも込みで)日本国民の生命のために生きることを選択したことはそんなに悪いことでしょうか。それくらいは忖度できやしませんか?
それにしても、天皇の「戦争責任」を問う暇があったら何故アメリカの戦争責任を問わないのでしょう。内向ばかりしていても真の原因に向き合わない限り、病気は治りませんよ?
それと、michisuzuさんのいう至極まともな民主主義とは何でしょう?日本はフランスやアメリカのように君主制を「克服」した裸の民主主義になるべきだということでしょうか。多くの国民の命を犠牲にしても手に入れるべきと言う以上、相応の根拠があるのだと思いますが、まさか共産主義革命のような演繹的な考えだけで言ってないですよ・・・ね?
・・・
それにしても天皇家が今まで存在してきた意義や意味を問うという根源的な疑問が訴状に上っているにも関わらず、読者の中にもいるはずの保守派や伝統文化を重要視する方々から何のコメントも無いのはどういうことでしょう。
やはり「左」>「右」ということなんでしょうか。
<唯我独尊>
michisuzuさん、遠江人さん両人の見解は、共に説得力があります。とくにmichisuzuさんの次の箇所は「そうあって欲しかった」という希望はあります。
≫昭和天皇が自決していたら日本のトップの不祥事に対する姿勢も何かをするときの基準がもっと崇高になったであろうことに対して残念です。≪(コラム#2997。michisuzu)
しかしながら、「・・・していたら」という過去の繰り言であり、将来にも反映されないと思われるので空しい気持ちです。
≫昭和天皇のためにと思って死んだ人なんてほとんどいなかったと承知しています。≪(コラム#2997。太田)
戦後間もない頃ですが、訪れた農家には、かならずといっていいほど昭和天皇皇后両陛下の写真がありました。子供さんを戦争で亡くされた親御さんもおられたことでしょう。また陛下は終戦直後に全国を回られましたが、そのときの記録映画では民衆から大歓迎を受けていたようでした。これらと戦場で亡くなられた時の兵士の気持ちは関係ないのでしょうか。
<太田>
michisuzuちゃん、唯我独尊さん、先の大戦において、日本軍人がその最期に臨んだ時のありのままの姿を直視しましょう。
「わが妻、静江へ。
何も言い残すことはない。君と結婚して十七年がたった。幸せな思い出に満ちた十七年だった。来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。君に何とか恩返しをしたかった。感謝の気持ちでいっぱいだ。私のぶんも子どもたちを可愛がってほしい。今後、日本は本当に困難な時期を迎えるだろう。日本は、あらゆる勇気を奮い起こして困難を乗り越えねばならない。父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり、彼らを強く、廉直な日本人に育ててくれ。健、正、康 へ。強い正直な日本人になってくれ。将来の日本を担ってほしい。兄弟どうし、互いに協力しあい、全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。これまで過ごした年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。体を大切にして、末永く充実した人生を送ってほしい。
和美より」(サイパン戦従軍将校の日記、最終ページから)
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=212212X
「日本はもう防波堤のない状態になっていました。アメリカはいつでも日本本土に上陸できる。もし本土で陸上戦闘になれば、日本の国民も国土も文化も全てが失われると思いました。人間魚雷の一言で、これこそアメリカの上陸を阻止しなければと思いました。我々は命を失わなければならないが、その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。それができるなら命は惜しくないと、その瞬間に悟りました。」
「戦後の世の中は本当に便利になりました。しかし同時に昔の日本の良さがどんどん消えてしまったように思います。多くの人に尽くすのが尊いと考えず、自分さえよければと思っている。そういう国は滅ぶと私は思っています。私は回天は非人道的どころか、人道的な兵器と思っています。一人の身を捨て、その代わりにたくさんの人を助ける本当の意味での人道的な兵器だと思うのです。回天に限らず特攻隊員は皆、とにかく日本人をこの地上に残したい、その為に自分の命は投げ出してもよいと納得した上での捨て身だった。そういう多くの人に尽くす人を評価し、敬わなかったら、誰が人に尽くすようになりますか」
・・・<昭和>19年9月に回天基地に配属され20年には第二回天隊隊長に就き八丈島で終戦を迎えた小灘利春さんの「特攻最後の証言」・・・
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/2008-06.html
・・・特攻隊員は、そのほとんどが最後の無電で「お母さん」と叫んで突っ込んでいったという。
本心は死にたくなかった。だが、公の言葉を大事にして自らを犠牲にしたのだ。
だがその最後の言葉が「天皇陛下万歳」ではないのは、人間として当然のことに思える。
彼らは・・・「愛する親や家族を守るために」死んでいったのである。・・・
http://landinggear.hp.infoseek.co.jp/kamikaze/pilot-mental.htm
<さるべーじ>
太田総理見ましたが、発言時間が10秒くらいでした。
もっとじっくりお話を聞きたかったのに残念。
<太田>
ぜひ、文化放送や「桜」TVでの私の発言(アクセス方法はコラム#2997)をご参照ください。
ところで、「太田総理・・」で日テレがカットしたところの、私の「年金も食糧管理も始まったのは戦時中だし、戦間期のドイツで高速道路の建設が始まったのは、兵站路の確保や臨時滑走路の確保の目的もあった」との発言に対し、テリー伊藤が「そんな古い話は関係ない」との合いの手を入れた、というやりとりに関連し、米国の高速道路建設がどのように始まったかについての記事をご紹介しておきます。
・・・Another impetus for the massive・・・modern, four-lane, limited-access highway・・・・・・project was that・・・president ・・・Eisenhower・・・knew firsthand the need for better roads. As a young lieutenant colonel, he traveled in 1919 over the Lincoln Highway in the Army’s first transcontinental caravan, a journey that lasted 62 days and sometimes required oxen to pull the trucks through mires of mud. Eisenhower called it a trip “through darkest America in truck and tank.” A quarter of a century later, a ride over Adolf Hitler’s autobahn showed the general how highways might serve the defense of a nation.・・・
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-lewis26-2008dec26,0,3617385,print.story
(12月27日アクセス)
このことに初めて私が気付いたのは、1980年に防衛庁の仕事でハワイに行った時です。
オアフ島の観光地図を眺めていて、同島の高速道路がまだ整備中であったところ、米軍の各基地(太平洋軍司令部、バーバスポイント海軍航空基地、パールハーバー、ヒッカム空軍航空基地、海兵隊基地、等)の間が優先的に整備されていることに気付いたのです。ハワイ経済にとってドル箱の主要観光地の間はまだ高速道路で結ばれていないことにびっくりしたことを今でもはっきり覚えています。
<マソン>
<太田さんが出演された「桜」の番組の中で、>国体とは何かという話で、潮さんが小林秀雄を引用していましたが、国体をいわく言いがたいものというのでは、説明を放棄しているのと同じことですよね。
建国して200年かそこらの国に、日本のことを理解できるはずがないというような意見もありましたが、どうしても理解してもらわないといけないと思いますし、日本は説明を尽くす義務があると思います。
言葉で正確にこれと言い表せないにしても、ギリギリそれに近いところまで説明する最大限の努力をしなければいけません。
その意味で、太田さんが、十七条憲法や五箇条の御誓文を引き合いに出されているのは、その第一歩だと思います。
さらに発展するために、私は佐倉哲さんの「和の思想と個人主義―国家政治の基本思想―」という論文が役に立つのではないかと思います。
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/wa_and_kojin.html
佐倉さんは、多分ネット世界でだけしか有名ではありませんが、太田さんに対するのと同じく、「なぜ第一線で活躍されていないのだろう・・・」と疑問に思うような説得力のある論文を書かれています。ぜひ読んでみてください。
ただ、読んでおられない前にいうのはおかしいのですが、最後の結論部分にはちょっと疑問がつきます。
佐倉さんは日本に民主主義=人民による政治が確立していないとしているからです。
太田さんは戦前から日本は民主主義国だったとおっしゃいますし、田舎に住む私の感覚としても、そうだっただろうと思うからです。
私の住む村では、一年を通して自治会館での集会が何十回もあり、神事や仏事での集まりも、お寺や神社、個人宅、旅行などで何度もあります。そうした中で、いろいろな当番を決めて自分たちの村を治め、要求をまとめて助成金を申請したりなど上に通していくことは日常的に行われています。それは戦後に始まった習慣ではなく、昔からある自治の習慣です。それを民主主義というのではないでしょうか。
チャンネル桜の最後の、日本の独立が、松村さんのいわれるように、血を流して達成されるものなのか、太田さんのいわれるように、意識を変えることで達成されるものかについてですが、太田さんのおっしゃることは間違っていないとは思います。
ただ、日本人がたくさん血を流すような悲惨な目に遭わないと、「米国から独立しなければいけない」と意識を変えることができないかもしれないということかもしれません。
とはいえ、諦めないで、血を流さない独立を目指したいものですね。
<太田>
ひょっとしてあなたですか?
あなたならよくご存じでしょうが、「日本の民主主義の源も江戸時代」シリーズ(コラム#1607、1608、1610、1613)やコラム#1600、1609等で、日本の自由民主主義的伝統を説明したところです。
また、佐倉氏のご紹介をいただき、ありがとうござます。
まだ、氏の所説は読んでおりませんが、恐らく、(和辻哲郎言うところの)日本の人間(じんかん)主義(コラム#113、1157のQ&A、等)のことを書いておられるのでしょう。
こういったことは、考えて見ればみんな我々の常識に属する部類の話であるにもかかわらず、我々の目が曇らされているために、日本人「識者」による非常識な所説が現在の日本で流布している、ということだと思います。
<アマゾン・カスタマー>(2008.12.13)(http://knezon.knecht.jp/item/4535583099)
2001年に上梓された本書<『防衛庁再生宣言』>は、およそ政治に関心のある有権者なら読んでおくべき一冊である。
内容は単なる防衛庁・自衛隊の内実批判や改革構想にとどまらず、 戦争と民主主義、シビリアンコントロール、軍事支出の経済効果英米(アングロサクソン)と日本、吉田茂(吉田ドクトリン)の過ち、と非常に読み応えのあるものとなっている。
(特に防大や自衛官像に関する記述が興味深かった。)
防衛省(旧防衛庁)・自衛隊の不祥事が頻発している昨今だが(個人的には、繰り返される機密データの外部流出等、その情報管理の杜撰さに衝撃を受けたものだ)、本書を読めば起こるべくして起こったことであるとごく自然に納得できるだろう。
筆者の太田氏は、日本が自ら米国の属国でいることを選択し続けた結果、属国の政治家(国民もまた)は外交や安全保障のセンスを失い、政治は矮小化した。その毒は現在官僚組織に至り、日本国家の閉塞の元凶となっていると主張している。
誠に頷ける話ではないか。
国籍法改正や人権擁護法、外国人参政権にまつわる、治安や安全保障上の懸念(それは既存マスメディアではほとんど報道されず、主にネット上の議論で指摘された)に関する与野党の政治家の対応は一部を除いて、うっかり具合にもほどがあるお粗末ぶりであった。
以上の諸法案に限らず、国家主権を巡る諸外国対応についても、売国的と称されても仕方のない政治家・官僚の跳梁跋扈ぶりは、まさに属国日本に相応しく、諸外国の走狗となる買弁勢力が大手を振っている現状を見事に説明できる。
太田氏の与党批判は正論だが、歴代野党の責任もまた与党と等しく、厳しく追及されなければなるまいと思う。
正気とは思えないお花畑ぶり、反政府ならぬ反日の常軌を逸した主張を鑑みれば、過去の日本国民は止むを得ない選択を続けてきたのではないか。
最後に、既存マスコミの諸氏にも本書を強くおすすめするものである。
<太田>
最初の拙著について、初めてまともな書評を書いていただき、遅ればせながら感謝申し上げます。
なお、下掲のフォームで『防衛庁再生宣言』を購入できますよ。
1,000円プラス宅急便代がかかります。
http://www.ohtan.net/book/
<Emmanuel Chanel>(2007.3.7)(http://biglizards.net/blog/archives/2007/03/dishonest_abe.html)
・・・Certainly, I said that Japan in WW II was democratic by seeing 太田述正コラム .(You can see his view on Not bowing to pressure from Guardian Unlimited
<http://www.guardian.co.uk/news/blog/2005/oct/17/post18(小泉首相の靖国参拝についての記事(太田))>
🙂 It’s rather some Anglo-American historians’ views than our right-wingers’ accepted. His source was Gordon M. Berger, Parties out of Power in Japan 1931-1941, Princeton University Press 1977). Christopher Thorne, a British historian says that fascists in Asia were rather Chiakng Kai-shek’s Nationalist China than Japan.(“The Issue of War”) Even I, can point that we elected about 50 representatives against the government in the war. And Tojo had to resign because of dissension in his cabinet. It’s by the rule of our constitution. It’s just that you don’t know.・・・
<太田>
私の所説等を英文で世界に向けて発信している日本人がおられるのですね。
心から敬意を表します。
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太田述正コラム#2998(2008.12.27)
<ソマリアの海賊とドイツ(その1)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x349)
- 公開日:
>とくにmichisuzuさんの次の箇所は「そうあって欲しかった」という希望はあります。
>≫昭和天皇が自決していたら日本のトップの不祥事に対する姿勢も何かをするときの基準がもっと崇高になったであろうことに対して残念です。≪(コラム#2997。michisuzu)
政治権限も無く政治介入も控え続けてきた「お飾り」の天皇を捉まえて、何故「政治介入」して戦争を止めようとしなかったのかと後から都合よく言ってみたり、俺たちが腑抜けになったのは、あんたが(戦争を始めた責任も遂行責任も無いにも関わらず)「責任」を取って死ななかったからだ、お飾りでも何でもあんたが「責任」を取って死んでいれば俺たちは違っていたんだ、と何が何でも「自分」(と「米国」)以外のせいにして何か?という顔をしている人間を目の当たりにしたらどう思いますか?
そんな人は、何でも他人のせいにして自分の醜さと向き合いたくないだけ、だと思いませんか?
それにしても、なんで私が保守派の代弁のような投稿をせにゃならんのでしょうか。
私がいっているのは天皇の責任のことよと思われる前にまず・・・・太平洋戦争開戦責任〔開戦阻止の是非〕については、太田さんの共著者、兵頭二十八氏の盟友?であり軍事史研究家である別宮暖朗氏の『誰が太平洋戦争を始めたか』〔ちくま文庫2008年8月〕をぜひ読んで下さい。
2~3日前に放送された、偽右翼?愛国雑誌『諸君』の常連、保阪正康監修になるTBSの番組とか信じちゃいけません〔笑〕。
昭和16年、9月6日の御前会議、〔対米〕戦争準備を主張したのは〔海軍出身の〕永野〔軍令部総長〕と鈴木(企画院総長)の2名のみ。しかし、これで〔暴走〕海軍〔軍官僚〕主導の対英米戦争準備が始動〔同書p.163〕。膨大なデスクワークと兵力の運用を要する動員と集中がいったん始まったならば、これを途中で止めるのは不可能。この動員計画が足枷となって結局、南部仏印からの撤退〔これも大変な仕事〕も事実上不可能となりました。
昭和帝が9月6日の御前会議白紙撤回を主張しても、当時の日本で唯一、海軍の暴走を食い止められる(とみなされた)陸軍の東條がいかに頑張っても開戦阻止は不可能でした。この時、身を挺して開戦阻止に当たるべき近衛首相が何を考えていたかも同書に書いてあります。
・ ・・死をもって償うべきだった
敗戦後、阿南陸相、杉山〔開戦時〕参謀総長、東條元首相〔その他多数〕が自決、もしくは自決を試みています〔東條の自決については諸説あり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F
を参照のこと)
戦争は外交・政治・情報・インテリジェンス等と密接不可分の『大事』〔孫子兵法〕だからこそ、軍人ではなく戦略の最高位にある指導者が指揮をとる。その叡智を近代社会の政治制度化したのが、(本来の)シビリアン・コントロールでありPolitical Leadership であります。
国際情勢と戦略〔とその評価〕は常に時代とともに激変します。だから、そのときどきの政策の責任は内閣が負い、国〔国策・国益〕のために命をささげた者(就中、軍人)に対しては、過去・現在・未来の全ての国民と国の歴史を体現する立憲君主〔日本では天皇〕が、その名誉を担保する。そうすることによって無用の政治理念や歴史観の暴走・競合・争いとそれによる国家の混乱をさけ、最も理性的・合理的な国家・社会を維持できる。この叡智を政治制度として歴史の試行錯誤のなかで実現したきたのが日本の天皇制であり、英国の立憲君主制であります。女王陛下のスパイを持ってる国のほうがCIAのアメリカより格が上なのです〔太田コラム#1764〕。
昭和帝は太田さんがおっしゃるように昭和期、最高の知識人であり〔コラム#2998〕同時に〔実は近代日本〕最高の軍事研究家〔これは、上記、別宮さんの言葉、同氏サイト・http://ww1.m78.com/ のどこかに書いてあります〕であり、昭和帝は上記、立憲君主制を身を挺しで日本に残し、守り抜いた人物である。それが私のような保守派の判断であります。・・・・以上<遠江>〔コラム#2998〕さんへ。 私は『諸君』やその読者なぞ保守とは何の関係もない偽者と思っておりますので誤解なきよう。塩田某の『諸君』論文、太田さんの言ってること何もわかっちゃいないじゃないですか〔コラム#2923〕〔笑〕。 あと、本物の保守なら田母神論文〔のレベルの低さ〕に腰を抜かすはずです。彼の心意気を許したとしても、自衛隊がまともな戦史研究も対米情報収集・情報史研究も行っていないのは一目瞭然でしょう。あんな論文書くヒマがあったらさっさとアメリカから独立しろよ!〔笑〕。 <遠江>さんたちが過去何週間もやっておられた<左>とか<右>なんて議論、一体誰のこと?というのが私の感想です。
太田さん、前空幕長は賞金を辞退されたってことは、まだお金が残っているということですよね?いっそのこと太田さんがアバ・グループに論文を出したらどうでしょう?ブッシュに靴投げたイラク野郎のような意表をつく戦略であります。
『日本独立作戦計画試案』とか『日英共同アメリカ・コントロール作戦試案』とか。防衛白書を書いた元防衛審議官の作戦計画書ということであればインパクトあると思います。
ペリー来航、『泰平の眠りをさます、上喜撰、たった四杯で、夜も寝られず』
2009年、『泰平の眠りをさます、論文は、太田述正、吉田〔ドクトリン〕を倒す』
来年もご活躍を、
在米・秋の空
太田総理、太田さんの出番が短かったのが残念! もっと発言していたのでしょうが…。NHKの日曜討論などでじっくり討論をやっていただきたいです。