太田述正コラム#14100(2024.3.19)
<岡本隆司『物語 江南の歴史–もうひとつの中国史』を読む(その32)>(2024.6.14公開)


[支那の小説]

 「<支那>で唯一の小説家皇帝曹丕のような例外はあるものの、古代<支那>での小説は・・・上流階級から蔑まれる物であった。しかし、<六朝>以降の時代には主に民衆から支持を得る形で小説が人気を得ていく。
 六朝時代の小説は、内容的に神異的になり、志怪小説と呼ばれた。唐代の伝奇小説に至ると「奇」が勝ちをおさめた。魯迅が『中国小説史略』の中で指摘しているように、詩と同様に唐代で一変し、なお怪異を求める風は存したが、その文学性は格段に洗練された。つまり、唐代の「伝奇」は、従来のように怪異を叙述しながら、人事の機微までをも描き得ており、それは、前代の「志怪」の描ききれていないところであったのである。代表的なのは、『枕中記』や『霍小玉伝』である。また唐代には、通俗小説が出現し、後世の文学に多大な影響を与えた。
 宋代には、庶民の社会生活を描写した「話本」が出現し、『碾玉観音』や『錯斬崔寧』などの代表作が作られた。宋代話本の特色は白話小説と呼ばれ、白話(口語)を用いて描写される点にある。よって、唐代の伝奇に比べて更に通俗的となった。
 元曲が著しく発展した元代は、伊藤漱平によれば小説史に於いては不作の時代だったが、唐・宋伝奇の末流として、元初という小説不作の時代に開いた浪花(あだばな)ともいえる『嬌紅記』があるが、字数が唐・宋代のものより多いため小説長編化の途上の作品とされる。
 明代以後、小説の発展は成熟期を迎えた。唐代の伝奇、宋代の話本の伝統を継承し、創作の題材上においては、歴史、怪異、英雄、世情を論ずることなく、すべてを網羅するようになった。明代の通俗小説は、長編と短編の二大潮流に分かれることとなる。長編小説は「四大奇書」を代表とする。短編小説は、馮夢龍、凌濛初編纂の「三言二拍」を代表とする。
 清代の小説では、<曹雪芹(注45)著とされる>「紅楼夢」という<支那>長編小説の一大傑作が生まれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AA%AC

 (注45)1715?~1763年。「生れは江寧府(現在の江蘇省南京市)。清朝の八旗軍に属する旗人の家柄で、北宋の名将曹彬の末裔と称する。・・・
 曹雪芹の家は曾祖父曹璽の代から三代四人にわたって江寧織造の職につき、江南で清朝のために情報収集活動を行っていた。なかでも祖父曹寅は康煕帝の乳兄弟であったことから帝の寵愛を受け、莫大な富を蓄積したが・・・、雍正帝の時代になると寵愛は失われ、家産は没収された。一家は後に北京に移り、曹雪芹が紅楼夢を書いた18世紀半ばには窮貧はなはだしく、これによって今でも曹雪芹の伝記についてはわからないことが多い。困窮の中でもっぱら『紅楼夢』の完成に精魂を傾けた。・・・
 中華人民共和国で、曹操70世で、曹髦67世の子孫を自称する曹祖義によると、一族の間では、曹雪芹もまた、曹操の末裔と伝承されていたという。
 なお「『紅楼夢』―性同一性障碍者のユートピア小説」(汲古書院、2010年)で紅楼夢の主人公賈宝玉の特異なキャラクターは宝玉が性同一性障碍であったためであるという説を立てた合山究は「宝玉のモデルが作者自身であるという説が有力であることや、また当時の<支那>の男性にしては尋常でなく女性の心理や生活の描写が巧みである点などからして、曹雪芹本人も性同一性障碍であったのではないか」と推測している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E9%9B%AA%E8%8A%B9

⇒曹操は長江と淮河にまたがる、安徽省という、広義の江南
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%BE%BD%E7%9C%81
出身であるし、曹彬こそ、河北出身ではある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E5%BD%AC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%AF%BF%E7%9C%8C
けれど、「注44」から、曹雪芹の家は代々、「江南で清朝のために情報収集活動を行っていた」というのだから、江南に根を張った、同地によほど深い土地勘を有する家だったのだろう。
 『紅楼夢』は、紫式部(970年から978年の間~1019年以降)によって書かれた『源氏物語』より7世紀半ほど遅れて書かれたところの、しかし、世界的には珍しい、広義の「もののあはれ/人間主義」的なものをテーマにした長編小説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8

だが、ここからも、私がかねてから指摘しているところの、江南人≒日本の(私の言うところの)弥生人、が裏付けられる、と、思いたい。(太田)

(続く)