太田述正コラム#2935(2008.11.25)
<自省する米国(その1)>(2009.1.2公開)
1 始めに
 対テロ戦争が思うに任せず、そこに金融危機が起こったこともあって、米国は自省の季節に入っています。
 このシリーズでは、米国人が書いたコラム2篇と書評1篇のあらましをご紹介し、私のコメントを加えたいと思います。
2 失敗したニューディール
 ニューディールは失敗であった(コラム#2933)ことが、まだ必ずしも常識化していないということでしょう。
 台北タイムスに米ジョージ・メーソン(George Mason)大学経済学教授のタイラー・コーエン(Tyler Cowen)が次のようなコラムを寄せています。
 ・・・1992年に出版された・・・本によれば、拡大的金融政策こそ1930年代における<大恐慌からの>部分的回復の最大のカギだった。ニューディール期における最悪の年々は、連邦準備制度理事会が銀行に準備金の増加を要求し、貸し出しを抑制し経済を危険なデフレ圧力に引き戻した直後の1937年と1938年だった。
 <とはいえ、>現在、拡大的金融政策を実行に移すことは容易ではない。というのは、信用収縮と、デリバティブ取引及びヘッジファンドその他の投資の形態をとっているところの「影の銀行部門」の収縮が起こっているからだ。・・・
 ローズベルトは、農業補助金という破滅的な遺産を残したし、法律の力でもって産業のカルテル化を推進した。しかし、どちらの政策も経済の回復には役に立たなかった。
 彼はまた、組合を強化し賃金を高止まりするように介入した。このことは職に就いていた勤労者には役立った。しかし、失業者が職に再び就くことをずっと困難にした。その一つの結果として、ニューディールの期間を通じ、失業率は高水準のまま推移した。・・・
 ニューディールの遺産である公共工事計画は、多くの人々にそれが拡大的財政政策の時代であったとの印象を与えている。しかし、この印象は必ずしも正しくない。政府消費は顕著に増加したが、税金も増えたからだ。実際、前大統領のハーバート・フーバーの下で、そしてローズベルトの下でも引き続き、連邦政府の所得税、物品税、相続税、企業所得税、持ち株会社税、「超過利潤」税が軒並み引き上げられた。
 これらすべての税金の増加を勘案すれば、ニューディール財政政策は、経済回復にほとんど寄与していないことになるのだ。・・・
 また、第二次世界大戦が米国経済を助けたことは事実だが、その効果は、米国が単に欧州に戦争関連財を売りつけていてまだ参戦していない、大戦初期の段階でのものだった。・・・2006年に出版された本によれば、戦争が、どれだけ消費財の不足と配給をもたらしたかが分かろうというものだ。
 確かに、全般的な経済的産出は伸びたし、徴兵は失業率を低下させたけれど、戦争の年月は、一般的に言って決して繁栄の年月ではなかった。だから、今日においても、戦争を行うことが経済の健康を取り戻す方策であるなどと考えてはならない。・・・
 要するに、良く知られているニューディールの諸政策ではなく、拡大的金融政策と戦時の欧州からの注文が米国経済を大不況から回復させるのに最も寄与した、ということなのだ。・・・
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2008/11/25/2003429511
(11月25日アクセス。以下同じ)
 ことほどさように、ローズベルトによるニューディールは失敗であった、ということなのです。
3 虚妄である近代経済学
 ネオコンのユダヤ系政治評論家のウィリアム・クリストル(WILLIAM KRISTOL)がニューヨークタイムスに次のようなコラムを寄せています。
 経済学者達は公共生活において依然のさばっている。彼らの多くが現在の経済状況を予測して警告することも、それについて説得力ある説明をすることも大してできなかったというのに。・・・
 市場は螺旋的に下降しつつあるが、どうしたらよいか、指導的な専門家達は大してカギを持ちあわせていない。・・・
 実際のところ、彼らが経済学職における輝かしい諸発見に過度の思い入れなど抱いていないことを願わざるをえない。なぜなら、この職におけるこれまでの解答が現在の状況にはほとんど適用できないのではないかという疑念があるからだ。
 結局のところ、近代経済学の教育をたっぷり受けた連中が複雑な経済モデルと精緻な金融手法に対して過度の信頼を抱いたことが、われわれを今日の無茶苦茶な状態へと引き込んだのではなかったか。
 だから、私は新大統領の下に結集するとびきり優秀な人々(best and the brightest)が、彼らが知っていると思っている事柄の多くが間違っている可能性があることを少なくとも念頭に置いて欲しいと願っている。過去における成功した経済政策は、意外な典拠から引き出されたものを総合してなされたものである、ということぐらいは彼らが知っていると思いたいところだ。例えば、同僚が審査した経済学誌に載った最新の学術論文より、フリードリッヒ・ハイエクやジョセフ・シュンペーターやケインス自身といった政治経済学者達の書いたものを読んだ方が叡智を発見する可能性が高い。・・・
 リンカーンは、1862年12月の、彼の第二の議会宛年次書簡の中で、「嵐の現在にとって静かな過去におけるドグマは不適切である。今や状況は困難に充ち満ちているが、われわれはこの状況を克服しなければならない。われわれの直面している状況は新しいがゆえに、われわれは考え方を新たにしなければならず、行動もまた新たにしなければならない。われわれは思い込みから自由にならない限り、わが国を救うことはできない」と記している。
http://www.nytimes.com/2008/11/24/opinion/24kristol.html?ref=opinion&pagewanted=print
 以前(コラム#2475で)、経済学は(現代における)米国のイデオロギーであると申し上げたことがありますが、私は、ことほどさように米国流の近代経済学の虚妄性をあからさまに書いたコラムには、これまでお目にかかったことがありません。
 ニューディールは失敗であった、そして近代経済学という名の現代米国のイデオロギーは虚妄である、というのですから、米国の自省ぶりも相当なものです。
 しかし、次にご紹介するのは、更に根源的な自省です。
 米国は有色人種差別的帝国主義国だったというのです。
(続く)