太田述正コラム#14138(2024.4.7)
<加地伸行『儒教とは何か』を読む(その1)>(2024.7.3公開)
1 始めに
次回オフ会「講演」原稿・・ある意味儒教がテーマと言ってもよい・・がらみの調べものをしていた時に、初版が出た折のキャッチコピーを見て読まないことにした表記のことが気になりだし、買って読むことにしました。
ちなみに、著者の加地伸行(1936年~)は、京大文卒、同大修士、高野山大文講師、助教授、名大文助教授、台湾淡江文理学院副教授、阪大文助教授、東北大博士(文学)、阪大教授、名誉教授。甲子園短大学長、同志社大フェロー、立命館大特別招聘教授、同大白川静記念東洋文字文化研究所所長、同大特別研究フェローという経歴で、「保守派の論客として知られ、産経新聞オピニオン面「正論」欄の執筆メンバーを務めており、2008年には第24回正論大賞を受賞した。2017年には、産経新聞の英語版ウェブサイトを運営する一般社団法人「ジャパンフォワード推進機構」設立時の理事に就任している。新しい歴史教科書をつくる会賛同者でもある。教育目的の徴兵制復活を唱え、2012年に国立大学の秋入学移行が論議された折には、高校卒業から大学入学までの半年間で新入生の心身を鍛え直すために自衛隊への正式な入隊を義務付けよと主張した。天皇制について、「私の天皇像とは、天皇制を遂行できる天皇である。もしそれができない天皇ならば退位してもらいたい」「皇后の役目は、ダンスでもなければ災害地見舞でもない」と平成年間の皇室の在り方に対して、批判している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%9C%B0%E4%BC%B8%E8%A1%8C
だというのですが、こういったことを知って、アカン、やっぱりこの本買うのではなかったと少なからず思ったのですが、批判的に読めばよかろう、と、気を取り直した次第です。
なお、この本、中公新書として初版が出たのは1990年ですが、買ったのは、2015年に出た増補版です。
2 『儒教とは何か』を読む
「・・・儒教では、・・・同姓不婚(同じ姓の者とは結婚しない)という理論を立てており、夫婦別姓<(注1)>を守ってきた<。>・・・
(注1)「夏王朝や殷王朝では族内婚に対して特に規定はなかったと伝えられているが、周王朝以降は長らく同姓婚は忌み嫌われ、周辺諸国にも多大な影響を与えた。父系制社会の象徴的制度で、儒教的思想に基づき支持されていたとされる。満族の建てた清王朝の時代の末期に撤廃され、その後<支那>北部においては同姓婚も一般的となったものの、台湾では慣習的に同姓婚は避けられているとされる。・・・
韓国では第二次世界大戦後も「同じ本貫同じ姓(同姓同本)」同士の男女は民法809条において禁婚とされ、同姓同本不婚の制度が存在していた。これには賛否があったものの1997年憲法裁判所がこの制度の憲法不合致の決定をし、1999年より同姓同本の禁婚をさだめた民法の適用を中止することとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%A7%93%E4%B8%8D%E5%A9%9A
「父系血縁が重視される<支那>、漢人の間では「同姓不婚、異姓不養(いせいふよう)」といって、姓が同じであれば結婚せず、養子をとる際には逆に、同姓の者に限る習俗が行われてきた。・・・婿養子は正規の制度となりえなかった。・・・もっとも、同姓不婚という規範はつねに厳密に守られていたわけではなく、とくに社会的な下層者の間では、実際の系譜的なつながりが認められなければ同姓でも通婚することがあった。・・・
周代から始まるとされ・・・本来は習俗的規範であった。それが制定法として成立するのは,北魏時代(386-534)であり,・・・違反すれば徒二年である。・・・以後,近代まで続く。・・・
<支那>の姓はひじょうに古くから結婚に関する禁忌,すなわち〈同姓不婚〉〈同姓不娶〉を実行するための標識という役目をになってきた。近親結婚を避けるための経験的な禁忌だが,そのことと〈姓〉が比較的少ないこととはおそらく無関係でない。」
https://kotobank.jp/word/%E5%90%8C%E5%A7%93%E4%B8%8D%E5%A9%9A-103784
その儒教に基づいて、現代でも、中国や朝鮮では、結婚後も実家の姓を名乗る。・・・」(3)
⇒こういう書き方だと、あたかも、中共や朝鮮半島で、現在でも同姓不婚が続いているかのような印象を与えてしまいます。
また、支那において、殷までは同姓不婚ではなかったということは、銘記されるべきでしょう。(太田)
(続く)