太田述正コラム#14142(2024.4.9)
<加地伸行『儒教とは何か』を読む(その3)>(2024.7.5公開)


[支那における快楽主義]

一 楊朱

 [BC370?~BC319?。一説に,衛 (河南省) または秦 (陝西省) の人。]「戦国時代(前3世紀後半)に為我(いが)説(我が為(ため)にする自己中心主義)を唱え、墨翟(ぼくてき)学派(墨家)と並んで大きな勢力をもったらしいが、その詳細は不明である。孟子の評言によると、世界のためになるからといって毛筋1本でさえ自分を犠牲にすることは拒否するという、徹底した自己主義者で、世界の問題よりは、個人的、内面的な問題を重視する荘子の思想などとの類縁がみられる。自己中心の思想は、その要点として生命尊重の思想と関係し、さらには感覚的欲望の解放とも関係する。『呂氏春秋』の「貴生編」などにみえる養生思想は、利己的独善的な傾向が強く、またそこにみえる子華子(しかし)の全生説は欲望解放に向かう傾向をみせていて、楊朱の後学の思想を伝えるものであろうとされている。・・・
 人間にとって最も大切なことは,自己の生命を全うし,その生命と不可分の自然な欲望を十分に満足させて,個人としての充実した人生を送ることであり,死後の名声を求めて天下国家のためにおのれの生命をすり減らしたり,名教道徳にとらわれて自己の欲望を抑制したりするのは無意味だと主張し<た。>・・・
 老子の弟子といわれ,・・・道家の先駆の一人で,人生の真義は自己の生命とその安楽の保持にあることを説いたとされ<、>・・・道家からは,〈性を全くして真を保つ〉立場にたっていたと評価された(《淮南子(えなんじ)》)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E6%9C%B1 ([]内)
https://kotobank.jp/word/%E6%A5%8A%E6%9C%B1-145703

二 道家

 「道家は,その源が戦国の乱世それ自体,すなわちこの一大社会変革の生み出す政治への不信ないし生の不安にあり,それらを理論的に解決して人々に慰めを与えるものだったので,当時の失意の士大夫の間に多数の支持者を得たのみならず,今日まで同様の時代・類似の境遇の人々に広範に信奉されてきた。その先駆は・・・,直接には戦国中~後期の(1)個人の生命の充実を重んじた楊朱,子華子,詹何(せんか),(2)寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼(そうけい),尹文(いんぶん),(3)道徳的先入観からの脱却を説いた田駢(でんへん),慎到,(4)総体としての世界の〈実〉に依拠して,あれとこれとの区別である〈名〉(概念,判断)を軽視した恵施(けいし)などであり,その成立と展開は《荘子》《老子》《淮南子》などによって最もよく知りうる。前3世紀初め,自我の撥無(はつむ)によって一の無たる世界に融即せよ,それこそが道をとらえた聖人の主体性だからとする万物斉同の哲学に始まり,そのように世界を統御しつつ同時にそこから超出して自由であれと説く遊(ゆう)の思想に受け継がれ,以後各方面に展開していった。」(上掲)

⇒著者は儒教を重視するけれど、私の仮説は、秦による天下統一の頃から、支那人は緩治環境下に置かれたために「現実的・・・即物的」たらざるをえなくなり、被治者達は、自分達を中心として、その不安を癒してくれるように見えたところの、(道家の思想が迷信化された)道教、を信じるようになっていった、というものだ。(太田)

(続く)