太田述正コラム#14156(2024.4.16)
<加地伸行『儒教とは何か』を読む(その10)>(2024.7.12公開)

 「とすると、「仁」とは、消極的な小さな「愛」とでもいうべきものであろう。
 「仁」と同じく、「佞(ねい)」(「仁」と「女」を合せた字)もこの「仁」と関わりが深い。
 すなわち「佞人」は「女性の仁人」ということになる。・・・
 しかし、孔子は、「仁」をそうした消極的な愛とするのではいけないとした。
 もっと積極的に他人を愛する在りかたでなくてはならないとしたのである。・・・
 白川静に拠れば、「仁」字の古い形は・・・人が敷物の上に座っている形とし、それによって暖かいという意味を表わすとする。
 この「暖か」が儒によって「愛する」へと転化していった。・・・
 その議論が『論語』の中に充ち充ちている。
 弟子に「仁」とは何かと問われたとき、孔子は、はっきりと答えている。
 「人を愛す」(顔淵篇)と。
 自分からの積極的な愛であるから、他人が自分に対してどうかという心配もない。
 「仁者は憂えず」(憲問篇)。
 その仁は、主体的なものであるから、実行にためらいはない。
 「仁〔の実行〕に当りては、師に〔対して〕も譲らず」(衛霊公篇)。
 こうした仁の様子は、弟子たちに脈々と受け継がれてゆく。
 「〔力をつくして行なう〕力行(りきこう)〔は〕仁に近し」(『中庸』)と。・・・
 <このように、>孔子は「仁」を重視したが、「佞」の方は振り捨ててゆく。
 或る人が、孔子の弟子の冉雍(ぜんよう)について「仁にして佞ならず」とけなした。
 「佞」(弁舌の才)でないと言って。
 すると孔子は、「いずくんぞ佞を用いん」と言って、「佞」を重視しなかった(『論語』公冶長(こうやちょう)篇)。
 こうした孔子の唱える積極的仁が、原儒たちの消極的な仁に基づいていたことは、孔子の言う仁にいろいろな形で反映されている。
 例えば、「知者は動、仁者は静」(『論語』雍也篇)、「仁者は、その言や●<(言偏に刃)>(しの)ぶ(たえしのぶ)」(『論語』顔淵篇)と言う。
 そして孔子以後の儒者の性質を表わしたことばを見ると、「温良は仁の本(もと)なり。敬慎は仁の地(下地)……」(『礼記』儒行篇)とある。
 これらは、静かで穏やかで慎しみ深いイメージである。
 孔子の容子(ようす)は、「温にして厲(はげ)し。威あって猛(たけ)からず」(『論語』述而篇)であったという。・・・
 文官・武官といった対比で分けて言えば、文官のイメージである。
 事実、後世に、儒教的教養を身につけた文官(特に科挙出身者)が登場し中国社会を動かしてゆく。
 そしてそれが、中国文化の伝統となってゆくのである。・・・」(83~85)

⇒なんということはない、著者は、その自覚が皆無のまま、一生懸命、大乗仏教における慈悲、或いは私の言うところの、人間主義、とはなんぞや、を説明してくれているわけです。
 そして、人間主義/慈悲/仁、だけでは、社会/国家、が成り立ちえない、ということも・・。(太田)

 「さて孔子(或いは孔子学派)は、この仁を孝に結びつけたのである。

⇒このあたりから、急におかしくなってきます。
 自信がないのがミエミエですが、「或いは孔子学派」、とはこれいかに?(太田)

 「仁とは人なり」(『礼記』中庸篇)と。
 この一句、実は難解である。
 「仁を行なう方法は、人々と親しみあうしかたにある」とか、「仁とは、人間のしぜんな感情である」とかと解釈されている。
 いずれにしても、それは、親しい者へ最も愛情を注ぎ、親しさの程度が低くなるにしたがって愛情も薄くなってゆくということだとする。

⇒誰が? そしてその典拠は?(太田)

 そこで続けて「親(親しい者)に親(した)しむを大となす」(同篇)と言う。
 とすれば、仁愛の最高度は、親しい者への愛すなわち孝となる。
 孔子は言う、「孝<(注16)>・弟(弟とは悌<(注17)>のことで、年少の者が年長の者によく従うこと)は、仁の本<(注18)>なり」(『論語』学而篇)と。

 (注16)「父母を大切にする。よく父母に仕える。 祖先を大切にする。祖先をあつく祭る。 喪服。また、喪に服すること。」
https://kanji.jitenon.jp/kanjib/867.html
 (注17)「したがう。兄や目上の者にすなおに従う。 兄弟の仲がよい。」
https://kanji.jitenon.jp/kanjif/2698.html
 (注18)「もと。ねもと。つけね。草木の根。 もと。おおもと。はじめ。 もと。大切な部分。要点。 (商・工業に対しての)農業。 もともとの。また、まことの。 この。その。また、自分の。 書物。また、書物を数えることば。 草木を数えることば。」
https://kanji.jitenon.jp/kanji/071.html

 そうすると、ここで、仁が孝〔悌〕に基礎づけられたことになる。
 これは重要なことである。・・・」(85~86)

⇒私が重要だと思うのは、孝の「父母を大切にする」、悌(弟)の「兄弟の仲がよい」、という、それぞれの、当たり前の意味の部分、と、本の「はじめ もともとの」という意味の部分、です。
 私が何が言いたいかというと、親(父母)は養親も含めれば誰にもいるわけですし、当時は子だくさんで兄弟姉妹が大勢いるケースが多かったことから、孔子は、仁を説明する時に、誰にとっても分かり易い卑近な例を用いた、というだけのことであり、彼は、潜在態として誰も持っているところの、「汎愛」たる「仁愛」を顕在化させるために、各自が共有している卑近な「愛」を手掛かりにせよ、と言っているだけではないか、ということです。
 ですから、「本」についても、「大切な部分」だの「要点」だの「まことの」だのといった大仰な意味ではなく、「はじめ もともとの」という意味で用いている、と、見るわけです。(太田)

(続く)