太田述正コラム#14178(2024.4.27)
<松原晃『日本國防思想史』を読む(その1)>(2025.7.23公開)

1 始めに

 「檀上寛『陸海の工作–明朝の興亡』を読む」シリーズに加えて「加地伸行『儒教とは何か』を読む」シリーズについても、中断する・・後者については再び中断する・・のは申し訳ないことながら、後者は、形而上学的なものを対象としていることからそのコラム執筆にエネルギーと時間を取られ過ぎることが、八幡市用講義案執筆中の現在の私には若干うざったいのと、講義案執筆と余り関係がない性格のものであることから、中断することとし、代わって表記シリーズを割り込ませることにさせていただいた次第です。
 なお、松原晃(1906~?年)は、鳥取県生まれの、評論家、歌人、俳人であり、『日本美の精神』、『藤田幽谷の人物と思想』、歌集『寂光』等、の著書があります。
https://lit.kosho.or.jp/%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%99%83
 また、表記の本(コラム#14153)は、「天理時報社、昭和17・・・。古代から明治までの、日本国民の国防意識の変遷とその一貫した底流とを詳細に解説してゐ<るところ、>本書も戦後GHQによつて焚書され・・・た」
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E9%98%B2%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%8F%B2-%E6%A0%A1%E8%A8%BB-GHQ%E7%84%9A%E6%9B%B8-%E3%81%84%E3%81%96%E3%81%AA%E3%81%BF%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%99%83-ebook/dp/B0BY4PRH5Y
ものです。

2 松原晃『日本國防思想史』を読む

 「・・・佐藤信淵<(注1)>(のぶひろ)は、その国防論の中で「海寇の防御は、之を逆襲にあらざれば勝算はなきなり」と喝破した。」(はしがき)

 (注1)1769~1850年。「現秋田県雄勝郡羽後町・・・出身。・・・本業は医師。・・・絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。・・・
 <著書の>『宇内混同秘策』の冒頭に「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし」と書いて、日本至上主義を唱えたのみならず、満州、朝鮮、台湾、フィリピンや南洋諸島の領有等を提唱したため、近代日本の対外膨張主義の先取り、さらには「大東亜共栄圏」構想の「父」であるとみなす見解が存在する。・・・
 第二次大戦中の日本では、信淵は大東亜攻略を世に先駆けて述べた人物として大いに称揚され、軍人を中心に愛読された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E4%BF%A1%E6%B7%B5

⇒吉田松陰は、少なくとも信淵の『経済要録』を読んでいます(上掲)が、松陰の有名な「「琉球に諭し……朝鮮を責めて質を納れ貢(みつぎ)を奉る……。北は満洲の地を割き、南は台湾・呂宋(ルソン)の諸島を収め、慚(ざん)に進取の勢いを示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて辺圉(へんぎょ・辺境)を守らば、則(すなわ)ち善く国を保つと謂(い)うべし」(『幽囚録』)
https://toyokeizai.net/articles/-/188987?page=3
という侵略論の出どころは、信淵のそれの、ややスケールダウンした焼き直し、といったところでしょうか。
 松原晃には、『先覚佐藤信淵』という著書もあります(はしがき)が、『日本國防思想史』中の松原自身の主張に係る部分は相手にしない方がよさそうです。(太田)

(続く)