太田述正コラム#14230(2024.5.23)
<和辻哲郎『日本の臣道 アメリカの国民性』を読む(その2)>(2024.8.18公開)

 「<江戸時代初期の日本では、>儒教<に関しては、>・・・その君子の道が武士の道として理解されました。
 武士は士であり、士大夫なのであります。
 山鹿素行の『士道』<(注2)>はかかる考への代表的なものと云つてよからうと思ひます。」(14)

 (注2)「北条流において軍学の体系は完成したが,西洋のように政治学としての位置づけはなく,個人の道徳としての精神主義を濃くしていったのである。氏長の弟子山鹿素行は〈山鹿流〉を唱えて軍学に儒学の精神を合わせ,武士の道徳〈士道〉を完成させた。その後,長沼流,楠流,越後流など多くの流派が生まれたが,用兵術としての軍学が無用となった時代において軍学は個人の修養が強調され,戦術などは源平以来の合戦をなぞらえるにすぎなかった。」
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 「朱子学の、日常から遊離した観念的な思弁と日常の生活行為と遮断された内面の修養に対<して>批判<し、>・・・漢(かん)・唐(とう)・宋(そう)・明(みん)の書を媒介とせず直接古代の聖賢の教えにつくべきであるとする・・・立場・・古学的立場・・を<採った。>」
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 「<語録:>
・「万世一系の天皇陛下を中心に、仁政と平和が続く本朝(日本)こそ中華(中国という意味でなく、聖賢の国・理想の国の意)なり」(『中朝事実』)
・「朝廷を重んじて武家を軽んずるは、往古の式、君臣の礼たり」(『山鹿語類』巻十五・臣道)・・・
・「武は不祥の器なり。国家人民のことにかからざれば用いるべからず。天下国家を思わず、我一人我が家のみの為に使う兵、民これにより死して国滅ぶ」(『孫氏諺義』第十四)・・・
・「士たるものは人倫の道を実践し、農・工・商の模範と成り、三民を教化していかねばならぬ」(『武教小学』教戒)
・「自身の高名誉の儀之有りと雖も、公儀御為に対し然るべからざる儀は、許容致すべからざる事」と己の名誉を賭けて衝動的な行為に走ることを戒め、自己抑制し法度を守れる武士が士道に適うとしている。(『武教全書』巻四)
・「士は怒りにまかせ行動すべからず。憤怒の心は身を亡ぼす」「例ひ君たりとも道に則って自身を制御できぬ者、君にあらず」(同、巻五』)
・「武は不祥の器なり。国家人民のことにかからざれば用いるべからず。天下国家を思わず、我一人我が家のみの為に使う兵、民これにより死して国滅ぶ」(『孫氏諺義』第十四)・・・
・士は二君に仕えるべしとし「君、君たらずんば自ら去るべし」を素行自身も実行した。「凡そ君臣の間は他人と他人の出合にして、其の本に愛敬すべきゆゑんあらず」と主君の為に死ぬ(「君のために百年の命を截つ、夏虫の火に入りて死するにも同じ」)は愚行と主張する。命を大事にし、蛮勇に走ったりせず、正しく生きることが「士道」の天命であるとした(『山鹿語類』巻十三・君臣論)。
・士は例え辱められても、売られた喧嘩は買うべからずと説く。「逃ぐるは恥にあらず。礼なき勇は狭小にして欺天亡国の業」(延宝八年七月)。・・・
・「君が無道にして、天子命じて罰せられなんは、仇を報ゆるの義あるべからず」(『山鹿語類』巻十四・仕法)
・「我が家のことばかり思うは、人の顔をしてるといえど獣に似たり」(『武教小学』器物)
・「殉死は不義なり。その無道なる風俗を改め、生きることにて発展する人徳を得るが天道なり。殉死をとげることで一時の快楽と陶酔をえる、何と嘆かわしき事ではないか」(『山鹿語類』巻十三・臣職) 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C

⇒例えば、日本の「道」に係るウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93_(%E5%9B%BD%E5%AD%A6)
には、荻生徂徠と伊藤仁斎への言及こそあれ、山鹿素行への言及がなく、手掛かりが十分得られなかったので、山鹿素行の「道」に係る和辻の理解の妥当性については、判断を留保しておきます。(太田)

(続く)