太田述正コラム#14234(2024.5.25)
<和辻哲郎『日本の臣道 アメリカの国民性』を読む(その4)>(2024.8.20公開)
「かくして天照大御神は、究極の神ではなく途中の神でありながら、その故に反つて絶対的なるものを、排他的にでなく即ち真に絶対的に表現するのであります。
この点が天皇の現御神(あきつみかみ)<(注5)>にまします所以と密接に聯関致して居ります。
(注5)あらみかみ=あきつかみ(現神)
https://kotobank.jp/word/%E7%8F%BE%E5%BE%A1%E7%A5%9E-1265106
「あきつかみ(現つ神)<は、>・・・現世に姿を現している神。多くは天皇を敬っていう。・・・
[初出の実例]「明津神(あきツかみ) わが大君の 天の下 八嶋(やしま)の中に 国はしも 多くあれども」(出典:万葉集(8C後)六・一〇五〇)」
https://kotobank.jp/word/%E7%8F%BE%E3%81%A4%E7%A5%9E-423108
天皇は天(あま)つ日嗣<(注6)>(ひつぎ)にましますが故に、即ち天照大御神の神聖性を担ひたまふが故に、現御神にましますのであります。
(注6)「天つ神の位、系統を受け継ぐこと。皇位を継承すること。また、皇位。・・・
「続日本紀」宣命では、一詔「天津日嗣」三詔「天豆日嗣」など二七例に及ぶが、「万葉集」には用例がなく、「天乃日嗣・天乃日継(あまのひつぎ)」の形で大伴家持に限って使用されることが注目される。」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E3%81%A4%E6%97%A5%E5%97%A3-427072
その神聖性は絶対者のものでありますが、しかしその絶対者は無限定のままであり、さうしてその限定された形が天照大御神と天つ日嗣とであります。
さうなれば天皇への帰依を除いて絶対者への帰依はあり得ないことになります。
これが尊皇の立場であります。
この立場は絶対者を国家に具現せしめる点に於て所謂世界宗教よりも遥に具体的であり、絶対者を特定の神としない点に於て所謂世界宗教よりも一段高い立場に立つのであります。
従つてどんな宗教をも寛容に取入れ、これを御稜威の輝きたらしめることが出来るのであります。
万邦をして所を得しめるといふ壮大な理念はこの高い立場に立つてゐるのであります。」(17)
⇒和辻は訳の分からないことを言い募っていますが、「現御神」的な表現が公文書の中で用いられたことはないので無視しても良く、また、「天つ日嗣」も、公文書においては「続日本紀」の中だけで用いられたものであるところ、英国の現国王の正式称号が’Charles the third, by the Grace of God of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of His other Realms and Territories King, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith.’である
https://en.wikipedia.org/wiki/Monarchy_of_the_United_Kingdom
ことを想起すれば、それは、この中に出てくるところの、by the Grace of GodやDefender of the Faith、と同様、単に神聖なムードを醸し出すことによる箔付けでしかない、と、見るべきでしょう。
よって、和辻の、「さうなれば」以下の文章は、牽強付会にして意味不明の戯言である、と、言ってよさそうです。(太田)
(続く)