太田述正コラム#14236(2024.5.26)
<和辻哲郎『日本の臣道 アメリカの国民性』を読む(その5)>(2024.8.21公開)
「・・・万邦をして所を得しめる…この言葉は日独伊三国同盟条約(昭和15年)冒頭に「大日本帝国政府、独逸国政府及伊太利国政府ハ万邦ヲシテ各其ノ所ヲ得シムルヲ以テ恒久平和ノ先決ナリト認メタルニ依リ」と出てくる。
その三国同盟締結を国民に告げるために発せられた詔書にも<出て来>・・・る。・・・
後の「大東亜共同宣言」(昭和18年)冒頭で<も、>・・・万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスル・・・<とあり、また、>・・・終戦の詔書(昭和20年)にも<そのフレーズが出て来>・・・る。・・・
⇒「万邦をして所を得しめる」と「万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスル」は意味が違うでしょう。
なお、終戦の詔書では、そのあとで「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」とある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81
ので、「共栄ノ楽ヲ偕ニスル」ことに失敗した、と、認めているわけであり、このことも含め、昭和天皇は、日本が先の大戦で戦争目的を達成できなかったと認めていることになります。
このことは、牧野伸顕や杉山元らが、最後まで昭和天皇を欺き続けたことを象徴している、と、言えそうです。(太田)
人がその最も深い根拠たる絶対者に関はる道は、ただ人倫的なるもの、特に国家を通じてのみ、真に具体的に実現せられる。
所謂世界宗教が個人の立場から直接に絶対者に行き得るかの如くに説いてゐるのは単なる見せかけに過ぎない。
それらは実は国家の代用物として僧伽とか教会とかの如き人倫的阻装置を用ゐてゐるのである。
しかもその代用物を権威づける為に国家の神聖性を抹殺しようとしてゐる。
300年前の武士たちが仏教を排斥する理由の一つはここにありました。
⇒事実に反します。
例えば、儒学者にして軍学者であった山鹿素行の墓は曹洞宗のお寺にあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C
和辻の念頭には明治初期の廃仏毀釈と、その起源とも言うべき、儒式墓所(瑞龍山)に埋葬された徳川光圀があるのでしょうが、それは光圀が母親及び正室(近衛信尋の娘)の影響で日蓮主義者だったからであり、彼の霊廟は日蓮宗信徒であった母親の菩提寺(久昌寺)にあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80
禅がどれほど武士に絶対の境地を教へたとしても、人倫の軽視を伴つてゐる点は許すことが出来ないといふのであります。
⇒曹洞禅はそれなりに、日本の臨済禅はかなり、人間主義の修復・維持に資するというのが私見(コラ#省略)、これでは、和辻は、人間主義が人倫の軽視を伴っている、と言っているに等しく、呆れてしまいます。(太田)
この見当は当つて居ります。
絶対の境地に入るといふことと大君に仕へまつるといふこととは渾然として一つにならなくてはなりませぬ。
天つ日嗣の現御神の尊崇はこの渾然たる一を実現したものであります。
ここに自分一己の身命などと比べものにならない絶大な意義価値があるのであります。
禅の心境として体験せられたのはこの意義価値の一面に過ぎなかつたのであります。」(18~19)
⇒いずれにせよ、ここでも、和辻の言っていることは意味不明です。(太田)
(続く)