太田述正コラム#14246(2024.5.31)
<津村重舎『皇室中心主義』を読む(その3)>(2024.8.26公開)

 「私は、今日のやうに日本が行詰つて居る実情を眺むるとき、更に政治の中心勢力をなすべき政党が行詰つて居ることを考ふるとき、特に声を大にして「日本建国の大精神に還れ」「皇室中心主義たれ」と絶叫する。・・・

註一一 ・・・「皇室中心主義」<(注4)>は立憲政友会が掲げてゐた。

 (注4)「蘇峰の思想は日清戦争を境として激しく変化した。初期には平民主義ないし平民的欧化主義を唱え,明治政府による強兵中心の近代化を批判したのに反して,後期には国家膨張主義を鼓吹し,それとの関連で皇室中心主義,国家社会主義,軍国主義を説いた。しかし,〈世界の大勢〉に基づいて日本のあり方を決めようとする考え方という点では,前後一貫している。つまり初期には軍事型社会より産業型社会へ,貴族的社会より平民的社会へという歴史の進化が,世界の大勢と考えられたのに対し,後期には〈人種的な生存競争〉が世界の大勢ととらえられたわけである。」
https://kotobank.jp/word/%E5%BE%B3%E5%AF%8C%E8%98%87%E5%B3%B0-19128

 これに対しライバルの立憲民政党が党綱領に掲げたのが「議会中心主義」<(注5)>であつた。

 (注5)「立憲君主国の君主は統治権の主体であり、統治権の総攬者である。だが、彼は統治すれども、政治しない。・・・King reigns but not governs ・・・である。政治するものは政府、即ち国務大臣以下及びこれを補佐する各省の諸行政官吏である。帝国憲法に於ても、その第一条に於ては「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあって、政治するとは書いてない。そして第五十五条には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責二任ス」とあり、各国務大臣が責を負うて政治の局に当っているのである。言いかえれば、たとい天皇が政治されると仮定しても、直接に政治されるのではなくて、間接に政治されるのである。・・・
 我国にいうところの議会中心主義はイギリスに於ける議会中心主義と、全然その範疇を異にしていることである。イギリスに於ける議会中心主義は議会が統治権の主体であることを意味する。イギリスの議会は男を女にし、女を男にする以外、何事でもなし得ないものがないというのは、この間の消息を物語って余蘊なきものであるが、我国のそして如何なる立憲国もの議会中心主義は、そうした意味ではなく、行政及び司法はすべて立法によって支配される意味に於ての議会中心主義である。」桐生悠々<(コラム#13410)>(「議会中心主義」より)
https://plaza.rakuten.co.jp/amizako/diary/200505090002/

 「議会中心主義」といふ語は当時、社会主義政治団体の一部が唱へてゐた語と云はれる。・・・」(23)

⇒「立憲民政党が党綱領に掲げた」ことと言い、桐生が「マルクシズム批判」の立場だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E6%82%A0%E3%80%85
ことと言い、「註」の記述は首をひねりたくなります。
 それにしても、桐生が、イギリスが、君主主権国ではなく議会主権国であることを的確に理解していたことに、彼の東大法の学生時代の憲法か英米法の教師から聞いた話の受け売りかもしれませんが、拍手したいですね。(太田)

(続く)