太田述正コラム#14248(2024.6.1)
<津村重舎『皇室中心主義』を読む(その4)>(2024.8.27公開)
「・・・この皇室中心主義の精神を宣揚しさへすれば、教育も思想も、何等憂ふるに足らぬと思ふのである。
而して、この皇室中心主義の精神を培養することは、畏くも、明治大帝より賜つた、「教育勅語」の御精神を守り行ふことによつてのみ実現されることであつて、この教育勅語の御精神こそは、中外に施して悖らざる永遠の大道であるのである。・・・
さうして、修理固成の大精神を、内にも外にも光被せしめねばならぬ。・・・」(24~25)
(注6)「日本神話の、特に『古事記』におけるメッセージのキーワードを2つ挙げよと言われれば、私は「むすひ」と「修理固成」を挙げます。「修理固成」をどう読むかはいろいろな説があるのですが、「おさめ、つくり、かため、なせ」と岩波文庫では読んでいます。・・・
「修理固成」という言葉<は、>・・・私たちに、「この世界はどのような状態になっていても修理できる。作り直せ、固め直せ、修め直せ」といっている。要するに、なおす(リコンストラクション、リプロダクション)、再び新たにそれを甦らせる、あるいは甦らせることができなくても再構築(リメイク)していくことができる。」(鎌田東二(コラム#13381))
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5173
鎌田東二(1951年~)。國学院大卒、修士、博士課程単位取得満期退学、筑波大博士(文学)、京大、上智大等の教授を務めた。神職の資格を持つ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E7%94%B0%E6%9D%B1%E4%BA%8C
「むすひは、神道における観念で、天地・万物を生成・発展・完成させる霊的な働きのことである。・・・生命の連続性の象徴と<も言える。>・・・産霊、産巣日、産日、産魂などの字が宛てられる。・・・
「むすひ」を神名に含む神は多数おり、いずれも「むすひ」の働きをする神と考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%99%E3%81%B2
⇒教育勅語の文部省図書局がした「教育に関する勅語の全文通釈」(1940年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%8B%85%E8%AA%9E
を前提にすれば、現時点におけるこの勅語の問題点は、それが「勅語」であることも含め、「皇室典範」、「皇室」、そして「宝祚」(注7)(天皇)、更には宝祚とコインの表裏の関係にある「臣民」、の存在を前提にしているところにもっぱら存する、と言っても過言ではありません。
(注7)宝祚(ほうそ)。「天子の位。皇位。・・・天皇の位。宝位。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9D%E7%A5%9A-628086
というのも、「万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。」とこの勅語は記しているけれど、主権の放棄は「危急の大事」の最たるものであるところ、それを(私見では)昭和天皇が率先してもたらしたことは、この勅語に照らすまでもなく、天皇の存立根拠である、日本の主権の象徴としての役割の自己否定だからです。
これは、津村らの言葉を用いれば、天皇による皇室中心主義の自己否定に他ならないのであって、そうである以上、教育勅語もまたその生命を終えたと言わざるを得ないところ、この理(ことわり)には津村らも納得するはずである、と、私は信じています。(太田)
(続く)