太田述正コラム#14254(2024.6.4)
<植木直一郎『古事記と建國の精神』を読む(その3)>(2024.8.30公開)

 「・・・大正5年の新年に現皇太后陛下(当時は皇后陛下)(貞明皇后のこと)の御詠み出であそばされた・・・御歌を・・・奉掲して所論を結びたい。
 神風の伊勢の濱萩(はまをぎ)招かねど 慕ひ寄るらし四方の国々・・・ 」(74)

⇒佐佐木信綱(注5)『貞明皇后御歌謹解』(第二書房 1951年)、
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000260370&page=ref_view
『貞明皇后御集』(宮内庁書陵部 2001年)、
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002994685
西川泰彦(注6)『貞明皇后 その御歌と御詩の世界―「貞明皇后御集」拝読―』(錦正社。2007年)、といった本が出ている
https://kinseisha.jp/book/0279-2/
ところ、明治天皇もそうでしたが、貞明皇后も和歌に相当入れ込んでいたようです。

 (注5)1872~1963年。東大文卒。「1937年(昭和12年)に第1回文化勲章を受章した。帝国芸術院会員。御歌所寄人として、歌会始撰者でもあった。その流れで貞明皇后ら皇族に和歌を指導している。日本文学報国会短歌部会長であったことから、「愛国百人一首」の選定委員に選ばれている。・・・
 上田三四二は歌人としての信綱について「氏を大歌人と呼んでいいかどうか、私は疑う。けれども、氏は疑いなく大学者だった。」と評している。三四二は「信綱にとって作歌と学問は別のものではなく、信綱の歌は学と識を備えた伝統的な詩歌の正統だった。しかし、近代以後の短歌は子規や啄木といった「歌学の何たるかをわきまえぬ」独断的・直感的な近代詩歌が、詩歌の革新を成し遂げてしまっている。信綱の歌の見方は正しい見方だが、文学においては正しい判断が文学を生かすとは限らない」と考察している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BD%90%E6%9C%A8%E4%BF%A1%E7%B6%B1
 (注6)1944年~。國学院大文学部中退、その後神職資格取得、太刀ケ嶺歌會主宰。劔乃會代表幹事。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E6%B3%B0%E5%BD%A6_200000000449630/biography/

 上掲の歌は、詠まれた時期が定かではありませんが、日本社会の人間主義性の世界への感化力を希望的観測的に謳いあげたものだと思います。
 うつふして匂う春野の花すみれ 人の心にうつしてしかな
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000260370&page=ref_view 前掲
 これ↑も時期は不明ですが、人間主義が自然をも包摂するものであることを謳ったものではないでしょうか。
 以下の3歌は、時系列順のようです。
https://gunzou.kodansha.co.jp/39016/39848.html
 いかにせむああいかにせむくるしさの やるせだになきわが思ひ川
 これ↑については、「大正天皇は、意志が弱く病弱であった・・・のみならず女性へのただならぬ「御癖」<・・女官達に関心を示す・・があったこと>・・・への苦悩の表出であった」という評がつけられているところ、私は、そんな次元のものではなく、日蓮主義者としての自分に課された使命の大きさに煩悶する貞明皇后の気持ちの率直な表明、と、見ています。
 韓(から)の海わたらしし日のあらなみも かくやと思ふ船出なるかな(1922年3月) これ↑は、誰が見ても、自分を神功皇后にアイデンティファイして気持ちを奮い立たせている歌、で、決まりでしょう。
 神代より男(お)の子(こ)にまさるおこなひも ありけるものをはげめをみなら
 これ↑も、基本的に同様です。
 以上の私の和歌評ですが、貞明皇后の和歌の先生が佐々木信綱であったことも踏まえたつもりです。
 ところで、「二・二六事件のあと広田弘毅内閣が成立したときに、皇太后節子が閣僚を一人ずつ大宮御所に呼び出したことがありました。閣僚たちはみんな感激して、泣く者までいた。西園寺公望などは、そうした皇太后の動きに警戒心を持っていて、とても心配しています。」
https://gendai.media/articles/-/42567?imp=0
ということがあったようですが、西園寺は、貞明皇后が表に出ることを心配こそすれ、彼女は自分の最大の同志の一人だったのですから、「警戒心を持っ」た筈はありません。

(完)