太田述正コラム#14264(2024.6.9)
<板垣退助『立國の大本』を読む(その5)>(2024.9.4公開)
「顧ふに華族制度の創始者たる伊藤博文<(注2)>の如きは、他の政治上の功績に於て縦使(たとひ)称すべきもののありとするも、此点に於て確かに維新改革の精神目的を裏切り、国家の将来に非常なる禍根を貽せる所の、帝国の罪人なりと断ぜらるゝも、決して辯解の辞無かるべき也。・・・
(注2)板垣退助の伊藤評:「・・・伊藤公は明治の国家に対しての大功労者たるに疑いを容れざるなり。木戸時代の知恵袋は伊藤公なりき。大久保を援けたるもまた伊藤公なりき。公は確かに明治政治家の大立者として、また文明の指導者として、終生忘る可からざるの恩人なり。公嘗て予に語って曰く『予は朝に在って憲法に尽力せり。君は野に在って憲政の民を指導促進せり。およそ人は始めあって終わり無かる可からず。憲政有終の美をなすは、互いの義務となさざる可からず』と。以ってその憲政指導者としての抱負を見るに足る可し」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87
⇒憲法/憲政は、島津斉彬コンセンサス信奉者ではなかったと私が見ている伊藤博文にとっては、最大の目的、と言って語弊があれば、重要な諸目的の一つ、だったのでしょうが、島津斉彬コンセンサス信奉者であったと私が見ている板垣退助にとっては、本格的な日蓮主義戦争を完遂するための重要な手段の一つでしかなかった、ということを踏まえれば、板垣は、華族制度の創始者としての伊藤にとどまらず、およそ、伊藤など、評価していなかった、と、見てよいでしょう。(太田)
予は代議政体の精神と我邦の国情に鑑みて、制限選挙並に普通選挙に於ける弊害を除き、真に我邦憲政の健全なる発展を遂げしめんが為めに、戸主選挙法を提唱せざるを得ず。抑も戸主選挙法とは大凡日本国民にして一家を経営し、独立の生活を為す所の戸主、即ち家長は、資産の有無と男女の別を問はず、総て一律平等に選挙権を有する所の制度にして、之を謂つて家長選挙法と為すも亦妨げず。 」(32~33、40)
⇒板垣は、華族制度を批判している以上、同じく激変緩和措置であったところの、家制度(注3)、もまた批判するのが自然だったのですが・・。
(注3)「戸主の制度は、最も古くは大化の改新に始まる。孝徳天皇の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである。
前近代における「家」は、あたかも莫大な権利義務を有する法人のようなものであった。家長個人は権利義務の主体ではなく、家の代表者として強大な権利を行使するかわりに、家産・家業・祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデルは崩壊する。諸外国の例を見ても、家族制度が徐々に崩壊して個人主義へ至ることが歴史の必然と思われたが、かといって未だ慣習として根付いている以上、法律をもって強引に無くすことも憚られた。そこで、近い将来の改正を前提とし、所有権と平仄を整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6
「日本の家族にみられる家筋は,従来とくに強調されてきた父―息子関係を軸とする父系単系的な家筋のみならず,父―息子に加えて母―子の関係も強調する双系的な家筋も重要な意味をもっていたことが理解できる。日本人の多様な祖先―子孫関係のなかで,とくに父―息子関係を特別に強調したものが,明治民法が規定した〈家〉であり,そのためには特別の力が必要であり,それがいわゆる家父長制,長子相続制を中心とする〈家制度〉であった。しかしながら日本の家族にはこうした父系的家筋のみを強調する家族ばかりでなく,西南日本を中心として双性的な家筋を特徴とする家族もみられたことを理解することは,日本の家族の解明にあたってきわめて重要である。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6-1267245
(続く)