太田述正コラム#14266(2024.6.10)
<板垣退助『立國の大本』を読む(その6)>(2024.9.5公開)
「・・・世の聵<(注4)>々者流は徒らに西洋文明の光輝に眩惑せられ、一意これに心酔して、東洋の文明は多く世界に寄与貢献する所なきが如くに思惟すと雖も、東洋の社会組織が個人よりして家族に至り、家族よりして国家に至る<(注5)>は、極めて秩序、次第の宜しきを得たるものにして、かの欧米の社会組織が家族の一段落を没却し、直ちに個人よりして国家に至るに比して、大に優る所ありと謂はざる可らず。
(注4)かい、がい。「生まれつき耳の聞こえないこと。また、そのような人。 物事の道理に暗いさま。無知なさま。また、そのような人。」
https://kanji.jitenon.jp/kanjis/9288.html
(注5)「<支那>の家が多子相続制であったのに対して、日本の家(直系家族stem family)は一子相続制であり、跡取りとされたただ1人の子とその配偶者だけが両親の家にとどまり、次代家長夫婦という地位役割を継承するとともに家産を集中的に相続した。跡取りは普通は息子、長男だけとは限らず、家業継承との関連上、適任者が選ばれ、かならずしもつねに息子に譲るとも限らないのが庶民の家であり、跡取り娘に有能な婿をとり次代家長夫婦とすることも、ことに実力を重んずる町家ではまれではなかった。父系による家系相続や長男相続を重視する儒教や武家の規範からみれば反則とされた庶民の家の、このような柔軟性に富む方法を、武家や儒教の家系継承の観念からみて、尊重するに足りない劣った慣習だとみなした明治政府は、父系長男相続を民法に定め、以後国民全体の守るべき「家=家族制度」とした。ただ、息子のいない場合、娘に婿養子をとり次代家長とすることは認められた。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B6%28%E3%81%84%E3%81%88%29-1503281
’Clan <e>xamples include Irish, Scottish, Chinese, Korean, and Japanese clans’
https://en.wikipedia.org/wiki/Clan
⇒「注3」と重複する部分がありますが、日本と支那の「家」の違いが説明されているので「注5」の前段を掲げました。
また、欧米の「家」については、「注5」の後段に掲げた例示から、イギリスだけには存在しないように受け止められます。
ここから、「直ちに個人よりして国家に至る」は、イギリス(、ということは、加、豪、ニュージーランド、を含めた拡大イギリスも、そして、恐らくは米国も、ですが、)だけにあてはまると言ってよいでしょう。
しかし、板垣が勘違いしたように、拡大イギリス等、以外の欧米諸国は、アングロサクソン文明を継受して「家」を消滅させ、それに維新後の日本も倣うことにしたけれど、日本政府は、激変緩和措置として、民法で家制度を存続させたわけです。
ですから、家(家族)が大事だと言うのであれば、板垣は、むしろ、日本のかつての武士・・長男子相続制だった・・以外の家制度の復活を唱えるべきだったのです。(太田)
何を以て之を謂ふか、他なし、蓋し個人よりして家族に及び、家族よりして国家に及ぶは、人性発展の順序にして、人の智徳を養ふには須らくこの順序に由らざる可らず。則ち所謂孝悌は仁の本なりと謂ひ、若くは愛に差等なし施すに邇<(ちか)>きよりすと謂ひ、又其国を治めんと欲する者は先づ其家を斉へ、其家を斉へんと欲する者は先づ其身を修むと言へる如く、先づ邇きよりして遠きに及ぼし、小よりして大に移り、簡よりして繁に入るは、物の発展する自然の順序にして、東洋の社会組織に在てはこの順序に従ひ、個人発展の最初の出発点たる家族を以て其社会組織の一大段階と為し、其智徳を養ふも此処に於てし、国家観念の前提たる継続観念も亦た此処に養成せらる。則ち人は家族を成すによりて始めて祖先を敬ひ子孫を慮る所の、継続観念を養成するに至る也。然るに欧米の社会組織に在ては、中間に於ける家族の一段階を缺き、家庭あるも家族無く、人々皆な極端なる利己主義に流れて、社会を拘束する所の徳義的の結紐無く、其組織は極めて薄弱なるを免れず。則ち父は養育院にありて国家の扶養を仰ぎつゝあるにも拘らず、子は大厦高楼に居り、美味膏粱に飽きつゝありといふに至つて、欧米の社会組織の缺陥は言語に絶せりと謂はざる可らず。東洋の社会組織の特色たる祖先教即ち家族制の美点は、之を以て個人の智徳発展の基点と為し、徳育の基礎を此処に於て築き成し、国家観念の根底たる継続観念を此処に於て養ひ成すに在り。則ち我邦の如き家族制の下に在ては、家族を重んずるの結果、家名を汚すを以て絶大の耻辱と為すと俱に、祖先を顕揚するを以て無上の栄誉と為し、以て家族の間に於て節義を砥礪せり。是を以て責任の観念極めて旺盛にして、常に死を以て事に当るを見る。則ちかの武士の割腹の如きこれ也。」(41~42)
⇒日本でも欧州でも「例外」的存在であった日本の武士や欧州の貴族(騎士)の「家」を板垣が持ち出したのは不適切ですし、その中でも例外的であった切腹などというものを持ち出したのはもっと不適切です。
なお、この点での無知で板垣を責めるのはさすがに酷ですが、利己主義と個人主義とが似て非なるものであることは、太田コラム読者の皆さんのご承知の通りです。(太田)
(続く)