太田述正コラム#14270(2024.6.12)
<板垣退助『立國の大本』を読む(その8)>(2024.9.7公開)
「・・・かの欧米各国は人種的感情といへる先天的の病に囚はれ、東洋人と根本的に利害を同うせざるが故に、其外交策は権謀術数を用ゐざるを得ざるの弊に陥るも、我邦と支那とは同じく後進を以て国を登用に立て、其境遇、利害を斉うするを以て、毫も権謀術数を用ふるの必要なく、互に衷心より相親和することを得ることこれ也。・・・
⇒このくだりの前半と後半は全く別の話であり、後半については誤りです。
「魯迅の小説・・・阿Q正伝<の>・・・主人公阿Qは,・・・愚かで力もないのに自尊心だけが強く,相手が弱いとみるとけんかをふっかけるが,たいていは負ける。しかし負けてやったのだと考えて優越感にひたり,その優越感が崩れると「自分で自分を軽蔑できた」と考え,大人物になったように思い込む。やがて辛亥革命の混乱のうちに,罪もないのに処刑される。観念的な操作であらゆる失敗を成功と思い込む「精神勝利法」,面従腹背,卑屈と傲慢の二面性など,封建植民地社会内における奴隷性格の典型といえる人物で,その後そのような性格の代名詞ともなった。」
https://kotobank.jp/word/%E9%98%BFQ%E6%AD%A3%E4%BC%9D-24620
ところ、当時の支那は、まさに阿Q達からなる社会だったのであり、彼らの相手をするにあたっては、いかなる国であろうと、権謀術数を用いるほかなかったのですからね。(太田)
例せばかの太平天国<(注6)>の乱の如き、明かにこれ満清朝廷の腐敗と専制に対する漢民族の自覚より来りたるものにして、若し真に支那の為めに謀れば欧米列国は当時に在て太平天国を助け、以て改革の功を成就せしむべかりし也。・・・
(注6)「一八五一年広西省にて挙兵、湖南・湖北・江西・安徽を経て五三年南京を陥れ、天京と改め首都とした。国号は、「周礼」大同思想の太平、「聖書」の天国に拠る。キリスト教思想を中国の伝統的社会観に結びつけ、男女平等・土地均分・清朝打倒などを掲げ勢力を拡大したが、内紛と、湘軍・常勝軍などに敗れ、六四年に滅びた。」
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欧洲人は、支那に於ては却つて意外にも専制にして固陋なる満清朝廷を扶け、兵を仮して以て新知識によりて勃興せんとする漢民族を圧服し去るに至れり。・・・
欧米人は・・・支那の自覚して文明国となるを厭ひ、殊に英国の如きは支那の勃興が印度の民心を刺戟し、其独立を促進するに至らんことを憂へ、力を尽して支那の革命運動を阻止するの情あり。
⇒ここは、間違ってはいるとまでは言えません。↓
「敗北したとはいえ,<太平天国>運動は近代以前の世界史上のいかなる民衆反乱もつくり得なかった高度に統一された組織と,多数の女性を含む独自の軍隊をつくって,十数年にわたって内部の封建勢力,ならびに新来の外国資本主義勢力に対して戦いつづけた。それによってこの運動は近代の中国革命の源流となった。民国革命の父孫文は第二の洪秀全と自称し,後者が免れなかった皇帝主義を批判しつつ,その清朝打倒と独立という課題を自覚的に継承しようとした。また太平天国時代の地主や官僚に対する農民の闘いは多くの歌謡や伝説によって民衆の中に語り継がれ,1920年以降のより自覚的な農民革命論を生み出す土壌を準備した。」
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しかし、太平天国内の諸勢力の抗争が始まり、「これに乗じて曾国藩が儒教と伝統的秩序の擁護をかかげて,湖南の儒者・地主を中核に組織した義勇軍(湘(しよう)軍),ついで李鴻章が安徽で組織した淮(わい)軍が攻勢に転じ<るや、>・・・イギリス以下の列強は,初期の中立政策を放棄し,1860年以降,天京以東の江蘇・浙江省に新たな活路を求めて進出してきた太平軍に,上海,寧波などで武力攻撃を加え始めた」(上掲)という経緯を踏まえれば、板垣は、欧米列強を非難する前に、漢人達の、阿Q性に基づく足の引っ張り合いをこそ、問題にしなければならなかったのです。(太田)
斯(かく)の如きは欧米列強が人種感情に囚はれて根本的に支那と利害を同うせざるが為めに、其外交政策に於て権謀術数を弄するの已むを得ざるを証する所の一例なるが、爾来欧米列強が支那人の自大思想の弱点に乗じ、其遠交近攻の伝習的政策に策応し、毫も支那の根本的改善を図らずして、却て之を愚弄し、事毎に権謀術数を用ゐて、其国権を削弱し、其領土を奪ひ、其利権を掠めたるもの、実に枚挙に遑あらず。」(62~63)
⇒ようやく、漢人達に対する批判的表現が出てきたけれど、「自大思想」だけでは余りにも不十分です。(太田)
(続く)