太田述正コラム#14274(2024.6.14)
<板垣退助『立國の大本』を読む(その10)>(2024.9.9公開)
「蓋し予の見る所を以てすれば、日支両国は啻に其境遇、利害を同うするのみならず、固より同種同文の国にして、其家族制の点に於て社会組織の根底を同うし、其米食人種たる点に於て生活の基礎を同うし、随つて風俗習慣の相似たるものありて、国民互に相理解し得る点に於て極めて好適なる地位に在り。
⇒モンゴロイドという点では同種と言えても、漢字を使っているだけで同文とは決して言えませんし、家についても、支那のは家というより私の言うところの一族郎党であるという点まで持ち出さなくても、どちらも男性優位ながら、支那の場合は兄弟平等分割(注8)、日本の江戸時代~戦前においては長男相続(注9)だった点で異なりますし、支那では、基本的に権力の中枢が置かれ続けた北方は米食ではなかった上に、南方は米食だったと言ってもジャポニカ米ではなくインディカ米が中心でしたし、いずれにせよ、支那は私の言う普通人の社会であるのに対し日本は私の言う縄文人の社会なのですから風俗習慣は丸で違います。
板垣の支那観は、当時の日本人の平均的「偏見」そのままだと言っていいでしょう。(太田)
(注8)「伝統<支那>においては多くの場合、家父の死によって・・・兄弟間で平等に家産を分割するということが行われたのである。」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/239360/1/shirin_079_1_124.pdf
(注9)「長男相続がわが国に確立されたのは、足利中期以後であったとされている。しかし、この制度が完成したのは、江戸時代にはいって、武士の相続法として、採用されてからであった。・・・武士以外の農・工・商も、明治8年(1875)の太政官指令で、華士族と同様長男相続に従えということで明治民法に引継がれ、新民法が生れるまで維持されたのである。」
https://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/T12_C01_S01_1.htm
(注10)小麦、とうもろこしの生産が多い北方では、饅頭や餃子等の「麺食」(小麦粉で作った食品の総称)を、インディカ米の生産が多い南方では、ご飯やビーフン等を主食とし、沿岸部では魚料理が多い。」
https://www.maff.go.jp/j/study/syoku_mirai/03/pdf/ref_data2-3.pdf
是故に両国は互に相提携扶翊して、其国防の如きも、支那は大陸国なるが故に大陸の軍備を負担し、日本は海国なるが故に海上の軍備を負担するといふが如く、両者互に其務を分ち、共同の軍備を為す時は、其費す所尠くして其利する所極めて多きものあり。
⇒そんな言葉を遺すとは、(後述するところから)困ったものです。(太田)
又た憲政の基礎たる選挙法の如きも、其家族制にして社会組織の根底を同うせる共通の点を利用し、家長選挙法を用ゐ、以て秩序ある進歩を遂げしむる時は、最も徹底したる代議政体を造出することを得べし。
⇒支那の方に言及するまでもなく、既に示唆したように、日本の場合、激変緩和措置であった武家の家制度の恒久化を唱える板垣はアナクロそのものです。(太田)
斯の如くにして日支両国は内は即ち儒教に基きて世界に於ける特殊の文明を形造り、外は即ち国際間の徳義と世界の通義に則りて、人道を基礎とし、欧米先進文明国と平和の競争を為し、以て経済上の発展を図る時は、両国の前途は決して悲観するを要せざる也。
⇒結論だけは間違っていないけれど、(私は支那を形作ってきたものすら儒教よりも墨家の思想だと考えている(コラム#省略)ところ、)典拠を付すまでもなく、日本を形作ってきたものは、断じて儒教なんぞではありません。(太田)
日支両国が俱に亜細亜人種の国を成せるものとして、其境遇を同くし利害を一にし、必らず相倚り相輔けて進まざる可らざるの運命を有すること斯の如し。思ふに両国は相団結するによりて利あるも、相離るゝ時は忽ち白皙人種の圧迫を受けて、滅亡の危険に陥ることを免るべきにあらず。」(73)
⇒板垣がこんな言葉を遺したのは、欧米において黄禍論を掻き立てかねず、百害あって一利なしです。
杉山構想の完遂過程でも、引き続き帝国陸軍は支那を辱め続けたところ、その目的は、もはや支那を覚醒させるためではなく、終戦後に成立するであろう中共に、対日批判、日中離間の材料を与えるためだった、そして、それは、支那が少なくとも東アジアの覇権国(、インドが少なくとも南アジアの覇権国、)になるまでの間、欧米において黄禍論を再喚起させないことを目的とするものだった、というのが私の見方(コラム#省略)なのです。(太田)
(続く)