太田述正コラム#14286(2024.6.20)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その4)>(2024.9.15公開)

 「信淵のかくの如き思想は、儒学・蘭学の素養に加うるに国学の研究から生れてものであり、甚だ多くを平田篤胤<(注5)>の学問に負えることは・・・彼自ら語るところによって明白である・・・。・・・
 国学は言うまでもなく日本独創の哲学であり、近代日本の国民的統一の理想を国民の心に抱かしめたことは、吾らの最も記憶せねばならぬ事実である。・・・
 東亜新秩序または大東亜共栄圏の理念は、決して今日事新しく発案されたものでない。
 そは近代日本が国民的統一のために起ち上れるその時から、綿々不断に追求し来れるものに外ならない。」(15~16)

 (注5)1776~1843年。「秋田藩士・・・の子。・・・本居宣長の生前に入門したと自称、宣長の学問を古道学と規定し、その後継者をもって自任した。しかし、その文献学的方法は継承せず、日本にのみ正しく伝わった古道を明らかにするという目的のみを共通としたが、宣長が古道を古代の事実とみたのに対して、篤胤は現実的規範と見立てるなど、思想、学問の性格には差異が大きい。その違いは初期の『古道大意』『俗神道大意』(1860)などにすでに現れているが、彼の学問が独特の姿を現すのは、天(あめ)・地(つち)・泉(よみ)からなる世界の始まりを説明して、人は死後、宣長のいうように夜見(よみ)に行くのではなく、大国主(おおくにぬし)神の支配する幽冥(ゆうめい)に行くとして死後の安心を説いた、1812年(文化9)の『霊(たま)の真柱(みはしら)』においてである。このことは、一方では本居門のひんしゅくを買ったが、独自の立場を確立して自信を深めた彼は、インド、中国さらには西洋の神話・伝説をも用いて世界の成り立ちを解明しようとして、『印度蔵志』『赤県(から)太古伝』などを著し、また幽界に往来したと称する少年や別人に生まれ変わったという者の言をも信じ、そこから直接幽界の事情を研究して『仙境異聞』(1822成立)『勝五郎再生記聞』などを書いた。こうして篤胤は宣長の影響を完全に脱し『霊の真柱』の主張を推し進めて、「此世(このよ)は吾人(われひと)の善悪(よきあし)きを試み定め賜はむ為に、しばらく生(あれ)しめ給(たま)へる寓世(かりのよ)にて、幽世(かくりよ)ぞ吾人の本世(もとつよ)」であるとの考えを核心とする『古史伝』を著述するに至る。『古史伝』は未完に終わるが、そこには天主教書の影響があるといわれる。篤胤の思想はむしろ在来の神道思想の系譜を引くものであり、垂加(すいか)神道に対抗するものでもあったが、その実践的な学問は多くの人の支持を受け<た。>」
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 「天主教<は、支那>におけるイエズス会を中心とした旧教(ローマ・カトリック)の総称。・・・<支那>に渡来したキリスト教としては,唐代の景教,元代の也里可温教などがあるが,組織的に伝道活動を展開し,<支那>の宗教界,学術界に大きな影響を与えたのは,イエズス会のマテオ・リッチ(<支那>名は利瑪竇(りまとう))が1582年(万暦10)に来た明代末期以後のことである。・・・
 イエズス会では,《書経》《詩経》にみえる〈上帝〉を天主と同義と解釈した。そこで,上帝を天と同義と解釈する中国奉教士人は,天主=上帝=天と解釈してキリスト教に入信し,キリスト者として生活することを〈上帝に事(つか)える〉ものと理解して,このイエズス会の天主=上帝論が上帝=天論に横すべりしてキリスト教の本旨がくらまされてしまうことにドミニコ派,フランチェスコ派は強く反対し,〈上帝〉を天主の意味で用いることの禁止を訴えた。また,祖先崇拝,孔子崇拝,世俗権力との関係などをめぐって,ローマ教皇,清朝皇帝をまきこんで激しい論争を展開した。いわゆる典礼問題である。1723年(雍正1)雍正帝は禁教令をもってこの争いに決着をつけた。イエズス会の<支那>文化史に果たした役割は,布教活動と並んで西欧の学問,自然科学の成果を大量に中国に紹介したことである。」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E4%B8%BB%E6%95%99-102432

⇒宣長らの国学を私は哲学だとは思いませんが、「国民的統一の理想を国民緒心に抱かしめたことは」私も否定しません。
 しかし、篤胤のは国学とは言えず、宗教であり、しかも、妄想に立脚した宗教にほかならず、その宗教の形成にカトリシズムの影響があったとすれば、それは、篤胤の一世代ほど後に支那で出現したところの、太平天国の乱で有名な洪秀全(1814~1864年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E7%A7%80%E5%85%A8
の拝上帝会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9D%E4%B8%8A%E5%B8%9D%E4%BC%9A
と同工異曲のカルト、で終わりでしょう。(太田)

(続く)