太田述正コラム#14292(2024.6.23)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その7)>(2024.9.18公開)

 「日本は先ず琉球の所属問題を解決して之を確実なる領土となし、琉球を廃して沖縄県を置いた。
 幾多の紆余曲折の後に韓国との間に特殊の親善関係を結んだ。
 日清戦争の勝利によって台湾を版図とした。
 日露戦争によって明治初年に失える樺太の南半を回復し、かつ南満の諸権益をロシアより接収した。
 次で日韓合邦によって鶏林八道〔朝鮮の異称〕の蒼生〔多くの人々〕を皇民とした。
 而して最後に満州事変によって、満州帝国の建設を見るに至った。
 日本のかくの如き発展は、決して単なる領土的野心の追求でない。
 吾らの最も銘記せねばならぬ一事は、それが常に東亜新秩序<(注11)>確立のための準備として行われてきたということである。・・・

 (注11)「公的には1938年(昭和13)11月の近衛内閣によるいわゆる「東亜新秩序」声明を端緒とし,以後,日本の外交政策の中心的なスローガンとなる。日・満・華の互恵平等の結合関係の設定と,経済的・政治的協力によって東アジアに新しい国際秩序を築くことが日中戦争の目標であるとした<。>」
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%96%B0%E7%A7%A9%E5%BA%8F-103035

⇒「注11」からも、東亜新秩序にも理念めいたものを伺うことはできませんが、いずれにせよ、コーランを翻訳したことで知られるにもかかわらず、大川
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E
は、イスラム教の理念になど興味はなかった、ということなのでしょう。単に、「決して単なる領土的野心の追求でない」と言いつつ、日本の領土的拡張に係る理念的なものを全く語っていないのですからね。(太田)

 大西郷は常に下の如く言っていた–『日本は支那と一緒に仕事をせねばならぬ。それには日本人が日本の着物を着て支那人の前に立っても何にもならぬ。日本の優秀な人間は、どしどし支那に帰化してしまわねばならぬ。そしてそれらの人々によって、支那を立派に道義の国に盛り立ててやらなければ、日本と支那とが親善になることは望まれぬ』」(17~18)

⇒このくだりの典拠を突き止められませんでしたが、これも、典拠は定かではないけれど、「西郷はこんな内容を語っています。「人間が知恵を働かせるのは、国家や社会のためである。そこには人としての道がなければならない。電信を設け、鉄道を敷き、蒸気機関を造るにしても、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、必要の根本を見極めておかなければ、開発のための開発に追われてしまう。まして外国の盛大を羨んで利害損得を論じ、家屋から玩具に至るまで外国の真似をして贅沢の風潮を生み、財産を浪費すれば、国力は疲弊し、人の心も軽薄に流れ、結局は日本そのものが滅んでしまうだろう」<。>人が行うべき正しい道 、つまり「道義」を重んじた西郷らしい言葉ではないでしょうか。」
https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4536
という西郷の主張からすれば、西郷の道義は、単に、貪欲、浪費を戒めた、世間常識程度のものである以上、西郷にもさしたる理念はなかった感があります。(太田)

(続く)