太田述正コラム#3065(2009.1.30)
<皆さんとディスカッション(続x383)>
<おーつか>
 NATOの元大西洋軍最高司令官ジャック・シーハン将軍が、「英国はトライデント武装体系を放棄し、核軍縮で指導性を発揮するべきだ」と、語ったそうです。
 また、
 「シーハン将軍の発言には、他の退役高級軍人たちからも賛同の声が寄せられている。たとえば、陸軍元帥ブラモール卿、将軍ヒュー・ビーチ卿によれば、核兵器は高価過ぎ、しかもほとんど役に立たないという。
 また、将軍ラムスボタム卿は、200億ポンドという莫大な支出は問題視されるべき
だと、BBCに語った。」
http://homepage1.nifty.com/thinkbook/GeneralForTridentRethink.html
とのこと。
 アングロサクソン的に核の(いささか一方的な)放棄というのはありうるのでしょうか?
<太田>
 サッチャー政権時代の野党時代の英労働党は、まさに一方的核軍縮政策を掲げていました。(典拠省略)
 決してありえない話ではないと思います。
<ドイツゲーマー>
以下、太田述正コラム#3063のNelsonさんの反論を受けてのものです。
1形式的責任について
天皇が主権者であったというのはお認めになるのですよね?だとすると議論はそこで終わるように思いますが、一応「左翼の法学者」さんになったつもりでコメントします。
>「天皇は政治の最高責任者だった」とは明治憲法に明記されていません。天皇の大権行使の責任は各国務大臣がその責任を負うんです(明治憲法55条)。
法律について全くの素人なので教えていただきたいのですが、後文は例えば専門家の間で一般的な解釈なのですか?明治憲法55条には、
「第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」
とあるようですが、「大権行使の責任は天皇にはない」というNelson説は、この一文だけによっているのでしょうか?この文を素直に読む限り、各国務大臣はあくまで「其ノ=輔弼の」責任を負い、よって大権行使の「主たる」責任は天皇にある、と解釈する方がしっくりきます。そもそも、憲法の前段で列挙されている大権は、(少なくとも形式上は)天皇が主体的に行使するという形で書かれており、私の解釈と整合的です。(以上
http://www.houko.com/00/01/M22/000.HTM 
ただし引用符は筆者)
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ「統治ス」
第4条 天皇ハ国ノ「元首」ニシテ「統治権ヲ総攬」シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ「之ヲ行フ」
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ「立法権ヲ行フ」
第6条 天皇ハ「法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」
第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ「任免ス」…
第11条 天皇ハ「陸海軍ヲ統帥ス」
第13条 天皇ハ「戦ヲ宣シ」和ヲ講シ及諸般ノ「条約ヲ締結ス」
>現行の法体系の大臣の責任と明治憲法下の天皇の責任をなぜ同一視するんです か?
上記のような理由で、同一視しないという主張の方がむしろ私には不思議です。
2実質的責任について
>断定ならば、重要な局面で立憲君主を順守した昭和天皇が安全保障政策に相当程度関与し、それが天皇の実質的責任を構成することを証明する根拠を示してください。
天皇に責任を認める主張、認めない主張、どちらであっても、観察されたデータと矛盾しないというのが面白いんですが… ですから、そのように反問されるということは、「左翼の法学者」さんの主張や河野先生の模擬授業の面白みが果たして伝わっているのだろうかと不安になります。(なお、「左翼の法学者」さんは、終戦間際の隠蔽工作を疑ってもいました。)
それから、限られたデータから真実を推定しようというのは、社会科学において当然のやり方で、「議論になりません」と断ずるほど間違ったものではありません。例えば『社会科学のリサーチ・デザイン―定性的研究における科学的推論』G.キング、R.O.コヘイン、S.ヴァーバ(勁草書房)などをご参照ください。
>2・26事件とポツダム宣言受諾の2つの聖断がなぜ天皇の実質的戦争責任につながるのですか?
もう一度わかりやすく言うと、「2つの聖断というデータを見ると、天皇は、非常時に(自分の望みに反する場合には特に)拒否権や提案権を行使しているではないか、よって、内閣が日常的に遂行した政策は、全て天皇の意思を反映して(少なくとも忖度されて)いた可能性が濃厚だ」という仮説が、いま「左翼の法学者」さんの主張から導かれます。真実か否かは別として、私には大変興味深かったのです。しっかり検証するには、太田さんがやられたような意思決定過程の詳細な分析が必要になるでしょうね。
>なんと、本日のディスカッションは、女性お二人の大活躍でしたね。(太田さん)
ちなみに、「左翼の法学者」さんも女性です(笑)。
<太田>
 ふつつかながら、Ms.Nelson に成り代わり、一点だけお答えさせていただきます。
>天皇が主権者であったというのはお認めになるのですよね?だとすると議論はそこで終わるように思います
 終わりません。
 例えば英国の場合、女王はsovereignであり、国民は女王のsubjectですが、女王は無答責であること(典拠省略)を思い出して下さい。
 帝国憲法の解釈においても、
「・・・天皇機関説は、統治権の意味では国家主権、国家最高決定権の意味では君主主権(天皇主権)を唱えるものである。・・・天皇機関説は・・・美濃部達吉によって、議会の役割を高める方向で発展された。すなわち、・・・天皇主権<(=国家最高決定権の意味での君主主権)>より統治大権<(=統治権の意味での国家主権)>を重視し・・・国民の代表機関である議会は、内閣を通して天皇の意思を拘束しうると唱えた。・・・美濃部の天皇機関説は学界の通説となった。民本主義と共に、議院内閣制の慣行・政党政治と大正デモクラシーを支え、また、美濃部の著書が高等文官試験受験者の必読書ともなり、大正時代半ばから昭和時代の初期にかけては、天皇機関説が国家公認の憲法学説となった。この時期に摂政であり天皇であった昭和天皇は、天皇機関説を当然のものとして受け入れていた。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%AC
のでした。
 昭和天皇にしてみれば、これは当然です。
 というのは、歴代天皇同様、天皇制の存続を至上命題とする天皇とすれば、天皇は無答責(政治に責任を負わない)でなければならないのであって、美濃部流の天皇機関説が、帝国憲法下において、天皇の無答責の最も明快な根拠を提供してくれたからです。
 そして、前回ご説明したように、(国家の最高機関たる)昭和天皇が、帝国憲法下において、一貫して天皇機関説を遵守し続けたことから、私は、大正デモクラシー以降の戦前の日本においては、一貫して天皇は無答責であり、かつ政体は民主主義的(民本主義)であったと言わざるをえないと考えているのです。
 なお、このような意味においては、私は、現行憲法下においても、天皇の地位と権限に基本的な変化はないとも考えています。変わったとすれば、現在の政体が民主主義的ならぬ民主主義である、という一点くらいでしょう。
 現在でも天皇は、(少なくとも対外的には(注))日本の元首であり、日本の国家最高意思決定者・・国事行為を行う者・・です。
 (注)これは、例えばオランダの国王のケースと同じだ。the King ・・・is ・・・not the Head of Government ? the Netherlands have none ? but he is normally treated that way abroad.
http://en.wikipedia.org/wiki/Constitution_of_the_Netherlands
 にもかかわらず、日本国憲法前文と第1条で、天皇は主権者ではなく国民が主権者だ、すなわち日本は立憲君主国ではない、としているのですから、この憲法は自家撞着的憲法であると言うべきでしょう。
<Nelson>
 当時の陸軍省/参謀本部はなぜ本来の職務を果たさなかったのでしょうか?組織自体が腐敗してたんですかね?
 帝国海軍と比べて、帝国陸軍はやはり見劣りしますね。
<太田>
 話はそう簡単ではありません。
 当時の比較的若年の日本人男性の大部分が陸軍の一員としての経験をしたところ、もし陸軍が腐敗していたのなら、そんな組織で「育った」人々が担ったところの戦後日本において、経済が高度成長したはずがありません。
 戦略情報共有、御神輿経営、下克上等の属性を持つ日本型経済体制のエートスは、陸軍のおかげで広く日本人一般の間に普及した、というのが私の見解です。
 問題は、この体制は、軍事においては使い物にならないことです。
<NT>
 –昭和天皇の責任–
 この前の戦争責任について、いろいろ議論されています。
 私が思うには、昭和天皇には責任はありません。
 が昭和天皇は責任を取ろうとされた。
 (マッカーサー会見時)それまでに近衛文麿は自殺し、或いは軍の将軍達は切腹などで死にました。つまり死んでお詫びをしたのでしょうが、責任からは逃れたといえます。誰か生きてこの戦争の責任を取らなければなりません。昭和天皇は、自分で責任を取ったのです。
 マッカーサーは会見時、天皇はどのみち命乞いに来たのだろう、と思いましたが、そうではなく、天皇は「このたびの政治、軍事にかかわる一切の責任は自分にある」とマックに申し入れました。(マッカーサー回想録)
 マックは会見の前に報道の記者達に写真撮影をさせました。ノーネクタイのシャツ姿です。天皇はモウニングに威儀を正した姿でした。
 しかし会見後マッカーサーは正装にて天皇を玄関まで見送りました。会見の内容に感動したのです。たった一人で敵の親玉に命を委ねに来た。そのことに敬意を表したのでしょう。
 その後東京裁判等ありましたが、天皇は63年と一週間ほど在位された。
 中曽根首相のとき、ご在位60年の式典がありました。大勢の参列者の前、一人正面祭壇に向かわれていた天皇の眼から涙が流れていました。
 参列者は気が付きません。TVで見ていたものは判りました。
 この涙をなんと見るか人それぞれでしょう。
 戦後40数年生きて責任を取られたと私は思います。辛かったであろう、と拝察するのみです。
<植田信>(http://www.uedam.com/ota91.html
 –戦後日本人の判断不能はどこから出てきたのか–
 本日<1月8日>の太田氏のサイトに田母神解任の話題が出ています。
 まず、田母神氏のような人物がどうして出てきたか。
 いわく、
 「日米安保体制と集団的自衛権行使の禁止を含む政府の憲法解釈の下で、戦後の日本は自ら進んで米国の保護国(属国)となって外交・防衛の基本を米国に委ね、現在に至っています。
 その米国が日本列島だけでなく、朝鮮半島(韓国)にも米軍を配備していて、そこに韓国軍も存在していることから、軍事地政学的に言って、自衛隊の有無いかんにかかわらず、日本列島への軍事的脅威など(核の脅威を除いて)存在しないのです。
 また、集団的自衛権行使が禁止されているため、(宗主国アメリカの「指示」の下、)自衛隊を海外派兵する道もまた閉ざされています。
 この結果、自衛隊員は、災害派遣や危険のない場所でのPKO等、自衛隊でなくてもできる非軍事的な活動を除き、その成果を生かす機会がほぼゼロであるところの、むなしいこと限りない軍事的な訓練・演習に明け暮れる生活を送っているわけです。
 このような背景の下では、自衛隊に守屋前防衛事務次官や、田母神前空幕長のような人物が出現するのは、そしてそんな幹部に率いられる自衛隊で不祥事や事故が頻発するのは当然である、自衛隊はこの種の機能障害を起こすように制度設計されている、と認識すべきなのです。」
 では、どうしたらいいか。
 太田氏の対策提案です、
 「では、一体われわれはどうしたら、守屋や田母神氏ような人物の出現を防ぎ、自衛隊の不祥事や事故の連鎖を断ち切ることができるのでしょうか。
 それには、田母神氏が論文でつけ足し的に触れているところの、日本が米国の属国であると言う問題と集団的自衛権が行使できないという問題を直視するところから始めなければなりません。
 そうすれば、次の二つのオプションが自ずから導き出されるはずです。
 オプションの1の基本は、自衛隊を全廃し、日本を米国と合邦させることです。
 オプションの2の基本は、集団的自衛権の行使を禁じる政府憲法解釈を変更した上で、日本の米国からの独立を果たし、日本をその外交防衛の基本を自ら考え実行する主体にすることです。
 このどちらかを、われわれは選択しなければならないのです。」
 太田氏の提案はその通りですが、残念ながら、日本人はどちらも選択できないでしょう。
 というか、それが戦後60年の現実でした。
 これからも当分、選択できないでしょう。
 だから、自分から進んでアメリカの属国になっているのに、アメリカはけしからん、というわけのわからない議論が続くでしょう。
 そこで考えるべきは、なぜ戦後の日本人は判断不能になったのか、です。
 この疑問を考えると、私には、吉田茂の存在がますます大きなものに見えてきました。
 ジョン・ダワーの『吉田茂とその時代』を再読しているところです。
 終戦の時点でこの人は67歳でした。
 死んだのは1967年です。ビートルズの「サージェント・ペパーズ」が発売された年です。なんと最近の出来事だったのか、と私には驚きです。
  生まれたのは1878年でした。明治11年です。奇しくも吉田茂の先祖にあたる大久保利通が暗殺された年でした。先祖といっても血のつながりはなく、養子縁組(竹内の子供として生まれたが、生後9日目にして、吉田家に養子となる)と、結婚(外務省に入省後、牧野伸顕の長女・雪子と結婚。牧野は大久保の二 男)によって大久保利通の家系の一員に入りました。
 吉田茂は戦前の体験のほうがずっと長い人でした。
 その視点から、アメリカ軍の占領政策を観察し、自分で日本国の政治の運営に携わりました。
 太田氏が提案する選択ができないでいるところの、戦後の日本属国体制を作ったのが、この人でした。
 戦後の日本人は選択できないので、吉田茂が決めた戦後の体制の中で、今も生きています。
 <以上をまとめると、「>戦後の日本人の判断不能は、国体問題である・・・。戦後の日本国の国体をどうしたらいいのか、これが戦後の日本人にはわからないので、当座のところ、アメリカに依存しておこう、というのが戦後の日本・・・。結果として、日本<は米国の>属国となってい<る」となります>。
 日本が属国であるという点は、90年代から副島隆彦氏が主張しています。
 00年代に入って、太田述正氏が日本属国論の論陣に加わりました。
  ただし、日本属国論では両者は同じであるとしても、太田氏の場合は、そうしているのは日本人自身である、という立場です。具体的には、占領軍の「逆コー ス」と偶然歩調がそろった吉田茂・元首相がたった一人で署名したサンフランシスコ条約から始まる「吉田ドクトリン」です。日本の安全保障をアメリカに丸投 げする、と。
 以上の点は、この掲示板の訪問者の皆さんにとっては周知されたこととして、話を進めます。
 ここで、先月25日に菊地さんが提起された問題が、日本属国論とドッキングです。
 「ところで、〈天皇人間宣言〉です。わたしは以前から、
 アンセルムス『クール・デウス・ホモ(なぜ神が人に)』
 三島由紀夫「などてすめろぎは人間となりたまひし」
この2つはセットだと思っていたので、よくある〈人間宣言〉への反発意見(天皇がカミ性を否定したのはよくなかった論)を見ると、いつも首をひねりたくなります。
 天皇の〈人間宣言〉=「私は偽メシアでした」宣言、という見方なのだろうか。
 …いや、実際にそう見てる人は多いようですが。
 少なくとも、私はweb上では三島とアンセルムスを一緒に論じている文章を見たことがないです。といっても、私は三島は守備範囲外なのですけれど。
 安倍元総理や麻生総理にちょっと聞いてみたい事柄です。」
 (菊地さんの原文は、このホームページのゲスト・コーナー
http://www.uedam.com/gkikuci.html
に出ています。)
 この問題提起のうちの、三島由紀夫事件とは何だったか、です。
 これが、日本属国論の核心である、となります。
 三島由紀夫が自決する日に自衛隊員を前にしてスピーチした「檄文」の最後のところにこうあります。
 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ」
 (ウィキペディアで檄文の内容を探したのですが、見つかりません。三島関連の本には、たいてい掲載されていると思うので、各自、そちらで確認してください。)
 その通り。
 三島の視点からは、戦後の日本は、国体が崩壊した国家となった、と映りました。
 それが、「生命以上の価値なくして何の軍隊だ」!! です。
 ま、ここは自衛隊は憲法上、軍隊ではないので、三島はとんでもない誤解をしていました。
 しかし、訴えていることはわかります。
 私たちの理解の枠組みでは、戦前の国体が崩壊した今、日本人は、日本国が何であるかわからず、戦後ずっと漂流している、ということです。
 漂流する日本丸が、かろうじて錨を置いているのが、ワシントンです。
 というわけで、三島由紀夫にとっての「なぜ天皇は人となったか」という問題は、キリストとは異なり、日本国の国体の問題である、と結論できます。
 そして三島事件とは、明治政府が作った「明治国体」が消えたことへの怨念が引き起こしたものでした。
 明治国体を葬ったのが、昭和天皇の人間宣言です。
 三島の解釈では、そうでした。
<太田>
 植田さん、人間宣言を扱ったコラム#2973(本日公開)をぜひお読み下さい。
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太田述正コラム#3066(2009.1.30)
<米帝国主義について(その1)>
→非公開