太田述正コラム#14300(2024.6.27)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その11)>(2024.9.22公開)
「・・・いま吾らは、アジアの桂冠詩人にしてインドの忠僕たりしラビンドラナート・タゴールが、既に20年以前にマンチェスター・ガーディアン紙の特別通信員に向って、憚るところなく日本は当然アジアの指導者となるであろうと公言して、下の如く告げたことを想起する–『日本がアジアを糾合し、かつ之を指導するを以て国家の使命と考えることに何の不思議もない。
ヨーロッパ諸国はその間に幾多の相違あるに拘らず、その根本的観念ならびに理解において正に一国である。彼らのヨーロッパ以外の国民に対する態度は、これを一大陸といわんよりは寧ろ一国というを至当とする。例えば仮に蒙古人種にしてヨーロッパ大陸の片土を犯すとせよ、然らば全欧は挙(こぞ)って之が撃退に協戮するであろう。日本は<こう>することができぬ。日本一国を以て連合せるヨーロッパ列強と角逐するは、たまたまその滅亡を招(お)ぐ所以である。さればとて日本は真個の味方をヨーロッパに求めることは難い。然りとすれば日本がその味方をアジアに求めることは当然である。日本が自由なる暹羅<(注19)>(シャムロ)、自由なる支那、而して恐らく自由を得ずば止むまじきインドと提携するに何の不思議があるか。提携して起てるアジアは、仮に西亜のセム民族〔中東・西アジアなどのセム系言語を使う人たち〕の協力を除外しても、まことに力ある連合である。固よりかくの如きは遠き将来のことであろう。その実現には幾多の困難が横わるであろう。言語の相違、交通の困難も障碍となろう。さりながら暹羅より日本に至るまで、そこには親近なる血縁がある。
⇒インド亜大陸の人々とは、血縁など、なきに等しいと言っていいでしょう。(太田)
(注19)「シャム(タイ)の古称。暹国と羅国が合体して一国を形成し、のち暹が吸収したため、「暹羅」でシャムを表わす。」
https://kotobank.jp/word/%E6%9A%B9%E7%BE%85-76309
インドより日本に至るまで、そこに共通なる宗教あり哲学がある」と。
⇒仏教は、支那では振るわなくなっていて、インド亜大陸ではほぼ絶滅状態になっていましたし、哲学なぞ、それが形而上学のことだとすれば、アジアにたとえその類のものがあったとしても、そんなものは我々にとって基本的に不要です。
タゴールがここで主張していることには、私にはことごとく違和感があります。
私見では、当時の日本の日蓮主義者たるアジア主義者達が抱いていたのは、被搾取の程度いかんに関わらず、外国の植民地や保護国である世界中の(日本とは異なる)様々な地域を解放すること、すなわち、それぞれの地域の人々に地域の基本的事項についての自主決定権を取り戻させること、それ自体が望ましい、という思いだったのです。(太田)
最も激しき支那の抗日要人も、恐らくその心の奥底において、タゴールの言葉に含まれたる真実を肯定するであろう。」(20~21)
⇒大川が引用したタゴールの言がいつの時点のものか、定かではありませんが、タゴールが、「1916年に<初>来日し、日本の国家主義を批判した。・・・1924年の3度目の来日の際に<は、>第一次世界大戦下の対華21か条要求などの行動を「西欧文明に毒された行動」であると批判し、満洲事変以後の日本の軍事行動を「日本の伝統美の感覚を自ら壊すもの」であるとしている。タゴールは<支那>について、「<支那>は、自分自身というものをしっかり保持しています。どんな一時的な敗北も、<支那>の完全に目覚めた精神を決して押しつぶすことはできません」と述べた。・・・1929年を最後に、タゴールは来日することはなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB
といったことを完全に無視した大川の筆致には呆れざるをえません。(太田)
(続く)