太田述正コラム#2979(2008.12.17)
<セックス中毒(その2)>
4 セックス中毒女性二人の自伝
 米国で立て続けに、セックス中毒経験者の女性二人の自伝が出版されました。
 スーザン・チーヴァー(Susan Cheever)(1943年~)の”Desire”とラチェル・レズニック(Rachel Resnick)(1963年~)の”Love Junkie”です。
 彼女達がどんなことを書いているかをご紹介しましょう。
 まず、チーヴァーからです。
 「セックス中毒は愛を不可能にする・・・
 ・・・あらゆる中毒は一つの中毒なのだ。中毒になるということは、モノ(substance)や活動(activity)それ自体というよりは、気分の転換(mood addiction)に係る中毒になったということなのだ。・・・
 2002年から2005年の間の50から59歳までの成人における非合法薬物使用率はほとんど2倍になった。白人の中年の米国人は米国でヤク漬けの割合が最も急速に増えつつある人々なのだ。・・・」
http://www.latimes.com/features/books/la-et-book8-2008dec08,0,7262059,print.story。  
(12月9日アクセス)
 
 「・・・長期にわたる不倫相手が私の三番目の夫になったが、彼は、粋な大酒飲みの・・・ジャーナリストだった。・・・
 中毒は、常に破られた約束を伴う。その約束は自分自身とのものか他人とのものかを問わない。自分自身ともう酒は飲まない、ドアマンとセックスはしない、と約束したとして、常にその約束を破ってしまうというのであれば、あなたはリハビリ・センターに行かなきゃいけない。・・・ 
 <セックス中毒の原因としては、>子供の頃のトラウマ、遺伝、社会、潜在的心理状況、長命、といった理論が頭に浮かぶ。
 一番最後の理論が私のお気に入りだ。
 7年目の浮気心が襲ってくるまでにあなたが死んでしまう時代には、奥方に誠実であり続けることは、より容易だったはずだからだ。
 結局のところ、これらの理論のすべてが正しい、というより、恐らくより正確には、これらの理論のそれぞれが少しずつ正しいのだと私は思う。・・・」
http://www.iht.com/bin/printfriendly.php?id=17822517
(12月13日アクセス。以下同じ)
 「・・・インターネットが世代横断的にたくさんのポルノ中毒を生んでいるのではないか。
 いずれにせよ、中毒に罹りやすい性格があるのであって、渇望の対象が食べ物かアルコールか薬かセックスかにさしたる違いはないのだ。・・・」
http://www.usatoday.com/life/books/reviews/2008-10-29-cheever-review_N.htm
 「・・・中毒者はストーリーをつくることにかけては天才だ。私の父親はまさにそうだった。・・・
 私は自分の人生を振り返ってみて、それが大冒険と熱情、と同時にトラウマと中毒の人生であったと実感する。・・・」
http://www.newsday.com/features/booksmags/ny-f5884799oct19a,0,6996315.story
 次にレズニックです。
 「・・・この本を、セックス中毒をテーマにしたところの、山あり谷ありのエロオモロイ回顧録だと思われるかもしれないが、実はこの本は、子供の時の虐待がどんなに人間を不可逆的に破壊してしまうかを示す、大真面目な物語なのだ。・・・」
http://www.bookslut.com/nonfiction/2008_10_013646.php
 「私が恋におちるのは、決まって私の父親の面影のある男達、つまりは危険な男達だった。私は彼らとは約束を守れなかったし、彼らはまた、私を捨て、私を裏切ったものだ。もちろん彼らは、魅力的かつ恵まれた資質を備えて私の前に立ち現れるわけだ。
 他方、私を姉妹的愛、守ってあげたいという気持ち、からかいたくなる気持ち、そして深く永続的な愛情、で充たすのは、私の兄弟の面影のある男達だった。・・・
 私が男が欲しくなるのは、ヤクが欲しくなる中毒者と同じことだ。・・・
 セックス中毒者は、セックスを愛と勘違いする。セックス中毒者はまた、感情的な痛みを聖なるものと、そして拒否されると、それを、もう一度求めておいでと言われたかのように、そして時にはもっとおねだりしなさいと言われたかのように、思い違いをする。セックス中毒者は、このような思い違い人間なのだ・・・」
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/12/12/DDKQ14F76O.DTL
5 終わりに
 性的禁忌が、アングロサクソン世界に比べると少ないはずの日本で、セックス中毒が論じられることがなく、当然セックス中毒クリニックもなく、セックス中毒経験者の女性が回顧録を書くことなんてありえない、というのは、一体どうしてなのでしょうね。
 
 最後に、ちょっとこのシリーズのテーマからはずれますが、
 「・・・米国の恋愛は「カジュアル」→「コミットメント」→「ステディ」→「エンゲージ」→「結婚」と進んで行くようだ。・・・」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20081216/180336/
(12月17日アクセス)
というのは興味深いですね。
 日本は、「恋愛」→「内縁」→「結婚」くらいのものだから、男女関係が単純って言えば単純ですね。
(完)