太田述正コラム#3077(2009.2.5)
<皆さんとディスカッション(続x389)>
<SF>
 –イラク人の気質–
 コラム#3073はじめ、最近のイラクへの言及を拝見していて思い出したコラムがありました:
http://tanakanews.com/d0117iraq.htm
 田中宇さんのコラムは論理展開と結論には首をひねることが多いのですが(結論ありきに見えなくもない?)、紀行文は興味深く読んでいます。
 イラクの皆さんには、なんとか世俗的な社会を築いていただきたいものですね。
<太田>
 米国の大衆が、米国が何百万人もの「土人」の死をもたらしつつも、民主的体制変革を米国が成し遂げた例として、イラクと並んで日本を引き合いに出し続ける、という悪夢が正夢にならないことを祈っています。 
<komuro>
 太田さん、#3073 でお返事頂き、ありがとうございます。
 最初読んだときは、ちょっと寂しい気持ちになりましたが。
 アマ三段と書いたのが気に障ったのだと邪推しました。
≫勝利に結びつかない創造性や芸術性など何の意味もありません。≪(コラム#3073。太田)
「勝利に結びつかない」とは、私は一言もいっていませんよ。
≫あなたの話を聞いていると、何だか大昔の升田贔屓で大山嫌いの人を思い出しますね。≪(同上)
 その通り、升田ファンでございます。
 「升田将棋の世界」真部一男著 の中にも大山名人のエピソードが出てきますが、圧勝の局面で見せた二上八段に対するイビリとしか思えない差し回しを見ただけでも、大山嫌いになれると思いました。
 ただ大山名人は、自分のライバルにならない棋士に対しては優しかったと書いてあります。
 あとNHK大盤解説は丁寧だったし、将棋の普及活動も精力的に行っていました。
 以前読んだ、千駄ヶ谷の将棋会館建設にあたって寄付金集めに奔走するエピソードは、大山名人の行動力の凄ごさを感じたものです。
≫…からこそ、人間同士の対局は面白いのだ、と反論されそうですね。≪(同上)
 私はプロが珍手や大ポカしたりするのも、大好きなんです。
 太田さんの書き込みを読み返してみて、「機械が人間を越えることで、<それを目指す人間が>いなくなる」と言いたいのかなと思いました。
 もし将棋ソフトが強くなることで将棋界が衰退するとしたら、将棋ソフトを作る人は強くすることをやめると思います。また、プロ側が協力を拒否するんじゃないかな。
 囲碁ソフトのほうは、まだプロには程遠い棋力(アマ初段クラス)ですが、マンガ「ヒカルの碁」で幾らか棋界が盛り上がったとはいえ、安心できる状況にありません。
 案外、外敵(中国、韓国、台湾)がカギを握っているのかもしれません。
<太田>
>アマ三段と書いたのが気に障ったのだと邪推しました。
 全くの邪推です。
 もっと単純に考えて見ましょうか。
 競技に関し、女子のプロが成立する条件は何であるかです。
 真剣勝負をやっているだけで食っていけるという意味での女子のプロが成り立っているのはゴルフとテニスくらいじゃないですかね。
 ゴルフとテニスどうして成り立っているかについての私の所見はあえて申し上げませんが、こんなに少ないということは、最強プロよりも強い将棋ソフトが生まれた場合、棋界がどうなるかを示唆しているように私は思うのです。
<親衛隊員>
 太田様、珊瑚海海戦が帝国海軍の最後の花道なんでしょうか。
 私はアマチュア戦史愛好家なのですが、「第一次ソロモン沖海戦」は日本の「戦術的勝利」とは言えませんか?人によっては完全勝利と絶賛する人もいますが。
 珊瑚海海戦の3ヵ月後に起こった戦闘ですよ。  
<太田>
 これはMs.Nelsonに指摘して欲しかったなあ。
 ミッドウェー海戦で大敗北を喫し、既に勝負あった後ですが、案の定、ソロモン海戦(1942年8月8日~9日)を持ち出しましたか(注)。
 (注)珊瑚海海戦:1942年5月8日。ミッドウェー海戦:1942年6月5日~7日
 この海戦は、そもそも空母と戦艦という、いわば飛車角落ち同士の海戦だった上に、「この海戦は日本側の戦術的勝利、戦略的敗北」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%B5%B7%E6%88%A6
だったことはご存じですよね。
 青史に残るかどうかは、戦略的勝利が得られたかどうか、すなわち作戦目的が達成されたかどうかが決め手でしょう。
 ソロモン海戦では、作戦目的であったところの敵輸送船団撃破が全くできなかったのですからアウチです。
 他方、ペリリュー島攻防戦や硫黄島の戦いにおいては、帝国陸軍は、敵に同等以上の損害を与えることによって敵の日本本土への侵攻を遅滞するという作戦目的を達成していますよ。
<Nelson>
≫結果的に南進論で国論は統一されたわけですから、「安全保障政策<は>一貫してい」たということになるのでは?≪(コラム#3075。太田)
 確かに、結果的にはそうですね。
≫それにしてもMs.Nelson、これからどんなお仕事をされるんですか?≪(同上)
 敢えて言えば、”海運関係”のお仕事ですかね。
 だから、ソマリア海賊に対する海上自衛隊の役割が気になったのでした・・・ 
 太田様自身について常々聞きこうと思っていたことがあるのですが・・・
 太田様は、いつ頃から、どういった理由で、「選挙に出て当選し政治家になり国政を変えること」から、「今のように在野の士として地道に国政を変える」方向に考えを転換されたのですか?
 やはり、一生在野の士として、活動されるつもりなんですよね?
 そこら辺のところが、前から気になってました~
<太田>
 気にしてくれてありがとう。
 一、2001年の選挙の最中から民主党とボタンの掛け違いが始まり、それが選挙後も続いた。(詳細は、まだ明らかにする時期ではありません。)
 二、議員になったとして、民主党等の政党に所属しなければ、議員としてまともな活動はできないが、特定の党に所属してしまえば、自由な発言ができなくなる。
 三、毎日インターネットで情報を集め、整理した上で発信していくこと自体が楽しくなった。コラムを通じて、直接利害関係のない、年齢、性別もさまざまな読者とインターネットを通じ、あるいはオフ会等で交流することも楽しい。
 
といったところでしょうか。
<遠江人>
 以前、太田流アングロサクソン論の紹介でも書かせていただきましたが、自分が負傷したり命を落としたりするという最大限のリスクを賭してもリターンのために戦うことを厭わないゲルマン人というのは、戦争のリスク(負)もリターン(利益)も知り尽くしたうえで、当然のように戦争を生業とする存在だったと言っていいと思います。
 そんなゲルマンの伝統を残すアングロサクソンがブリテン島に定着してアングロ=サクソン七王国が成立した後も、デンマークのヴァイキングであるデーン人の侵入(クヌートによる征服まで含む)、ノルマン・コンクエストと、(同じゲルマン系からの)甚大な戦争のリスクに晒され続けてきたわけですが、大陸(フランス)領土のほとんどを失って以降は、第一次大戦までは、ほぼ勝ち続けてきました(極端な負けはない)。
 つまりは、はるか昔から民族としても国としても、戦争の悲惨も勝利という果実の味も、骨の髄から知り尽くしているわけです。このことがベースにあるということをまず認識して、世界のあらゆることを考えてみるのが肝要なのではないかと思います。
 日本は日清日露戦争で戦争のリターンの味をほとんど始めて味わった?わけですが、その後のアメリカとの戦争で戦争の悲惨を(史上空前の速さで?)一気に体験したことで、戦争を一面的にしか考えられなくなってしまったのではないでしょうか。そんな(通常の?縄文化と異なり、深層に深い傷を負っての急速な内向化=異常な縄文化?した?)日本がアングロサクソンの何を理解できるのか、これが太田コラム読者としての第一の心得ではないでしょうか(笑)
<太田>
 アングロサクソン=バスク人説を反映していただけばなお良かったですね。
<遠江人>
 ところでイギリスについてWikipediaを読んでいたら面白い記事等があったので以下に紹介します。
 「しかし同じころ、デーン人の侵入が活発化していてイングランドを侵略、ノーサンブリア、イースト・アングリアが滅亡する中でウェセックスは唯一生き残ったアングロサクソン王国となる。しかし劣勢の中でアルフレッド大王がエディントンの戦いでデーン人に勝利、デーン人の支配地域をデーンロウとして認め一種の均衡状態による和平を築いた。そしてこの時代、彼の元で古英語文献の集大成が行われ、ウェセックス王国はアングロサクソン文化の伝統を築き上げる。この事がデーン人の侵略という困難の中でかえってアングロサクソン人の求心力を呼び、後に全てのアングロサクソン諸国を統一し、スコットランド王国の恭順を受けたウェセックスは後のイングランド王国の母体となった。その後デーン人、ノルマン人とイングランドの支配階級が変わる事になっていくが、デーン人は支配階級として政治に参加する者はアングロサクソンの出自であっても「デーン人」と呼ぶのを慣わしとしており、また後世11世紀に数多くのノルマンディー公国出身のノルマン人貴族が支配者として入ってきた際にイングランドにある数多くの階級制度に驚いている事から、七王国時代の社会制度はこの時まで温存されていたものと思われる。」
七王国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD
イングランドの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
<太田>
 この「イングランドの歴史」もアングロサクソン=バスク人説が反映されてないですね。遠江人さん、日本語ウィキペディアの記述「改善」されたらいかが?
<遠江人>
 「1909年に入ると日韓併合の動きが強まり、李完用首相は一進会などの親日派勢力の後押しを受けて日本政府との間で韓国併合の話を進め、1910年8月22日、日韓併合条約を調印。8月29日に両国皇帝の裁可をもって条約は発効し、大韓帝国は滅亡、日本の朝鮮総督府の統治下に入った。
 大韓帝国(朝鮮王朝)消滅後の純宗は、ソウルの昌徳宮に住み、李王として王族に封じられた。1926年4月25日、52歳で薨去した。日本の王公族昌徳宮李王坧として1926年(大正15年)6月10日に国葬が執り行われた。国葬日には万歳(マンセー)事件(6・10独立運動)も起こったが、3・1独立運動ほどには盛り上がらなかった。御陵は裕陵である。」
純宗 (朝鮮王)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E5%AE%97_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B
 以上は、ある意味、大韓帝国が日本に負けたという見方ができるのではないかと思いますが、最後の朝鮮王、大韓帝国皇帝である純宗は、王朝と国王の地位を失いましたが、日本の皇族に準じる王公族として生涯を終えました。
王公族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%85%AC%E6%97%8F
 純宗が日本に「敗戦」した「責任」を何らかの形で示していれば、韓国人も北朝鮮人も今よりもっと責任感のある国民になっていた?私は、そんなわけは無いと思いますが、みなさん、どう思われますか?
<太田>
 そんなことより、純宗が葬られた「裕陵」というのが、どこにあるのか調べようとしたところ、日本語ウィキペディアにはなくて、漢語ウィキペディアにはあった
http://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B4%AA%E8%A3%95%E9%99%B5&variant=zh-hant
というのは興味深かったですね。
 (漢語ウィキペディアン達が漢字体の差異に苦労していることも同時に痛感しました。)
 日本のネチズン、朝鮮半島とか在日に異常に関心あるわりには仕事してないね。
<SM>
 太田様、丁寧なご説明ありがとうございます。
 かなり頭がスッキリした気がします。
≫先進国におけるエコ社会化や男女共同参画社会化のうねりは、縄文化のうねりである、と私自身は認識しています。 昭和期の日本は、縄文モードの時代であったのに、縄文モードにそぐわぬ大戦争・・どうしても男性優位になってしまう・・をやる羽目になったことにより、本来男女共同参画社会化の旗手たるべき日本が、この点では逆に他の先進諸国より遅れてしまったということなのです。・・・ まず女性問題についてですが、お二人とも、私のホームページに掲げてある(選挙に出たときのままの)「主張」・・・を再読していただきたいですね。 国が自立していない(=米国の属国である)→だから企業も個人も自立していない→女性差別等もその現れであるという論理なんですが、お分かりいただけました?≪(コラム#3075。太田)
わかりました。
本来縄文モードの真っただ中である昭和以降の日本では、男女共同参画社会化が進むはずなのに、戦争と属国化という二つの特殊要因で、実際にはアングロサクソン諸国の後塵を拝しているということですね。
例えば、大正デモクラシーとともにあらわれたモボ・モガは、アングロサクソン化しつつある縄文期における男女共同参画社会化現象ととらえることができるわけですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%AC
<太田>
 縄文モードの江戸時代が幕末から弥生モードに転換し、日本はアングロサクソン化して行き、その頂点が大正期であったと仮定したらどうかということです。
 大正期を特徴づける市場原理主義や(二大政党制を含む)自由民主主義がその現れであると考えるわけですが、その場合、モボ・モガは風俗面でのその現れ、ととらえることになるでしょう。
 そして、昭和期に入ると、日本は内発的に縄文モードに転換し始め、大恐慌と戦争という外発的要因によってこれが加速し、(挙国一致内閣を含む)日本型政治経済体制が完成する、と仮定するのです。
 (ただし、もともと縄文モードに自由民主主義的要素があったことから、引き続き日本は自由民主主義的社会であり続けます。)
 しかし、仮にそうだとすると、日本が、戦前は戦争、戦後は属国という、縄文モードには本来そぐわない異常な状況下にあり続けたことは様々なゆがみを日本社会にもたらした可能性が大です。
 ゆがみの例としては、構造的女性差別や、戦後かなり経ってから腐臭を放ち始めた政官業癒着構造を挙げることができるのではないか、というわけです。
<SM>
 ≫先の大戦をめがけて構築された日本型<政治>経済体制は、当時の日本の縄文モード化と軌を一にしていたところ、この体制は本来的に軍事(軍事作戦・諜報・危機管理等)には向いていない≪(コラム#3075。太田)
コラム#0040、0042、0043「日本型経済体制(その1、2、3)」をよみました。
(その3)で、
「・・・ところで、この日本型経済体制は、果たして先の大戦に至るまでの昭和期に、全く新たに創造されたのでしょうか。およそ歴史において、無から有が生じるようなことはありえないのではないでしょうか。 私は最近、日本型経済体制の淵源は江戸時代に求められる、と考えるに至っています。(続く)」
となっていますが、(その4)がありません。続きが非常に気になります。
考えてみれば、江戸時代は鎖国をしていたので「日本型経済体制」でも良かったけれども、現代は、グローバル規模で物事を考え実行できる強力なリーダーシップが
必要なので、通用しないはずですね。
<太田>
 直接「続き」は書かなかったけれど、その後江戸時代論を何度もコラムでとりあげているところです。
<SM>
≫最後にお分かりいただきたいのは、私は、21世紀における日本の課題は、グローバル化した世界の下、単なる弥生モード化ではなく、これまでの日本史の宿命的サイクルからの脱却、すなわち、弥生的縄文社会(=日本の顔をしたアングロサクソン的社会)の構築であると考えていることです。 そして、そのために必要なこととしては、基本的に、一、(軍事力の保持、マーケットメカニズムの重視、人的開国の実現を含む)選択的弥生(アングロサクソン)化、二、軍事力の保持とあいまった米国からの「独立」(国家ガバナンスの回復)、三、(このことともあいまった男女共同参画社会の実現を含む)縄文化の徹底と縄文モ-ドの世界への普及、であると私は考えているのです。 これで頭の中、スッキリしました?≪(コラム#3075。太田)
かなりスッキリしたのですが、なぜか今までわかったつもりになっていた点で、わからないことがでてきました。
「日本の顔をしたアングロサクソン的社会」とは、人間(ジンカン)主義的価値観を守り、かつ、広めつつ、価値の追求の方法(社会システム、思考方法)のみを、アングロサクソン諸国並みにした社会という解釈でよろしいのでしょうか?
なんとなくイメージでとらえていたので、改めて考えるとよくわからなくなってしまいました。
<太田>
 一言で言えば、「日本の顔をしたアングロサクソン的社会」とは、広く世界に開かれたところの、人間(ジンカン)主義や自然との共生的価値観を体現した社会、でしょうね。
 広く世界に開かれているためには、軍事力の保持、人的開国、ルールの明示、経験科学的思考法の確立等、選択的なアングロサクソン化(の徹底)が必要条件であるということです。
 なお私が、縄文モードを基底とする日本文明は、もともとアングロサクソン文明と世界で最も親和性のある文明であると考えていることはご存じの通りです。
<michisuzu>
≫「高福祉高負担を目指すしかない」と言ってる人が、消費税アップ絶対反対という持論じゃ支離滅裂ではないの。≪
 現在の体制(無駄使いが多すぎて税金の使い方が納得できない)のままの消費税増税は今でも反対ですよ。
 完全に北欧を目指すなら(教育や医療費の無料化)高負担も認めようって話なのですが・・・。
<太田>
 なら、最初からそう書かなくっちゃ。
 なお、無駄遣いの額と累積赤字、更には今後の財政支出ニーズの額は桁が全く違うんで、それぞれ別個に考えなきゃ仕方ないんだって分かって欲しいな。(このあたり、本来典拠必要だけどね。)
 典拠の問題はスルーするわけね?
<michisuzu>
 <天邪鬼さんの投稿(コラム#3075)を読みました。>
 ここまでレベルの低い投稿を許すのですか?
 がっかりしました。
<太田>
 「投稿を許」したんじゃなくて、私がインターネットで見つけた記述をコピペしたんです。(だから、URLがつけてあるでしょ。)
 私のコラムがどのように受け止められているかを読者に紹介する、というのが趣旨です。
 michisuzuちゃんこそ、そんなケチをつけてるヒマあったら、自分の投稿のレベルを少しずつでもいいから引き上げる努力をしなさい!
 記事です。
 「・・・長妻氏は東京工業品取引所の理事長、社長、顧問などに旧通商産業省や経済産業省OBがあっせんを受けずに就任していると指摘。「(先に天下りしている)OBが誘って数珠つなぎで天下るケースは手つかずだ。中央省庁がかかわらなければ、なんでもやっていいのか」と批判し、実態の調査を求めた。・・・」
http://www.asahi.com/politics/update/0204/TKY200902040095.html?ref=goo
(2月5日アクセス)
 いやまいりました。
 そんな手があったとは。
 経産省に限らず、(許認可権限のほとんどない防衛省等を除く)フツーの省庁には、OBが運営するヤミ天下りセンター(官房「機能」の外注化!)があると見ました。
 「麻生首相は4日の衆院予算委員会で、省庁のあっせんを受けない官僚OBの天下りや、天下りを繰り返す「わたり」について「役所の官房がかんでいない話を天下りとはいえない」と述べ、政府として制限はできないとの認識を示した」ました。
 (本日昼のTV朝日系の「スクランブル」による。)
 この種究極の天下りをなくすためには、(これはどのみちやらなければならないことですが、)「役所の官房がかん」でいたら官房長に厳罰を科すこととするとともに、この種公的な株式会社の役員は公募制とした上で、選考過程を透明化すること、恩給制度を復活し、(以前逆のこと言ったかもしれないけど)所得に応じて恩給を減額することとすること、が必要でしょうね。
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太田述正コラム#3078(2009.2.5)
<あるホロコースト犯の後半生>
→非公開