太田述正コラム#2701(2008.7.31)
<インド文明とセックス>(2009.2.6公開)
1 始めに
 コラム#1769で登場したダリンプル(William Dalrymple)が、インド文明とセックスについて論じた論考(
http://www.nybooks.com/articles/21557  
。6月11日アクセス)の内容をかいつまんでご紹介しましょう。
2 ダリンプルの指摘
 (1)総論
 インドでは、伝統的にセックスは、洗練された研究の正当な対象とみなされてきた。
 英領植民地になる前のインドでは、宗教、形而上学、そしてセックスは互いに敵対するものとは考えられていなかった。それどころか、この三つは密接に関連していると考えられていた。
 それどころか、エロは劇や礼儀作法の本においてさえも中心的な要素だった。エロチックな性愛は、現存している大量のサンスクリット文献における、疑いもなく最も重要なテーマだった指摘する者までいる。それは、一件を除くすべての宮廷戯曲の中心的テーマだった。
 (2)カーマスートラ
 古典期のインドは、有名なカーマスートラ(Kamasutra)において、性愛の微細な点についての上品かつ伝授された洗練さを発展させた。カーマスートラは、サンスクリット文学における愛に関する主要著作だ。
 ヒンズー主義においては、禁欲的なもの(ascetic)と官能的なもの(sensual)との間に常に強い緊張関係が存在した。
 3世紀前後に、恐らくは、現在のパトナ(Patna)付近のガンジス川の畔の大都会であったパタリプトラ(Pataliputra)において編纂されたカーマスートラは、都会的かつコスモポリタンな宮廷階級を読者に想定しており、人生、感性、ムード、喜びの経験といった、単に性的ということではなく、より広範に官能的な、音楽、良い食べ物、香水等々への指針たるべきことをねらいとしていた。
 カーマスートラは、色んな意味合いにおいて、3世紀のナガリカ(nagarika=都市の青年達)の放蕩的生活様式に疑問を投げかけ始めていたヒンズー教と仏教の禁欲的ピューリタニズムのうねりに対する抵抗行為だった。
 この本は、余りに有名であるところの64の性交方法を挙げており、これらのテクニックを習得することはナガリカにとって必須のたしなみであるとみなされており、仮にこれらを習得していなければ、そんな人物は有識者の集会での会話においてほとんど尊敬されることはなかった。
 (3)タントラ
 他方、7世紀以降のヒンズー教における、女性原理であるシャクティー(性力)の教義・・性欲など諸欲望を積極的に取り入れた密教の信仰・・を説く経典であると一般に説明されるところのタントラ(Tantra)は、一般のヒンズー教が、肉とアルコールを避け、火葬場のような汚い場所に近づかず、体液のような汚い物質を避けることで穢れなきよい生活ができると信じていたのに対し、タントラは、この正反対なことをやることこそ救済への道だとした。
 そしてタントラは、宗教儀式にセックスを取り入れ、性的分泌液を口で飲むことを薦めた。
 タントラの教えを実践する伝統は13世紀前後に、恐らくはイスラム勢力の侵攻によってほとんど根絶やしにされてしまったが、現在でも、ベンガル地方の一部でタントラの教えが受け継がれており、生理中の女性とセックスしたり、精液、血液、及びその他の体液を混ぜ合わせたものを飲んだりする儀式を行う場合がある。
 (4)転機
 イスラム勢力は、肉欲の罪深さ、セックスの危険性という観念、更に場合によってはセックスの放棄や処女性の理想化をインドにもたらした。
 このような傾向を決定的なものにしたのが、英国によるインド支配であり、とりわけ19世紀半における様々なキリスト教宣教団のインド到着だった。
3 終わりに
 インド文明からわれわれが学ぶべきものは、仏教以外にも色々ありそうです。
 ダリンプルの指摘のような読み方をすれば、カーマスートラは、性をタブー視しない日本人のわれわれにとってもっともっと身近な本になりそうですね。