太田述正コラム#14336(2024.7.15)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その29)>(2024.10.10公開)
「東洋の超個人的秩序は、宇宙全体を一貫するものとされる。
東洋においては万物の宇宙的秩序と人間の社会的秩序との間に如何なる分裂をも認めない。
東洋は天・地・人、即ち神と自然と人生とを、直感的・体験的に生命の統一体として把握してきたので、西洋における如く、宗教と政治と道徳との分化を見なかった。
支那の『道』、インドの『達磨』<(注53)>、ないし回教の『シャル』<(注54)>は、皆な人生を宗教・道徳・政治の三方面に分化せしめず、あくまでも之を渾然たる一体として把握し、これらの三者を倶有する人生全体の規範とされてきた。
(注52)「道(・・・Tao・・・)とは、<支那>哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家や儒家によって説かれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93_(%E5%93%B2%E5%AD%A6)
(注53)「ダルマ(・・・dhamma)はヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教、シク教といったインド発祥の宗教において、多種多様な意味を持つ主要な概念である。西洋の言語ではダルマを一語で訳することはできない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%9E_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E7%99%BA%E7%A5%A5%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99)
(注54)?
この点において神と人とを峻別し、自然を無生命のものとなし、存在論に哲学の主力を集注する西洋の主潮と、著しき対照を示している。」(94)
⇒達磨(ダルマ)については、大川は、自分がいかなる意味で使ったかを明記すべきでした。
また、道については、’Eastern Orthodox hegumen Damascene (Christensen), a pupil of noted monastic and scholar of East Asian religions Seraphim Rose, identified logos with the Tao.’
https://en.wikipedia.org/wiki/Tao
ということからも、欧州/地中海世界にも、道と近似した、しかも、重要と目される概念が存在する(注55)ことが推察できるのであり、結局のところ、西洋とか東洋とかを超越したところの、世界の古今東西において、道に類する概念、考え方は遍在しているのではないでしょうか。
(注55)古典ギリシャでヘラクレイトスは、「絶えず流動する世界を根幹でつなぐのがロゴス・・世界を構成する言葉、論理・・・であるとされた。<また、>・・・ヘレニズム期の・・・ストア派において、ロゴスは根幹となる概念であり、世界を定める理を意味する。ストア派のロゴスは「自然」(ピュシス、本性)や「運命」〔テュケー)とも表現され神とも同一視される。また人間は世界の一部であり「人間の自然本性」としてロゴスを持って生まれているとされる。<更に、>・・・キリスト教に<おいては、>・・・ロゴスは「父」の言である「子」(=イエス)の本質とみなされ<、>これにより「ロゴス」はキリストの別称ともなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9
(続く)