太田述正コラム#14338(2024.7.16)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その30)>(2024.10.11公開)
なお、シャルについては、大川の勘違いでなければミスプリではないかとも思われますが、調べがつかなかったところ、イスラム教においても、「9世紀以降に生じた、イスラム教の世俗化・形式化を批判する改革運動<であるところの、>・・・スーフィズム<、においては、>・・・、修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中での神との神秘的合一(ファナー・・・)を究極的な目標と<し、>・・・<そ>の諸派の間では、イスラームの多数派が戒律によって禁じる音楽や舞踏などを行法に用いることも一般的である」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0
ところであり、これも、道ないしロゴスを追求する営みに似ているけれど、残念ながら、「開祖の教えに戻れと主張するイスラーム原理主義の勢いで、異端的な要素(ギリシャ哲学やヒンドゥー教等)の有るスーフィズムは目立たない活動を強いられたり、抑圧されたりしている地域もある」(上掲)のが事実であり、イスラム世界においては、圧倒的少数派に過ぎません。(太田)
「・・・東洋は、既に実現せられたる昔ながらの文化に最高価値を与え、古の黄金時代に咲揃える美しき花を、危険または低級と考えられる他の文化的影響によって凋落させまいと苦心してきた。
ヨーロッパの進歩主義に対して、東洋は紛うべくもなく保守主義・尚古主義である。
この東洋の保守主義は、東洋人をして祖先の精神、祖先の信仰、祖先の遺風を、昔ながらに護持し、またこれを後昆に伝えることを、最も神聖なる義務と考えさせている。
そのために東洋は、過去における真個の価値あるものを獲持し、文化の中絶せざる伝統を継承することが出来た。
同時にこの保守的精神は、民族の進路に無用に帰したる過去の塵埃を堆積し、その自由なる発展を阻む。・・・
かくの如き保守主義が、東洋の社会的停滞を招ぎ、その衰頽の一因となった。」(95~97)
⇒余りにバカバカしい説明が続いたので、途中を端折りましたが、大川は、今度は、またもや、ナンセンスな、東洋の保守主義と西洋の進歩主義なる対立軸を持ち出しています。
しかし、この点でも、大川は、欧米の有識者達の非科学的にして通俗的な偏見を無批判に紹介してしまっています。
例えば、「ヤスパースは・・・、同じ枢軸時代を経験しながらも、その後西洋の諸文化のみが発展し、インドや中国では文化の停滞が生じたとしている。その違いは何によるのかについてのヤスパースの考えは以下のとおりである。 西洋では、古代ギリシャの時代から西洋と東洋の対立を含んだまま歩んできた。西洋ではヘロドトス以来、東洋と西洋の対立はオリエント(「朝の国」、モルゲンラント)とオクシデント(「夕の国」、アーベントラント)の永遠の対立として意識されてきたが、この対立意識こそが西洋文化を発展させる原動力となってきたのである。つまり、西洋はたえず東洋を強く意識し、ときに東洋と対決し、東洋から受け入れられるものは受容してそれを同化しながら成長してきた。ギリシャ人とペルシア人、東西2つのローマ、東西2つのキリスト教、西洋とイスラーム、ヨーロッパとアジア、西洋はいつでもこのような二項対立のなかで発展したのであり、そこに西洋の特異性がみられる。それに対し、東洋では西洋との対立を意識しなかった。異質な文化に対し積極的に対決しようとはしてこなかった。精神とは、対立などを契機にして自己を意識し、闘争の場に置いて自己自身を発見したとき、初めて生きたものとなり、結実豊かなものとなる。西洋は母なる東洋と対決するたびに精神を若返らせてきたが、東洋は離れていった西洋に対し無関心だったのである。」
https://www.weblio.jp/content/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E3%81%AE%E5%81%9C%E6%BB%9E%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E3%81%AE%E7%99%BA%E5%B1%95
が、かかる偏見の典型例です。(太田)
(続く)