太田述正コラム#14344(2024.7.19)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その33)>(2024.10.14公開)
「・・・明治20年代に宣教師として来朝せる温厚篤実の一米国学者、後に『東洋精神 The Spirit of the Orient』を公けにせるG・W・ノックス<(注59)>は、該宗教家に向って『日本にはgoodまたはbadの観念を表現する言葉あるか』と質問したとのことである。・・・
(注59)George William Knox(1853~1912年)。「米国長老<(プレスビテリアン)>教会から派遣された、明治時代のアメリカ人来日宣教師である。・・・出身校 ハミルトン大学、オーバン大学」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
‘he was professor of homiletics<(説教術)> in Tokyo and professor of philosophy and ethics at the Imperial University of Tokyo.’
https://en.wikipedia.org/wiki/George_William_Knox
⇒ノックスが本当にそんなことを言ったかどうかはともかくとして、その分野の学位を持たない、しかも、日本について何も知らないまま来日していたところの、人物、を、明治維新後20年も経っているというのに、帝大が哲学・倫理学の教授にしたのには呆れてしまいます。(太田)
<しかし、>今日の如き<西欧優位の>形勢は、僅かに300年このかたのことに過ぎぬ。
⇒いやいや、少なくとも500年近くはそうだ、と、以前(コラム#14114で)指摘したことがあります。(太田)
万物は皆な、而して常に、戦う。
シュタインメッツ<(注60)>〔プロイセン王国の元帥〕が、人類は碧血の槽内で育ってきたと言ったのは、物凄き言葉ではあるけれど、竟に拒み難き事実である。・・・
(注60)カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ(Karl Friedrich von Steinmetz。1796~1877年)。第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争と普墺戦争で大活躍をしたが、普仏戦争では味方の足を引っ張った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%84
支那人は恐らく世界に比類なかるべき平和の民である。
彼らが武を卑しみ戦を厭う心は、『好人は兵に当らず、好鉄は釘を打たず』という諺にも、歴然ととして現れている。<(注61)>
(注61)梁啓超(1873~1929年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%95%93%E8%B6%85
がこのような支那の風潮を改めようとして軍歌(從軍樂)を作った(作詞のみ?)というのだが、以下のような一節が出て来る。↓
「從軍樂(らく),國民に告ぐ:世界上,國竝立(へいりつ)して,生存を競(きそ)ふ。身を獻(ささ)げ 國を護(まも)ること 誰(たれ)か 份(ふん)無からん?! 好(かう)男兒,退讓(たいじゃう)する莫(なか)れ,軍人と做(な)るを發願(ほつぐゎん)せよ。」
https://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/fusang30.htm
その支那人でさえ、国(國)の字を制作する時には、戈即ち武器、口即ち人民、一即ち土地を以てせねばならなかった。
而して支那の歴史も、また他国のそれに劣らず、戦争を以て終始した。」(100~101)
(続く)