太田述正コラム#14358(2024.7.26)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その40)>(2024.10.21公開)
「支那事変5年にわたれるに拘らず、なおかつ深刻に支那を憎むことを知らぬところに、支那に対する日本の全国民的感情の最も高貴なる発現がある。
日本国民は、意識的または無意識的に、支那およびその他の東亜諸民族に対する深き愛情を抱いている。
日本を東亜の指導者たらしめる最も根本的なる資格は、実にこの愛情である。
東洋においては、政治とは『仁』の具体的実現に外ならぬと考えてきた。<(注70)>
(注70)「孟子は魏の襄王の会見の時に以下のように言ったという。
「当世の君主は好戦的で、殺人を楽しまぬ者は一人もいない。こうした中で、もし殺戮を好まない君主がいたならば、世界中の民衆は、全員が首を伸ばして、彼の統治を待ち望むに違いない。本当にそうなったときは、水が低地めがけて流れ込むように、世界中の民衆がたちまち彼に帰服します。誰もその大きな流れをふさぎ止められませんよ」(『孟子』梁恵王上篇)・・・
<また、>孟子は、彼の理想とする政治を実現させてくれるかもしれなかった梁の恵王に対して、「最低限の衣食住が保証され、故人の葬儀が滞りなく整然と執り行えることが王道政治のスタート地点となる」というようなアドバイスを授けた。
そのために必要なのは、誰もが安定して収入を得られることで、これを実現するためには教育が欠かせない、と考えていた。・・・
生活が安定していてはじめて、心も安定するもので、心の安定には学校での教育によって「人間らしさ」「人の道」という道徳を教えることも必要だ、とも考えていた。・・・
<以上>が「王道政治=仁政だ」だ。・・・
浅野裕一<(コラム#11205)は、要するに、>孟子が説く王道政治の中身は、国内に有っては苛斂誅求によって民衆の生活を脅かさず、国外に対しては侵略戦争によって民衆を殺戮しないとの一点に過ぎないこと<であること>がわかる<という>。
それでは<、このような>王道政治の主張は、実現可能であったろうか。答えはもとより否である。なぜなら、孟子が操る論理には、致命的な欠陥が存在するからである。孟子が言うような君主が現れたならば、彼はたしかに国民の人気も高く、諸外国での評判も高まるかもしれない。だがそこから先に嘘がある。外から強力な軍隊が侵攻してきた場合、どんなに民衆の支持が高くとも、それで君主が国家を防衛できるわけではない。防衛の成否は、戦場での軍事力の強弱で決するのであって、人気投票の結果で決まるのではない。
また王道を実践する君主が現れたならば、世界中の民衆が彼の統治を待ち望むなどと言ってみても、他国の民衆が主権国家の枠を超えて、彼の統治下に入ったりはしない。各国の政府がそうした<事態>を座視・黙認するはずはなく、堰で水の流れを止めるように、強力に自国民を拘束するからである。」
https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/sengoku-juka-mousi3
浅野裕一(1946年~)。東北大文(中国哲学)卒、同大殷博士課程満期退学、島根大助手、講師、助教授、東北大助教授、教授、同大博士(文学)、名誉教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E8%A3%95%E4%B8%80
⇒本件に関しては、浅野の言う通りであり、支那には、中原文明時においても、また、漢人文明時においても、本格的な仁政など提唱されたこともないし、そもそも、仁政の前提条件とも言うべき最低限の衣食住の保証すら、それを実現する内外環境を欠いていた、と、言うべきであり、本格的な仁政が提唱され、それが実現したことが再三あった日本を唯一の例外として、支那を含むその他のアジア諸地域は仁政とは無縁であった、と、言えそうです。
ここでも、大川は筆が滑っています。(太田)
大東亜共栄圏は、先ず第一に日本の『仁』の客観的機構でなければならぬ。
日本はそれゆえに近世植民地的搾取政策を否定する。
欧米植民国が、その植民地における社会的進歩を阻止し、住民を文盲のままに放置し、内争を使嗾し、永久に隷属貧困の状態に釘付けせんとするが如き政策は、単にその必然の結果が被支配民族の憎悪怨恨を招くに終るという如き功利的打算からでなく、実に日本の仁の許さざるところである。・・・」(164)
⇒欧米諸国の植民地統治は、まさに、大川の言う通りの代物でした。(太田)
(続く)