太田述正コラム#14364(2024.7.28)
<2024.7.27八幡市講義(第一回)の一日>(2024.10.23公開)

 起きて朝早く最寄りのセブンイレブンに朝食を買いに出かけた。
 1000円近くかかったので、日本も物価が高くなったなと思った。
 で、またもやnanaco自動チャージ払いで手間取り店員に助けてもらったが、なんだか毎回、教わる内容が微妙に異なる気が・・。
 単に私のバイデン化現象、ということなのかもしれないが・・。
 文十郎さんからは鈴鹿SAと草津PAに車が入るごとに連絡がLineで入った。
 このこともあり、この日だけは、朝起きた時から、バッテリーが爆発寸前の私のスマホの電源を入れっぱなしにした。
 09:47に彼から「到着しました」というLineがあったことを後で知ったが、彼の姿がホテル入り口に現れ、車に乗り込んで出発。
 京都と現地との往復の高速料金は私が出す約束であったところ、まず、一旦、八幡市生涯学習センター前まで赴いた後、近くのショッピング団地的な場所の中のサイゼリヤに行ったところ、開店時間前だったので、同じ団地内のドトールに移動し、時間をつぶす気で店内に入ったが、予定を変更してそこで軽食を摂ることにした。
 私にとっては、ドトールの初使用だったが、Pontaポイントが使えるのは知っていたので(ビックカメラではかねてより使っていたところ)これまたビックカメラ以外での初使用となった。
 正午前に生涯学習センターに着いたが、市長用と立札があった場所の隣に我々の車用の場所が設定してあった。
 同センターの吉岡館長・・名刺に館長事務取扱、とあったので、館長より格上の人ってことだ・・と挨拶して控室に文十郎さんといたら、後で市長の河田翔子さんが挨拶に来られた。
 13:30に開演。
 吉岡氏による私の紹介の後、市長の挨拶があり、私の講義が始まった。
 質疑応答を途中と最後に行った。
 私の講義を聴講していた市長が、15:00に終わってから、再び控室に来られたので、緊迫した質疑も念頭に置きつつ、赤ちゃんのように(先入観なく)物事を見ることが大事、王様は裸だと言ったのも子供だったし、という話や、私に最も大きなヒントを与えたのはヴェーバーやベネディクトといった外国人学者達であって日本人学者ではないのは残念なことだ、何せ、日本の近代学問は蕃書調所で翻訳をすることから始まり、やがてもはや翻訳すべきものが少なくなっても、基本、自分で課題を発見し追究することなく現在に至っているからだと思う、という話をした。
 市長は、国際問題にも防衛問題にも関心があり、自衛隊地方協力本部
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%83%A8
にもかねてより協力させてもらっているとのこと。
 文十郎さんに帰りは京都駅八条口付近まで送ってもらったが、まだ16:00にもなっていなかったので、京都出発時間を繰り上げようと切符売り場に行ったら、客が少なく、すぐ係員が対応してくれた。
 対応してくれたといっても、新幹線の列車の変更は自分のスマホのEXアプリでできるのでやってください、と、言われただけなのだが、すぐ、お手伝いしましょうか、と、申し出があり、(同アプリのパスワードもメモってあったので助かったが、)言われたとおりにスマホを操作して比較的簡単に変更ができた。
 (結局、京都発18:21を16:21に変更した。16:16への変更も可能だったが、さすがにパスした。)
 その間、この係員、私のスマホの状態に気付き、スマホ、ひどい状態ですねえ、と言われてしまった。
 新幹線内では往復とも何もせずに座っていたが、これまで、往復ともパソコン作業をしていたことが信じられない思いがした。
 もちろん、現在よりは若くて体力もあったのだろうが、ブログ執筆について現在の方が習熟して短時間で作業を終えることができるようになっている面もあろうかと思う。
 品川で降り、五反田の吉野家で夕食を済ませ、駅ビル内の東急ストアで翌日用の食べ物を買って帰宅した。
 その折、東急カードが期限切れになっていることが分かった。
 東急から新カードが送られてきていない可能性が大だが、この東急ストアは、かつて、三田の官舎住まいだった頃に車で週一回食品を買いに来ていた店だし、西馬込の駅の近くにも現在の拙宅に引っ越してきた当時は東急ストアがあって、東急とのご縁が随分長く続いてきたけれど、ついにご縁が切れてしまった感がある。
 いずれにせよ、スマホが、次回の京都への往復時までもってくれることを祈るばかり。