太田述正コラム#14370(2024.7.31)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その44)>(2024.10.26公開)

 「・・・ガンディはインドをして『戦わざるアルジュナ<(注74)>〔ヒンドゥー教の聖典に登場する英雄戦士〕』たらしめる。

 (注74)Arjuna。「インドの叙事詩『マハーバーラタ』の主人公の一人。パーンダヴァ五兄弟(クル国の王パーンドゥの息子たち)の三男。パーンドゥの妃・クンティーがマントラでインドラ神を呼び出して授かった子である。弓術の達人であり、神弓・ガーンディーヴァを用いて戦った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8A

 希くはボース氏がインドをして『戦うアルジュナ』たらしめんことを。(昭18・7)・・・

⇒大川が『マハーバーラタ』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%BF
に登場する「人」物群中、アルジュナを持ち出した理由が、「マハーバーラタの構成」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90
を読んだ限りでは、今一つよく分かりませんでした。
 但し、大川が、ガンディを批判しボースを持ち上げたのは正しいと言うべきでしょう。
 特筆すべきは、この大川のガンディとボースへの評価が、現インド人民党政権のこの2人への評価と完全に一致していることです。
https://note.com/nationalist_hawk/n/n3641d062f62a (太田)

儒教や仏教をまで否定して、独り『儒仏以前』を高調讃美する如き傾向は、決してアジアの民心を得る所以ではない。
 日本民族は、拒むべくもなき事実として、自己の生命裡に支那およびインドの善きものを摂取して今日あるを得た。
 孔子の理想、釈尊の信仰を、その故国においてよりも一層見事に実現せるところに日本精神の偉大があり、それゆえにまた日本精神は取りも直さずアジア精神である。

⇒科学的には、「『儒仏以前』を高調讃美する」のが正解であり、従って、「自己の生命裡に支那およびインドの善きものを摂取して今日あるを得た」は科学的には誤りであって情宣上のキャッチコピーとして有効かもしれない、という程度の代物です。(太田)

 日本はこの精神を以てアジアにあたらかねばならぬ。
 徒に『日本的』なるものを力説しているだけでは、その議論が如何に壮烈で神々しくあろうとも、アジアの心琴に触れ難く、従って大東亜戦争のための対外思想戦としては無力である。
 希くは国内消費のためのみでなく、大東亜の切なる求めに応ずる理論が一層多く世に出でんことを。(昭18・9)」(179)

⇒この程度の理論を大川が自身で作ることができなかったのは、彼が、「『儒仏以前』を高調讃美する」ことが誤りである、と、本当に考えていたからでしょう。
 間違った前提に立ってしまったために、大川は、その先へ進めなくなってしまったのであろう、ということです。(太田)

(続く)