太田述正コラム#14376(2024.8.3)
<杉浦重剛/白鳥庫吉/松宮春一郎『國體真義』を読む(その1)>(2024.10.29公開)

1 始めに

 今度は1928(昭和3)年刊の表記にしましたが、編者松宮春一郎によれば、「杉浦先生の篇はこれを遺著の中に求め<たもの、>・・・白鳥先生の篇は、編者が特に親しく教を請ふこと10数回、而して後ち筆写の責任をとつたもの<、それと、>・・・<松宮本人の>稿」(6)、からなっています。
 なお、松宮(1875~1933年)は、学習院大卒、世界文庫刊行会を主宰、
https://jyunku.hatenablog.com/entry/20110213/p2
「『世界聖典全集』を企画し刊行し、その中の「『埃及死者之書』が折口信夫の『死者の書』 『耆那教聖典』が埴谷雄高の『死霊』 の成立に大きな影響を与えた<。>・・・
 <その>後輯15にあたる『世界聖典外纂』という「小さな宗教」からなる「世界宗教の鳥瞰図」で、聖典の訳者たちの他に様々な研究者が召喚され、折口が「琉球の宗教」、字井伯壽が「神智教」、鈴木貞太郎(大拙)が「スエデンボルグ」を論じている。また・・・、松宮<自身>が「バハイ教」を担当し、十九世紀の半ばにペルシャで予言者バブが宣言した「光の教」としての宗教を解題している。」
https://odamitsuo.hatenablog.com/entry/20110608/1307458910
という人物であるようです。

2 白鳥庫吉「國體と皇道」を読む

 「・・・国に道があり、教があるのは、ちやうど人に精神があるやうなもので、国を立てて行く上には決して離るゝことの出来ないものである。
 支那には儒教があり、印度には仏教があり、西洋にはキリスト教がある。
 そのやうに我が国にも一つの道がなくてはならない。・・・
 私はこれを皇道と称するのが一番適当であらうと思ふ。・・・

⇒ツッコミどころ満載であり、例えば、「印度」一般ではなく、「アショカ王の時のマウリヤ朝」でなければなりませんが、白鳥庫吉(注1)が、こんな、学者らしからぬ雑駁な語り口の人物だったとは呆れます。

 (注1)1865~1942年。一高、帝大卒、学習院大教授、東大博士(文学)、欧州留学、東大教授を兼任、「東宮御学問所御用掛として東宮時代の昭和天皇の教育にも携わる。・・・日本や朝鮮に始まり、アジア全土の歴史、民俗、神話、伝説、言語、宗教、考古学など広範な分野の研究を行う。・・・「邪馬台国北九州説」を主張。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E5%BA%AB%E5%90%89

 そんな彼の邪馬台国北九州説なんぞ、無視してよさそうです。(太田)

 皇道とは、天祖天照大神をはじめ奉り、御歴代の天皇を崇め尊ぶ教であり、そしてその聖旨、勅語等に遵ひ、御行蹟を手本とする教である。
 儒教の本尊が孔夫子であり、仏教の本尊が釈迦牟尼仏であり、キリスト教の本尊がエス・キリストであるやうに、皇道の本尊は天皇であらせられる。
 それで皇道はまた天皇教と申しても差支ない。」(9)

⇒ここでも、白鳥は、宗教における、教祖(創始者)と礼拝対象、とをごっちゃにしてしまっています。
 また、皇道ないし天皇教なる聞きなれない宗教について語りたいのであれば、そのようなものが存在していることを、何らかの典拠を示して裏付ける必要があるのに、それもしようとはしてはいません。(太田)

(続く)