太田述正コラム#14378(2024.8.4)
<杉浦重剛/白鳥庫吉/松宮春一郎『國體真義』を読む(その2)>(2024.10.30公開)

 「・・・東洋の政治思想の根底が君主主義であるのに反して、西洋のそれは民主主義である・・・。
 西洋に於ける民主思想の発生地はギリシヤであつて、これを政治の上に実際に施したのはアテネ等の国が初めである。
 ローマに至つてこの民主政体は大規模に拡張せられた。
 然(しか)しその後にこのローマ国が帝政に変つてから、近代に至るまで欧州諸国の政体は、帝政か或は王政となつてしまつた。
 けれどもイギリスが憲法を制定した動機が、民権の擁護にあつたといふところから考へて見ると、欧洲人の間には、やはり依然としてこの民主思想が持続せられてゐたことが知られる。
 
⇒古典ギリシャ文明・ローマ文明、と、プロト欧州文明やアングロサクソン文明との間には断絶があり、これらを西洋と一括りにしてはいけません。
 また、イギリスには憲法的諸法規こそあれ、憲法は存在しませんし、例えば、有名な憲法的法規であるところのマグナカルタは、諸侯の封建的権利を擁護こそしたけれど、民権を擁護したということもまたありません。(コラム#省略)(太田)

 近代に及んでアメリカ合衆国が独立を宣言して、共和政体を建設したことは、やはりこの思想が欧米人の心の根底にあることを明らかに示したものである。
 ついでフランスがその例にならつて共和国となつた。
 その後欧州に於ては、何か事変の起る度毎に民主思想がだんく発達して来た。
 イギリスの如きは依然として君主国であるけれども、議会に於て上院の権限がだんく制限せられて、下院の力がますく伸展することは、確かにこの民主思想の影響である。・・・
 世界の人は、やがては日本人もこの世界的思想の影響を受けずには済まないだらうと豫想してゐたが、その豫想は裏切られてしまつた。
 君主国といふ観念は日本人だけが有する、動かすべからざる唯一の思想であるといふ自信が益々高められたのである。
 それ程に日本人の心に深く刻みつけられたのは、悠久の昔から行はれてゐる、皇道の発露に外ならない。・・・
 天皇は神の御子孫であらせられて、現人神として、形は人間でお在(は)しますが、それは人間に親み深からんために、お現はれになつた仮りのお姿であつて、誠は神であらせられるといふ信念が、他の外国には見ない我が国の特色である。<(注2)>」(20~24)

 (注2)「古代国家においては、王の権力の由来は神話によって説明されることが多く、結果として「王こそが神である」とする思想が生まれた。特に国家の規模が拡大する上で、王が神聖であれば、それを打ち倒して権力を収奪する行為は、神罰が当たる物として恐れられる事により、また人を使役する場合に於いては、理不尽な命令であっても、やはり逆らえば神罰が下るとしておけば、それに逆らう者が無くなるといった効果が期待できる。
 特にこのような成立は国家という規模の発生に於いては普遍的なものであり、洋の東西を問わず似たような事例には事欠かない。よく知られた所では古代エジプトや古代ギリシア・インカ文明・西欧の王侯や貴族の制度・古代から近代までの日本に到るまで文化的な連続性が無いにもかかわらず、似たような経路による発展が見られる。ただし時代や地域によってその形態には差異があり、王は神の代理として擬似的な神性を帯びるというヨーロッパの神権政治や、日本の現人神としての天皇、古代国家における神の子としての王、皇帝などさまざまである。
 これらの文明系では、王は死後に神に戻るとされ、その遺骸は恭しく埋葬され、また肉体は滅んでも精神(霊)は続くと考えられたため大規模な墳墓が残され盛大に祀られる傾向が見られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BA%BA%E7%A5%9E

⇒「注2」に照らし、このくだりも完全な間違いです。(太田)

(続く)