太田述正コラム#14386(2024.8.8)
<杉浦重剛/白鳥庫吉/松宮春一郎『國體真義』を読む(その6)>(2024.11.3公開)
「・・・日本の皇道即ち天皇教には、系統ある経典がないではないかと非難するものがあるが、これは大宗教には、必ず経典がなければならないといふ前提から出発してゐるものである。・・・
しかし・・・纏まった経典のないことが、我が日本の皇道<(注5)>の長所であつて、また皇道の本来の性質から見ても、そんなものゝ必要はないのである。・・・
(注5)Imperial Way。「天皇が親政を行う日本の政治体制」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E9%81%93
「親政を行った主な・・・天皇・・・
・天武天皇(673年 – 686年)
・桓武天皇(781年 – 806年)
・宇多天皇 – 寛平の治(887年 – 897年)
・醍醐天皇 – 延喜の治(897年 – 930年)
・村上天皇 – 天暦の治(946年 – 967年)
・後三条天皇 (1069年 – 1072年)
・後醍醐天皇 – 第一次親政から元弘の乱まで(1321年 – 1331年)、建武の新政(1333年 – 1336年)、南朝(1337年 – 1339年)
・後村上天皇(1339年 – 1368年)
・長慶天皇(1368年 – 1383年?)
・後亀山天皇(1383年? – 1392年)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E6%94%BF
⇒白鳥は、「皇道」を、通常の意味とは異なった意味で使っているところ、そのような場合は、そうした理由とともに、自分が使っている意味を明示すべきなのにしていません。
歴史学者としてあるまじきことです。(太田)
我が国の天皇は代々現神であらせらるゝから、その時々の必要に応じて、聖旨勅語等を以つて勅意を御示しあそばされるのである。・・・
皇道は進歩的であり、包容的である。
他の宗教その他の教の長所を取り入れることを決して辞しないし、また排他的のものではない。
何故さうかといふに、他教は一定の教義があつて、その教義を愛護して、自教の保存を何時も考へてゐるが、我が日本の皇道は人民の幸福と国家の隆昌とを目的として常に時勢に順応して限りなく開展するものであるから、採つて短を補ふものがあると何れの宗教、何れの教を問はず取り入れるのである。・・・
動(やや)もすると、我が国の神道の人々は、儒教や、キリスト教を邪教として排斥して、自宗を唯一の国教となさうとしてゐる。
⇒ここで、白鳥が仏教に言及していないのは、神仏習合を神道側も当然視してきたからでしょうね。(太田)
しかし日本の歴史から、仏教を除き、儒教を除き、近くは欧米の文化を除いたならば、今日のやうな我が国になつたであらうか。
⇒ここで、白鳥が唐突に仏教を持ち出したのは、明治初期の廃仏毀釈を批判する含意があるのかもしれませんが、そうならそうときちんと記すべきでしょう。(太田)
神道は天神地祇をまつることに於ては、誠に国教として適はしいものであるけれども、その心事の狭いことを甚だ惜しむのである。
このやうな排他的なことは、日本の皇道の精神にもとるものである。
そして日本の文化の発展を阻害するものではあるまいか。
我が皇道がこのやうに進歩的であるのは、現神であらせ給ふ天皇が親しく臣民の上に、君臨ましましてその教を垂れさせ給ふが故である。
外国の宗教の宣教者はたゞ経典の説明者、実行者たるにすぎなく、信者に対してはこの外に何等の関係もないのである。
我が国では現神たる天皇が厳然と上にましまし、その上政治上の統治者であらせられて、ひたすらに臣民の幸福、国家の隆昌を図つてをられるのである。
我が國體の尊厳にして、国家の団結力の強いのは全くこの理由によるのである。」(24~26)
⇒しかし、「注5」における例示が全てではないとはいえ、天皇親政時代、換言すれば「政治上の統治者であらせられ<た>」時代、は、日本文明時代において、ごく限られているのですから、白鳥が何を言いたいのか分からなくなってしまいます。(太田)
(続く)