太田述正コラム#3105(2009.2.19)
<皆さんとディスカッション(続x403)>
<ちんみ>
≫「傍若無人さと傲慢な自己正当化癖」は、日本やイギリス等を除く、世界の人々の「通弊」です。 それを、まるでユダヤ人だけのことのように言われると絶句しちゃうんだなあ。≪(コラム#3103。太田)
 ユダヤ人だけのことのようナンゾ 云ってまへんがな~(W
 ヴェニスの商人の「人肉裁判」だって、シャイロックがアントーニオに短刀を手渡して「自分で肉を抉り取って私に渡せ」と言えば条文通りにまるく収められ・・シカシ悲劇として完結することになる。 んじぁ~ヲチが弱い(W  ココマデヒットもしない。
この裁判の不備を指摘してるの数多い。
 日本人に身近で評判の悪い、お隣半島の人々たちの「傍若無人さと傲慢な自己正当化癖」「通弊」こそ移民反対…との、体験ゆえの意見だと。
↓コレは、イスラエル兵士の気質と背景の一部としての参照URLです。(安全な処で吼えていますネ) 
http://news.ohmynews.co.jp/news/20070410/431
 要は、説明不足に尽きるっつーことか 反省。(忙しい最中スンマセン)
<太田>
 今度の投稿も、舌足らずだどー!
<から>
 マソンさんに直接関係ないのですが、天皇の話題だったので<コラム#3103でのやりとりに>便乗しました。すみません。
 先週の「たかじんのそこまで言って委員会」で、昭和天皇がらみで気になる発言がありました。
 「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦著)という本には、安保条約は昭和天皇が吉田茂に命じて締結させたということが書いてあるらしいのです。吉田自身は安保を対等な条件にしたかったが昭和天皇が許さなかったと。
 もしこれが本当なら吉田ドクトリンの元凶は昭和天皇だという事になるのでは・・・
 太田さんの昭和天皇観や歴史観にも影響を与えるんじゃないかと思ったのですが、検索してみるとすでにコラム#3055でアルファさんが題名だけですが紹介していました。
 その時は華麗にスルーされていましたが、もしご存じでしたらご感想を伺いたいと思います。
 太田さんのコラムにある天皇像とはかなり違う様ですので・・・。
 (思ったほど話題になっていないので、大したことではないのかもしれませんが)
<太田>
 豊下氏の岸信介についての著書は読んだことありますが、お示しの本は、どなたか簡単にご紹介いただけるとありがたいですね。
 昭和天皇は、日本の主権回復後の米軍の駐留を強く望んだということは事実のようです(典拠省略)。
 旧安保は現安保以上に保護条約であることが明白な条約でした。何せ、いわゆる「内乱条項」だってあったんですからね。
 しかし、憲法の政府解釈を維持しつつ安全保障条約を米国と締結すれば、それが保護条約・・非対等条約=不平等条約・・になることは避けられません。
 以下蛇足です。
 戦前の日本の悲劇は、軍事と非軍事の双方に通じた人材が育たないところの、分断された高等教育が行われていたことです。
 更に言えば、軍事においても、陸軍と海軍の双方に通じた人材はいませんでした。
 その唯一の例外が昭和天皇です。
 だから私は、昭和天皇は昭和期の戦前の日本の最高の知識人であると言ってきたのです。
 まだ占領時代のことです。朝鮮戦争の軍事状況説明を駐留米軍司令部が昭和天皇に行ったことがあると承知しています(インターネットで見つからない!)。
 天皇が一切の権限を奪われた、しかも占領時代の日本において、米軍をして状況説明をしたいという気持ちを起こさせる何かが昭和天皇にはあったということでしょう。
 (朝鮮半島をつい最近まで昭和天皇が「統治」していた、ということも背景にあったでしょうね。)
 ひょっとしたら、昭和天皇、米軍に何か作戦上のアドバイスをしたかもしれませんよ。
<michisuzu>
≫そうした日本の国体そのものであり結晶である天皇陛下が、戦後、自決されなかったのは、国民のためだとしか考えられません。<<中略>> 天皇陛下が自害するべきだったと考えておられる皆様は、なぜ天皇陛下が生き残られたのか、その理由をどうお考えなのでしょうか? 単に責任を取りたくなかったからとか、自分の命が惜しかったからなどと解釈して納得されているのでしょうか? それとももっと説得的な解釈があるのでしょうか?≪(コラム#3103。マソン)
 これって私への質問なんでしょうか?
 まず昭和天皇の責任があるべきという人は少数派だと思います。
 多数決でいうなら昭和天皇には責任がないでしょう。
 しかし理性的な常識をもった人であれば昭和天皇に責任があることは明白です。
 理由は一つです、国家元首だったという事実です。
 それだけで十分です。
 私がなにより昭和天皇の責任のとり方(自殺もしない退位もしなかったこと)には反対です。
 退位した後に自害されたら史上最高の天皇と尊敬されたでしょうし、その後の日本人に身をもって責任のとり方のお手本になったでしょう!
 責任を明確に取らなかった結果、現在の日本人の倫理観(無責任)を生んだ原因だとも思えます。
 どちらにしても国家元首という身分はその身分に合った責任と身の処し方があるべきというのが私の信念です。
<太田>
 またも英王室の話ですが、最近TVで映画「クィーン(The Queen)」を見ました。
 ご存知の方が多いと思う、ダイアナ死後のエリザベス2世(ヘレン・ミレン)の対応を描いた映画です。
 女王と(映画に登場する)ブレア首相(当時)のダイアナ観・・王室を汚したダメ女・・は我が意を得たりですし、ブレアの奥さんのシェリー(敏腕弁護士)に「英国には憲法なんてない」と言わせているところにもニンマリしました。
 女王が、「私が任命するまではブレアは首相ではない」と言ってのけるところもいかにもさにあらんという感じでした。
 それはそれとして、この映画の最大のポイントは、女王もブレアも、英王制の存続のためには一体何をなすべきか、という観点からその言動を律している、その結果女王は、「ダイアナの死に沈黙を守る」→「深甚なる哀悼の意を表する」と方針を180度転換するところです。
 さて、私は昭和天皇に法的(形式的な)戦争責任はない、という立場であることはご存じの通りです。
 もちろん、その上で、昭和天皇が自発的に自決されるなり退位されるなりすることも不可能ではなかったでしょう。
 昭和天皇がそうしなかったのは、そうすれば、天皇制の維持が(より)困難になる、という認識からであったことは想像に難くありません。
 michisuzuちゃん、天皇制や昭和天皇についてのスタンスはちょっと脇に置いて、天皇制存続の観点から自決/退位の是非を考えてみてごらん。
 いや、考えてみても無駄なんだなあ。
 相手は、天皇制存続を至上命題とするDNAを代代1000数百年にわたって受け継いできているプロ中のプロです。
 我々どシロウトが束になってかかったってかなう相手じゃないよ。
 恐らく間違いなく昭和天皇の判断の方が正しかったはずだ。 
<かえるくん>
 太田さん。
 コメント頂きまして誠にありがとう御座います。
 ひと先ず、文学と国際関係論の橋渡しの為に、岸の片側に最初のロープを掛ける杭を打ったつもりだったのですが。(どひゃー。大袈裟な!)
 偶々「たかじん」で拝見し、何だかシンパシーを感じて、以来太田さんのファンであります。
 著作も3冊購入し拝読させて頂きました。
 さて、太田さんのファンであり、それより前から村上春樹のファンでもある私としては、正に↓この部分の、力を合わせる事の一環として、
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible,living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.
太田さんと村上をできるだけ架橋してみたいなぁ。と思うのです。
 ご指摘の通り原典の調査が不十分で失礼いたしました。
 但し、署名入りの論旨テキストと、スピーチ全編を逐語したものは、微妙に違うようです。スピーチ全編は、現時点でも未だテキスト化されていない模様です。
 完全版は孰れそのうちに公開されるでしょう。
 そして、絶滅危惧種である文学部の学生達の多くが、自身の存在意義を懸けて、村上のスピーチを論文テーマにすると思います。
 スピーチの考察は、これから次々に出てくるであろう論文を手がかりに、後でゆっくり楽しみたいと思います。
 特に村上作品での「壁」は、「隔てる」意味と「出入り口」の意味があるので、一義的な解釈はし難い気がします。
 それはさておき、拙いながら、無謀にも、太田さんに幾つか反論を試みます。
≫・・・”Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
 Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.・・・・・・・・・・・・・・・・・村上が、ガザ「戦争」に関し、イスラエル側(だけ)を非難していることは明白だからで す。≪(コラム#3103。太田)
 「防衛白書の行間を読んでくれ」と仰った太田さんとは思えぬご意見に思えます。本当に村上はイスラエル側(だけ)非難しているのでしょうか?
 戦車と白燐弾の間にさりげなく(ロケット弾)が挟まれているのはハマス側もちゃんと非難していると私には読めたのですが。
それに「egg」は、ハマスでもイスラエルでもないですよね。
≫村上の人間一般に関する無知とナイーブさ・・戦後の平均的日本人の人間一般に関する無知とナイーブさと言うべきか・・を完璧なまでに露呈させてしまったことです。≪(コラム#3103。太田)
 えぇ~っ。
 本当にそうでしょうか? 
 もし、村上が正真正銘の無知でナイーブな人間なら、それは今に始まったことでなくずっとそうであった可能性が高いでしょう。
 イスラエルは、無知でナイーブな日本人作家の小説をわざわざヘブライ語に翻訳して出版し、大統領までが式に出席して賞賛するほどお人好しのお目出度い国でしょうか? 
 ヘビーでタイトな環境に有るイスラエルが、そんなに無知でナイーブとは思えないのですが。
 それとも何か深遠なイスラエルの意図が、このセレモニーに隠されているのでしょうか?
 かてて加えて、ヘブライ語に限らず、村上の小説が40ヵ国もの言語に翻訳出版されているのは一体どういう訳なのか? カフカ賞を受賞したり、ノーベル賞の候補にあがっているのも事実です。それらを全部踏まえてみると、村上春樹を無知でナイーブと切り捨てるのはかなり無理 があると思うのですが、如何でしょう?
 見方によっては村上春樹の小説をおとぎ話と評する事はできるかも知れません、さすれば、戦車に投げ込まれた手榴弾に我が身を挺して他の乗員を救う兵士もおとぎ話だという事に等しいと思えます。私には、どちらも現実の人間のはなしに感じるのです。 (ん? ナイーブ?)
 「卵」の解釈例として、自爆テロの実行者と取る事が出来ます。また、その自爆テロによって傷つき死んでしまった市民と取ることも出来ます。対象は相対的です。 村上が明言しているのは・・・Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with that egg.・・・ という箇所で、たとえ「卵」がどんなに間違っていても常に「卵」を支持する。というユニークな点です。 
 そういう態度が政治的に正しくないと言われればその通りですが、村上は政治家ではなくて小説家です。 
 ファンタジーは駄目! と言われてしまえば其れまです。 
 帰りの飛行機をミサイル攻撃させる口実を作らせず、帰国後日本で殺し屋が訪問してくる口実を作らせず、ちゃんとリスクテイクしながら、ハマスもイスラエルも批判するというのは、思想家や哲学者とも違った小説家ならではの高等技術だと私は感じたのですけれど。 
 そのような村上の才能に対してイスラエルは敬意を表したのではないでしょうか。
<太田>
 頑張りましたねえ。
 あなたが「ロケット」に目を付けてまで村上を擁護しようとしたのはご立派ですが、単語の意味は文脈の中で解釈されなければなりません。イスラエル軍だって各種ロケットも用いてガザ「戦争」を戦ったのですからね。Got it?
 青年時代で小説を読むのを止めてしまって後悔している私の文学論など、お耳汚しかもしれませんが、私がなぜ後悔しているか、を申し上げましょう。
 一人の人間が、その人生においてどんなに有為転変があろうと、経験できることはたかがしれています。
 小説は、読者の経験・・仮想経験ですが・・の幅を飛躍的に広げてくれる、という意味で、もっと読むべきだったと後悔しているのです。
 では、質の高い小説とはどんな小説でしょうか。
 それは、(心理描写を含む)状況描写力が優れていて、迫真性がある小説だ、というのが私の考えです。
 もちろん、詳細な描写を求めているわけではありません。
 少ない言葉で迫真性のある状況描写ができれば、それにこしたことはないのです。
 私は、村上の小説は、かつて村上の小説(の英訳)のガーディアン掲載書評をとりあげた時に、ほんのちょっとばかし部分的な抄訳(英訳)を斜め読みしたことがあるだけですが、村上の類い希な能力を感得できました。
 この村上の能力を感得した世界の人々が、彼の小説をそれぞれの国の言語で読んでいる、ということでしょう。
 ついでに言うと、村上の今度のスピーチの英語も素晴らしいですね。確か、もともと彼は米文学の翻訳家だったですよね。誰かの手が入っているのかもしれないけれど、基本的にご自分で書いたんでしょう。恐らく、彼の小説は、英語に翻訳しやすい日本語で書かれているんじゃないかな。そういう意味で、彼の小説には普遍性があるんだと思います。
 これでジ・エンドです。
 我々はそれ以上のものを村上に求めるべきではないし、村上もそう自覚すべきだ、ということです。
 村上は、彼が紡ぎ出した仮想経験の世界を生のままで我々の前に提示すれば足りるのであって、村上に「何が正しくて何が間違っているか判断を下」してもらう必要はない、そんなことをすると、ドジ踏むよ、ということです。
 記事の紹介です。
 「・・・中川を最も重用したのは実は元首相・小泉純一郎だ。経済産業相を2期、農水相を1期と政権後半の3年に渡って閣内で通商交渉の主柱として使った。・・・ 中川の体調の危うさは・・・、自民党内ではかねて周知の事実だった。小泉ももうろうとして首相官邸にやってくる中川を心配して、 官邸スタッフを介して極秘に厳重注意した。・・・」
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/shimizu2/index.html
 何度も言っていることですが、一番ワルいのは小泉純一郎ですからね。
 もう一つ。中川の記者会見の席で中川の「酩酊」に目をつぶった役立たずでいくじなしの主要メディアの記者連中が書く記事を皆さんは読まされているということです。
 記者クラブ制度を通じて、日本の主要メディアが現在の日本の政官学癒着構造のジュニアパートナーだという私の指摘を噛みしめて下さいね。
 人民網が今度は日本の幼稚園を絶賛しました。 
http://j.peopledaily.com.cn/94473/6592072.html 
 カトリック教会が、懺悔の男女比較を明らかにしました。
Men 1. Lust 2. Gluttony 3. Slot 4. Anger 5. Pride 6. Envy 7. Greed
Women 1. Pride 2. Envy 3. Anger 4. Lust 5. Gluttony 6. Avarice 7. Sloth
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7897034.stm
 対象が全世界の信者なのか、イタリアの信者なのか等、定かではありませんが、男性の場合、肉欲(Lust)が1位なのは当然として、プライドが男性では5位、女性では1位というのが解せません。
 そんなに女性って高尚でしたっけ? 
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太田述正コラム#3106(2009.2.19)
<バレンタインデー抄(続)(その2)>
→非公開