太田述正コラム#14412(2024.8.21)
<映画「大津波」>(2024.11.16公開)
1 始めに
たまたま、エドガー・スノーのことを調べている時に、スノーは「パール・バックやジョン・フェアバンクと交流。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC
というくだりに遭遇し、私が小6だった時の1960年に帝国ホテルの一室でパール・バックに会った(コラム#省略)時の光景が蘇ってきました。
あの時は、彼女が制作していた映画の主要出演者の一人に私が指名され、彼女によるインタビューに臨み、私がその場でお断りして以来、私の代わりにその役を演じたのは設楽幸嗣という子役俳優だったと風の便りで聞いただけで、すっかり忘れたままでいたのですが、一体どんな映画だったのか調べてみることにしました。
(スノーの『中国の赤い星』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%B5%A4%E3%81%84%E6%98%9F
は毛沢東の中共の文字通りのPR用いやプロパガンダ用パンフレットですが、パール・バックがノーベル文学賞を受賞した『大地』は、蒋介石政権のPR小説の趣があったと言ってよさそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0_(%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%9F%E3%81%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E8%A3%82%E3%81%9B%E3%82%8B%E5%AE%B6 )
2 分かったこと
まず分かったのは、映画のタイトルであり、The Big Wave(大津波)でした。(上掲)
次にキャストですが、成人俳優達が豪華である上、子役達も多芸多才な人々であること、に驚きました。
おまけに特殊効果を担当したのは円谷英二です。
主な出演者達を紹介すると、ミッキーカーチス(その子供時代は太田博之
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%8D%9A%E4%B9%8B )と伊丹十三(その子供時代は設楽幸嗣(注))、といった具合です。
(注)1946年~。「元俳優、元子役俳優で・・・作曲家・編曲家、音楽プロデューサーで・・・作曲家の武満徹は叔父にあたる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%AD%E6%A5%BD%E5%B9%B8%E5%97%A3
ちょっと不思議なのは、この映画、セリフは英語なのに、設楽や太田(博之)が英語を身に着けられる環境で育ったとは思えないことだ。
更には、早川雪洲、笹るみ子(その子供時代はジュディ・オング)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E3%82%8B%E3%81%BF%E5%AD%90
等々が出演、と来たもんだ、です。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Big_Wave_(film) ←キャスト名
この映画、1961年1月に完成し、1962年4月に米国で封切られていますが、日本では、2005年10月に、かつてそこでこの映画が撮影されたところの、雲仙、で、たった一度上映されただけのようです。(上掲)
3 この映画は何だったのか
この映画は一体何だったのでしょうか。
台本を読んだ私のかすかな記憶に照らせば・・いかに、かすかかは、津波なんか出てきたっけ程度であることからご推察ください・・、多分ですが、これ、当たっているような・・。↓
「この作品は,戦後占領下日本およびドイツで民主化政策のための教育材料に選ばれていた.また,戦後1950年代終わりまで,アメリカではアジアを主題とする文学や映画などのアジア表象が多数創作され「冷戦期オリエンタリズム」を形成していたが,1956年にテレビドラマ化,そして1962年に映画公開されたこの『大津波』は,同時代アメリカの冷戦文化を形成する一役割を持っていたと考えられる.一方日本でも,この作品は津波が戦後の日本人にとって敗戦と占領の象徴となり,日本人読者に特殊な受容と解釈をもたらす.」(大妻女子大学文学部准教授の鈴木紀子「アメリカと日本の架け橋に―パール・バック『大津波』と戦後冷戦期日米文化関係」より)
https://journal.otsuma.ac.jp/2018no28/2018_82.pdf
もっとも、引用中の最後の一文は、(この映画は日本では上映されていないに等しいし、原作の邦訳は出てなさそうですから、「日本人視聴者」や)「日本人読者」は、鈴木氏、約一人強、ということになりそうですが・・。
父親の書架に『大地』があったことから、(この本、ボロボロだったこともあり、表紙を眺め、パラパラとページを繰ったくらいで読んだ記憶はありませんが、)バックという名前は知ってたので、私、彼女に関心はあったものの、台本を読んで、その「冷戦期オリエンタリズム」臭に子供ながら強く反発し、彼女の面前で出演を断ってやろうと思った、ということだったのではないでしょうか。
そんなこととはつゆ知らず、バック見たさに一緒についてきた母と叔母でしたが、帰り道、母は何も言わなかったけれど、英語は分からねど雰囲気を察していた、というか、帰り際にバックの日本人の女性秘書に残念でしたねと言われてさすがに察したであろう、叔母は、どうして断ったのだ、そもそも、断る気ならどうして会いにきたのだ、と、盛んに愚痴っていたものです。