太田述正コラム#14416(2024.8.23)
<徳富蘇峰『皇道日本の世界化』を読む(その4)>(2024.11.18公開)
「我が日本は一大危機に直面している。
百戦百勝、海陸共に意の如く、何ら心配は無き様なれども、それはただ表面だけのことである。
事実においては、日本は殆ど空拳を揮って、世界を相手として、一大奮闘をやっているのだ。・・・
⇒盧溝橋事件から半年程度の南京陥落直後の時点で、いかなる根拠からかは定かではないとはいえ、こう言い切った蘇峰はやはりただ物ではないな、と思います。(太田)
かかる状勢の真中に立って、我が国には如何なる味方があるかといえば、・・・防共協定の一点において結ばれたる・・・ドイツとイタリアである。・・・
しか<し、>ドイツにせよ、イタリアにせよ、彼らは自国において手に余るほどの仕事を有っている。・・・
それで我らは最悪の場合を覚悟して、日本の独力を以て、如上の敵に当る覚悟をしなければならぬ。・・・
我が皇軍の勇敢なることは、既に世界に証明せられたが、しかも我らはこれを以て決して満足すべきではあるまい。
過日英国の老将、サー・アイアン・ハミルトン<(注1)>将軍が、日本兵が余りに強いために、「これでどしどしやって来られては、とても白皙人種はたまらない。ついてはヨーロッパ人は、互いに力を併せて、この禍を未成に防ぐことを図らねばならぬ」ということをいっている。
(注1)General Sir Ian Standish Monteith Hamilton(サー・イアン・スタンディッシュ・モンテイス・ハミルトン陸軍大将。1853~1947年)。a senior British Army officer who had an extensive British Imperial military career in the Victorian and Edwardian eras. 英陸士卒。・・・
From 1904 to 1905, Hamilton was the military attaché of the British Indian Army serving with the Japanese army in Manchuria during the Russo-Japanese War. Amongst the several military attachés from Western countries, he was the first to arrive in Japan after the start of the war.・・・
Along with his professional career, Hamilton was a prolific writer. He published a volume of poetry and a novel contemporarily described as risqué.・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Ian_Hamilton_(British_Army_officer)
然るにこの頃「サンデー・タイムス」に、これを駁して、「自分は親しく上海に在って、日本兵の腕前を見たが、決してハミルトン将軍の心配するほどでは無い。日本の兵は強いには強いが、彼らは余りに型に嵌り過ぎて、自発的に能力が欠乏している。未だ決して世界第一の精兵とはいうことが出来ぬ」ということを書いていた。
これらの批評は当らないまでも、我らは「苦言即ち薬言」として、これを考えねばならぬ。
固より戦争は、戦争それ自身が破壊であり、乱暴であるから、戦争を観兵式同様にすることが出来ぬのは、判り切った話である。
しかも、秋毫も侵さず、号令厳命、戦うところの敵は、ただ武器を持ちたる敵軍に止って、その兵禍を他に及ぼさず、真に敵地の老若男女をして、我を歓迎せしめることは、皇軍の皇軍たる所以であらねばならぬ。
我らはこの点にについて、決して我が皇軍に不足をいうではない。
しかもこの上にもかくあれかしと望むことは、今日において皇軍そのものが、我が皇道を宣揚する、有力なる宣教師であるがためである。」(27~29、33)
⇒ここも、南京事件の情報の一端が蘇峰に入っていたと考えざるをえませんね。
もっとも、南京事件(中の一般住民への乱暴狼藉)は、私見では、杉山元らが仕組んで元次官の柳川平助第10軍司令官にやらせたものだったわけですが・・(コラム#省略)。
(続く)