太田述正コラム#14418(2024.8.24)
<徳富蘇峰『皇道日本の世界化』を読む(その5)>(2024.11.19公開)
「・・・日本では英米と一口にいっているが、英米は決して同一ではない。
⇒この箇所に関しては、文句なく慧眼です!(太田)
英国の英国気質があれば、米国には米国気質がある。
⇒ここは、それぞれの気質について、説明して欲しかったところですが・・。(太田)
而して米国と我が国とは、経済上においては、何ら利害の衝突することが無いばかりでなく、互いに有無相通じ、共存共栄を為す上に、何ら妨げというべきものが一も無い。・・・
⇒褒めた途端にがっくりさせられました。(太田)
<また、>米国の縄張りは南北亜米利加で、その方面においては、我が国は何ら米国の得意場を荒すことはない。
もし米国の南米における得意場を荒す者があったとしたならば、それは英国であろう。
かつまた我が国の方では、米国に対して移民問題やら何やら、多少不快のこともあったが、米国は我が国に向って、何ら不快の念を挟むべきことは無い。・・・
⇒とにかく、蘇峰の米国に対する見方は甘過ぎて呆れるほかありません。
戦後日本の米国宗主国化の端緒をこういったところに見出すことができます。(太田)
<次に、>英国との関係であるが、これは対米国の関係よりも、頗る複雑である。
英国がもし日本を相手として何処までも日本の頭を叩くことを、その目的とするならば、好ましくは無いが、余儀無く我らもその相手とならねばならぬ。
しかしもし英国が我が国の東亜における立場を認識し、我が国と交譲し、我が国と妥協し、我が国と提携して、東亜の政局を安定ならしめんことを努めるということになれば、我が国もまたそれに対して、相当に応酬すべきは当然のことである。
事実をいえば、商業上において、両国の衝突すべき市場は、世界の各所において、決して鮮くはない。
特に東亜においては、英国は旧勢力であった、日本は新勢力である。
この新旧二者の間に衝突の生じるのも、これまた止むを得ざることである。
正直のところ我らは、余りに英国の力を買い被り、英国の暴威に屈従し過ぎたのである。
我らは必ずしも、英国を東亜より駆逐するというのではない。
ただ英国と同一の立場に立って、同一の水平において、その葛藤を整理することに、務めねばならぬ。
それには我らは何よりも先ず英国を知らねばならぬ。
次には知った通りの英国に対して、端的にそれに処するの道を講じねばならぬ。・・・
利害が衝突するからあくまで敵とならねばならぬという理由は無い。
いわゆる外交上の工作ということは、かかる場合において最も必要である。
我らが不服であるのはいわゆる崇英論者が、一も二もなく英国に叩頭することである。
いやしくも正道を以て英国と交り、英国をして我が皇道を認識せしめるを得ば、日本のためにも英国のためにも、将(は)た世界のためにも、これ程仕合せのことはない。」(35~37)
⇒蘇峰の英国に対する見方はまあまあバランスがとれていますね。(太田)
(続く)