太田述正コラム#3111(2009.2.22)
<皆さんとディスカッション(続x406)>
<太田>
 面倒くさがりやのmichisuzuちゃん(コラム#3109)に代わって、私が典拠をお示ししましょう。
 「幕末の「志士」たちは、彼らの手紙のなかで、天皇のことを隠語で「玉」と表現し、倒幕への画策を「芝居」といった。「玉」を奪われては「芝居」は総くずれになる、という。 
 彼らが「玉」をどうよんだかはわからない。この「玉」には「ギョク」という側面と、「タマ」とよぶ側面とがあった、と私はみる。ギョクは将棋でいえば王将である。敵方に奪われてしまえば負けである。 
 だから、ギョクは絶対を意味する。タマにももっとも大切なものという意味があるが、タマには策略などの手段に用いるものという政治的利用の意味もあるのだ。
 とすれば、ギョクは尊攘運動のなかで強烈にうち出された天皇への絶対的な価値観であり、タマは公武合体運動における相対化によって生まれた政治的利用性なのである。天皇をさす隠語としての「玉」には、この二つの意味が内包されていたのである。
 この二つの意味を内包する「玉」を、慶応期の討幕運動は表象とした。いうなればそれは、尊攘運動と公武合体運動を止揚(アウフヘーベン)したものであった。
 1865(慶應元)年9月、大久保利通は在坂の西郷隆盛にあてて手紙を書いている。いわく、「至当の筋をえ、天下万人がご尤もと奉ってこそ勅命であって、非義の勅命は勅命ではないから奉じなくてよい」と。これは第二次征長(長州征伐)を許した朝廷への批判を込めたものであった。 
 大久保は、天皇の命令は絶対だという前提に立ちつつも、義にかなっていない勅命は勅命ではないというのである。そこには勅命それ自体の絶対性とは別のところに判断の基準が求められている。別の判断の基準とはなにか。それは天下万人が納得する、つまり天下の世論(公論)をさす。なにを天下の世論とみるか、そこに討幕派の判断が入る。いうところの公論は朝廷(公)と重なり合う。 
 討幕派は天下の公論をふりかざすことによって、みずからの主張を天皇と結びつけ、至当の筋をえた勅命とするのである。勅命は討幕派の価値判断を通してはじめて勅命となり、天皇は討幕派の政治操作によって絶対化される。ギョクとタマのこの交錯した論理は、慶応期の「玉」としての天皇のなかで凝縮されているのである。 
 「玉」=天皇のなかに凝縮されたこのギョクとタマの論理こそが、討幕運動の論理だった。 
 1866(慶応2)年12月25日、孝明天皇は急死し、翌年1月、幼少の睦仁(のち明治天皇)が即位した。天皇の急死をめぐっては、痘瘡だったとする説と毒殺されたのだという説とがある。 
 当時、いち早く宮中から毒殺の噂が流れ、主謀者に討幕派に属するメンバーの名が挙げられたのは、毒殺が事実であるかどうかはともかく、攘夷に固執する「玉」を除き、新しい「玉」に代えるという、まさに討幕派の論理がそこに読みとられたからであろう。」
(田中彰著「明治維新」岩波ジュニア新書 p55-58)
http://www6.plala.or.jp/kyotohorimaru/tusin04/040112.htm
 世論を改革派(革命派)が判断する、それを天皇も判断する、その上で、天皇が誤った「指示」をすれば、それは無視される、それでも天皇が考えを改めなければ、その天皇は「更迭」され、天皇制は危機に瀕することになる、よって天皇は真剣に世論を判断せざるをえない、結果として天皇制は存続する、ということを何度か繰り返すことによって、日本は危機の時代を円滑に乗り切ることができ、天皇制も存続してきた、ということなのです。
 このように私は、天皇制を肯定的に見ているのに対し、michisuzuちゃんは否定的に見ているわけですね。
<地方ノンキャリア>
 大変ご多忙の所、申し訳ございません。
 守屋元事務次官の件以来、太田元審議官に注目し、貴殿の書、メディア出演を拝読、拝見しておりました。しかしながら、ノンキャリア職員に対する私見を鑑みることができなかったために、僭越ながらメールをさせて頂いた次第でございます。
 率直に申し上げまして、私は、ノンキャリアの人事管理に多大な不満を感じております。キャリアの方々とは、入省後わずか1ヶ月間の研修における間接的な関わり合いです。そこで、Ⅰ種の方々の知識、謙虚さ、防衛という国家存立の礎を支えていくという青雲の志に鼓舞される大変貴重な経験を得る事ができました。
 しかしながら、一地方部隊に配属され<ることを>知った事は<ショックでしたが>、トップダウンという名の下に盲目的な思考停止をする隊員<・・私達ノンキャリもそうです・・>方<が大部分>です。<こんな人事をしていて、>国民に対する説明責任を果たすことができるのか、全くもって疑問な事例も多いです。
 種々の問題が山積する自衛隊という不明確な定義の組織においては、特別権力関係に依拠する組織であると考え<つつも>、意見具申をすることは制度的にも認められるのではないか等、なんとか反論を苦心して考え自問自答しております。また、トップダウンの指示を自分の中で斟酌することなしに唯々諾々と従う盲目的な人間にはなりたくはないと思う次第です。
 幕勤務経験者の<制服?>幹部は、内局の人間に対する不満を吐露しておりますが、その幹部自身の傲慢さを棚に上げた発言に辟易しています。
 私は、内局、又は機関勤務を希望しています。ノンキャリアの仕事は雑務でしかないにしろ、その雑務を意欲を持ってするならば、コピーを取るにしても、荷物を運ぶにしろ得られるものは大変大きく、意義深いと考えています。しかしながら、来年度の異動はまたしても地方部隊との内示です。
 キャリアの方々は、部隊勤務をすることはありませんが、そこで働くノンキャリアの方々に思案を巡らせたことはおありでしょうか。
 また、ノンキャリアの人事管理の最終決裁権は内局にあると仄聞しておりますが、査収するお時間はなく、ペーパーワーク<(=形式的処理をしている)>というのが本音でしょうか。
 部隊勤務のノンキャリアの離職率は、3年で3割と言われていますが、語弊を恐れずに言えば、その原因は制服組に対する猜疑心を押し殺すしか術のない立場であると言うことと、自身の希望を全く考慮してくれない人事への喪失感です。
 駄文を読んでいただき、大変感謝しております。さらに、差し出がましいですが、私は、この組織を辞すことも視野に考えております。敬愛する太田元審議官の言葉に、我が道への光明を感じたいのです。ご多忙を大変存じ上げておりますが、ブログでノンキャリアについての見識を伺いたいと重ね重ねお頼みしたいと申し上げます。最後になりますが、今後とも御健康にお気を付け、慧眼の見識を私達に御教授下さい。
<太田>
 <>は、あなたの文章の意味を明確にするために私が付け加えさせていただいた部分です。あしからず。
 拙著をご愛読いただき、ありがとうございます。
 さて、あなたは首都圏勤務をご希望のようですが、それ以外の特定の地方における勤務を希望される方もおられます。
 他方、防衛省に限らず、癒着防止の観点等から、公務員は何年かに一度は異動させることが鉄則です。
 そうなると、勤務地についての全員の希望に応じることは困難です。
 その代わり、公務員には失職の恐れも、給与ダウンの恐れも基本的にありません。
 こういうことを総合的にお考えになった上で、防衛省勤務を選ばれたのではないのですか。
 もとより、このような人事のしくみは、構造的な女性差別につながる側面があり、だから女性に対するアファーマティブアクションが必要だと私は考えているわけですが、仮にそうなるとすると、あなたのような方が一層ワリを食うということになりかねませんね。
 結局、採用する段階から、特定の地方における勤務を希望する方とそうでない方を、それぞれ枠を設けて選考する方法をとるほかないのかもしれませんね。
 拙著『防衛庁再生宣言』でも示唆したところですが、日本の軍事機構(自衛隊)における制服/文民比率は前者に偏った異常なものです。今後これが是正されていくことは必至であり、そう考えれば、防衛省のノンキャリの若手の方の将来への展望は開けていると見ることもできるのではないでしょうか。
 ご自分の今後の進路については、慎重にお考えになることをお奨めします。 
 なお、書く能力を磨くためにも、毎日日記をおつけになるとよろしいかと存じます。
<すずめちゃん>(http://shinetu.blog.so-net.ne.jp/
 土曜日<(2月14日)>の朝、TBSの報道番組で公明党の澤議員は「わたり」は認めないが、民間は仕方がないと述べました。
 民主党の長妻議員から「テレビで はいうが何もしない」と詰め寄られると小さな声で「党のプロジェクトでいろいろとやってますから」と述べ、何もする気がないことを述べているように受け止めました。
 澤議員が言うように民間だったら良いのか、この無知ともいうべき、知っていて知らんふりしているのかもしれませんが、驚きました。
 『実名告発防衛省』では次のような記述があります。・・・
 「この官製談合スキームを説明しておきたい。防衛庁が受注企業に防衛庁OB を再就職(天下り)させ、その人数に応じて防衛庁関連の受注を企業に割り振る、これが天下りスキームだ。逆に受注を狙う企業側から、退職予定者の雇用を申し出ることも多い。
 そのため防衛庁は、契約はできる限り随意契約で行なおうとする。しかし、建設・土木事業の契約では随意契約というわけにはいかない。特定の企業しか請け負えない特殊な、あるいは高度な技術を要する建設・土木事業なんてほとんどないからだ。
 すると防衛庁は、できる限り一般入札ではなく指名競争入札で契約を行なおうとする。しばらく前までは一般競争入札でも大部分談合が行なわれていたが、現在では一般競争入札で談合を行なうことが困難になってきたからだ。
 談合には通常の談合(非官製談合)と官製談合がある。
 非官製談合は企業サイドの示し合わせによる自主的談合だが、官製談合のほうは、発注者(官)が受注昔(企業)を指名するという官が主導する談合だ。その際には天下り先の提供や金品など贈収賄や便宜供与が通例となっている。一方で役所側は、天下りOBがいない業者同士が行なう通常の談合を黙認する。
 企業に個人献金や集票活動をしてもらっている政治家ーそのすべてが自民党議員か元自民党議員だーは、官製談合を含む談合システムの存在を認識した上で、このシステムの安定的維持を図るという役割を担っている。これにより自民党は、官僚機構という巨大な利益擁護団体に奉仕していることにもなる。加えて、個々の政治家が直接動くケースもある。通常の談合の仕切り役による官需割り当てに不満があり、受注を増やしたい。しかし人員を増やすつもりのない、また役所のOB を受け入れるつもりのない業者が、政治家に陳情する。」
 これは私が見てきたものと同じで、防衛省だけの問題ではなく、この国のあらゆる分野にあることです。
 民間への天下りが良いとされる理由が分かりません。
 天下りをしていなくても政治家との癒着があります。
 受注前後にパーティー券購入 西松OBの2政治団体(2009年1月26日 西日本新聞)
 「違法献金疑惑が出ている準大手ゼネコン西松建設関連の2つの政治団体が2004~06年、広瀬勝貞大分県知事ら2県1市の現職首長の政治資金パーティー券を購入、その前後に各自治体発注工事を受注していたことが26日、分かった。3首長側は「(西松建設側への)便宜供与はない」と説明している。」
 天下りや渡り鳥の問題は40年前から労働組合などが問題にしていました。
 そして、連綿と続いています。
 その背景をじっくりと探っていく必要があると思います。
 公企業はなんでもつぶせとか、公益法人なくせば良いとかいう単純な論議は問題の本質を隠しています。
<太田>
 中学時代の親友澤雄二や、浩志会仲間の広瀬勝貞さんの名前が出てくるとは感慨深い。
 それにしても、宮崎県、キャノン、鹿島の三つどもえの不祥事報道がなされているのに、広瀬知事に話が波及しないのは不思議ですねえ。
<原爆2世>(2007/10/29 19:11)(http://72.14.235.132/search?q=cache:eHkC9_w2xj4J:https://www.ozawa-ichiro.jp/keijiban/s8_b.php3%3Fb_id%3D43%26d_order%3D1%26page%3D333+%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%BF%B0%E6%AD%A3&hl=ja&ct=clnk&cd=268&gl=jp
 –民主党はまず、「防衛省のウミ出しを」–
 神奈川、自営業、60才代<です。>
 今回の防衛庁の不祥事のことになるが、わが国の自衛隊が発足してから、過去2度シビリアン-コントロ-ルの問題を惹起してきたが、今回の問題は、一層複雑な構造的な問題といえる。
 民主党がまず、行うべきことは防衛庁の解体的な改革である。
ここに、防衛省キャリア組みが「防衛省OB太田述正ブログ」が存在する。http://blog.ohtan.net/archives/51047617.html
 太田氏の意図はともあれ、民主党攻撃の他、政府攻撃を行っている。ここには、「おぞましい」「危険」な思想が、防衛省に芽吹いている気がして仕方が無い。
 もちろん、防衛庁キャリアの鬱積された不満と政治家攻撃をしている。レポ-トは5回にわたる。
 なんと「太田氏は守屋次官の同期」だ。
太田氏のブログより転記
(イ)英国の海軍と空軍の正式名称もRoyalから始まります。(陸軍は、Royalはつかないが、王族達が連隊の名誉連隊長等を勤めます。)
 つまり、王室と近しい関係にある組織・機関は、特に軍人を大切にする、ということです。・・・以下詳細は太田氏ブログ参照
(ロ)防衛省キャリアは、国内からと米国からの二重の蔑視に晒され続ける生涯を送ります。 やがて、彼らは蔑視に鈍感になっていきます。蔑視に晒されていることすら忘れようとします。自己防衛機能というやつです。・・・以下太田氏ブログ参照
<太田>
 今頃、上記を「発見」しました。
 当時から、何だかものすごく時間が経った気がしますね。
 記事の紹介です。
 
 「地球温暖化防止と景気浮揚を両立させる「グリーン・ニューディール政策」に期待が集まる中、日本では経済産業省vs環境省の“暗闘”で、計画策定が遅々として進んでいない。オバマ米大統領の 提唱を受け、環境省が日本版の策定をぶち上げたが、経産省は“完無視”の構えだ。「グリーンな人たち」の声に耳を傾け、高い理想と目標を掲げる環境省に対し、経産省には産業界を主導し現実的な省エネ・環境対策を実現してきたとの自負がある。長年にわたる両省の反目が、ここでも最大の障害となっている。・・・
 斉藤環境相は「技術面で非常に優位にある日本が、気候変動問題でリーダーシップをとっていこう」と気勢をあげるが、その技術を持つ企業と太いパイプで結ばれている経産省やエネ庁との対話すらないというのが実情だ。
 このままでは、“省益”優先の霞が関の縄張り争いを繰り広げている間に、日本だけが世界から取り残されてしまうという最悪の事態を招きかねない。」
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090222/biz0902220801001-n1.htm
 政治家がリーダーシップを発揮しないまま、各省の官僚達がそれぞれの省のキャリア集団の生涯所得最大化を図って省益を追求する、という典型的図式です。
 ところがどっこい。
 下掲の「佐藤優(作家・起訴休職外務事務官)」による『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(朝日新聞出版!)書評をご覧じよ。
 「・・・本書を通じ<外務官僚の岡本行夫や経産官僚の伊佐山健志といった、省益を超えて>国家・国民益のために邁進する官僚の等身大の姿を知ることができる。」
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090222/bks0902220859006-n2.htm
だとさ。
 思わず吹き出しちゃったよ。
 よくもまあ、産経は同じ日の電子版にこんな相矛盾する2つの記事を載っけたもんだ。
 大体からして、この本はご大層にも、「五百旗頭、伊藤、薬師寺の3氏<による>岡本行夫氏からの聞き取りをまとめたものだ」そうだけど、この3氏の誰も岡本氏のロビイスト業がいかなるものかを尋ねなかった(、あるいは尋ねたけれどその部分はボツにされた?)のはどうしてなんかいね。
 日本の現行の政官業癒着構造の下で、政治家が、ご親切なことに、この構造の埒外の依頼人のために個別の口利きを各省庁にしてリターンを得ているのに目をつけ、岡本はその市場に官僚OBとして参入した、ということなのだろうけど、目の付け所がいいというか、志が低いと言うか・・。
 そんな本を朝日が御用学者を動員して出し、産経が書評で取り上げ、御用評論家に堕してしまった佐藤優に書評を書かせる。
 朝日にしても産経にしても、まさに、政官業癒着構造のジュニアパートナーの主要メディアの優等生として頑張ってるわけね。
 日本人の構造的過小消費傾向について、ニューヨークタイムスが記事にしました。
http://www.nytimes.com/2009/02/22/business/worldbusiness/22japan.html?hp=&pagewanted=print
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#3112(2009.2.22)
<「暴力」をめぐって(その1)>
→非公開