太田述正コラム#14426(2024.8.28)
<映画評論117:始皇帝 天下統一(後半)(その2)>(2024.11.22公開)

「前半」を視聴していた時は、秦末の支那の状況に私は最大の関心があったのに対し、「後半」においては、(copilotは、「毛沢東・・・は文化大革命時に「批林批孔」運動において、焚書・坑儒を正当化する漢詩を詠んでいます」としているところ、)現在の中共中央の始皇帝観を探ることに私の関心の対象が変わっています。
 その文脈において、一つ感じられるのは、(後の始皇帝たる)秦王政を、(秦の最高権力者である自分自身をも縛るところの、本来の意味での)法治主義遵守者、として描いていることです。
 (史実とは思えませんが・・。)
 例えば、嫪毐を謀反の疑いが濃厚であるだけでは粛正しようとせず、謀反を実行してから粛正した、等。
 なお、嫪毐の粛清のくだりは、これまでも始皇帝もののマンガ『キングダム』にからめた「評論」が何本か書かれていますね。
https://rekishi-shizitsu.jp/rouaityouki/
https://korea.sseikatsu.net/rouai/
https://chinese-history-dokuzisyukan.com/kingudamu-rouai/
https://history-ancient.com/cyouki-mother-firstemperor/
 ところで、「前半」でもそうでしたが、「後半」に入ってもいまだに秦領内の場面で農地を目にしていません。
 いくら、「農業-遊牧境界・・・文明の優位性によって戦国時代の秦国は農業文明が中心であった東方六国に勝利し、統一を成し遂げる秦帝国を生み出した。・・・
 <例えば、>農耕民族が抵抗できない遊牧民族に秦は抵抗ができて、遊牧民族が支配できない農業地域をも秦は支配できた<等が挙げられる>。・・・
 <ちなみに、>西周も・・・農-牧境界文明によって・・・東方濃厚文明国に勝って中国古代帝国となった<わけだ>」、
https://www.bing.com/ck/a?!&&p=c62526a264a5e5b6JmltdHM9MTcyNDcxNjgwMCZpZ3VpZD0xOWJmMDZkZi02YjFmLTZlNmQtMDk0NS0xMjRmNmE2NTZmMjEmaW5zaWQ9NTM3MA&ptn=3&ver=2&hsh=3&fclid=19bf06df-6b1f-6e6d-0945-124f6a656f21&psq=%e7%a7%a6+%e8%be%b2%e6%a5%ad&u=a1aHR0cHM6Ly9wZXRpdC5saWIueWFtYWd1Y2hpLXUuYWMuanAvMTk3OTQvZmlsZXMvMTUzMDIx&ntb=1
とはいえ、牧地しか登場させないのはおかしい、と、思います。
 秦による天下統一の要因に係るこの総論に加えて、各論として、「後半」に入ってからも、鄭国渠の話が、その秦王政による建設現場の視察の形で出て来るところ、「『史記』<は、>・・・鄭国渠がもたらした経済力が秦の天下統一事業を成功に導いたと描いている」(注1)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E5%9B%BD%E6%B8%A0
ところです。

 (注1)「韓の人鄭国が造った灌漑用の運河。当時韓は秦の侵略を防ぐため,秦の財力,人力を消耗させようと技術者の鄭国を派遣して,渭 (い) 水の支流の 涇 (けい) 水から洛水まで全長三百余里 (1里は約 413m) の渠 (運河) を造らせようとした。鄭国のこの謀略は途中で露見し投獄されたが,この渠の完成は秦の農業生産力の増強に有利であることがわかり,工事は継続され,完成すると4万頃 (1頃は約 4.5ha) の灌田がなされ,関中一帯は従来の3倍以上の収穫が得られるようになったという。」
https://kotobank.jp/word/%E9%84%AD%E5%9B%BD%E6%B8%A0

(続く)