太田述正コラム#14448(2024.9.8)
<映画評論125:ウォーキング・ウィズ・エネミー ナチスになりすました男>(2024.12.3公開)
日本語では、これくらいの情報しか得られない映画を昨日鑑賞しました。↓
「第2次世界大戦下のハンガリーでナチス兵に成りすましてユダヤ人の救出作戦に身を投じた青年の物語を、実在の人物ピンチャス・ローゼンバウムをモデルに映画化した戦争サスペンス。1944年、ナチス・ドイツ同盟国のハンガリーは戦火を免れていたが、国家元首ホルティが連合国との講和を模索していることに気づいたナチス軍がブダペストに侵攻、アイヒマン指揮下でユダヤ人の一掃作戦に乗り出す。労働奉仕に収監された青年エレクは収容所から逃亡し、離散した家族や仲間を探し出すことを決意。・・・
2014年製作/113分/アメリカ・カナダ・ルーマニア・ハンガリー合作」
https://eiga.com/movie/88252/
(英語のウィキペディアはあります。↓
https://en.wikipedia.org/wiki/Walking_with_the_Enemy )
そう言えば、ナチスドイツと同盟関係にあった欧州諸国はイタリアだけじゃなかったな、と、東欧の悲劇的な戦前/戦後史に改めて思いをはせさせられた次第です。
最大の収穫は、ハンガリー摂政を長く務めたホルティ・ミクローシュ(Horthy Miklós。1868~1957年)・・かすかに知識があった・・がこの映画で登場し、戦間期ハンガリーの波乱万丈の歴史を、この人物を通じて学ぶことができたことです。
(彼の邦語ウィキペディアの出来が結構いいです。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5
https://en.wikipedia.org/wiki/Mikl%C3%B3s_Horthy
この映画で初めて知ったのが、ユダヤ系ハンガリー人のピンチャス・ローゼンバウム(Pinchas Tibor Rosenbaum。1923~1980年)ですが、彼は、’During The Holocaust, Rosenbaum saved hundreds of Jews while being disguised as a German SS officer, a soldier in the Hungarian Arrow Cross, or as a member of the Hungarian Levente, depending on the situation. After the war, ・・・<he> lived in Geneva. He earned a doctorate in economics and published two books.・・・’
https://en.wikipedia.org/wiki/Tibor_Rosenbaum
という、この映画でも描ききれないほどのスゴイ活躍をした、しかも超優秀な人物・・役名は異なる・・ですが、彼は、その戦後の人生も、イスラエルのために危ない橋を渡り続けるものでした。(上掲)
この映画のもう一人の主役は、結構、日本でも知られている、スイス人のカール・ルッツ(Carl Lutz。1895~1975年)です。↓
「スイスの外交官。第二次世界大戦中の1942年から終戦までハンガリーの首都ブダペストで副領事として働き、6万2千人以上のユダヤ人を救った。
彼の行動によりブダペストに住むユダヤ人のおよそ半数が生き残り、絶滅収容所行きを免れた。その功績により、ヤド・ヴァシェムから「諸国民の中の正義の人」の称号を与えられており、「スイスのシンドラー」と呼ばれることもある。・・・
ルッツは数万人の人々を救ったが、戦後すぐにその業績が評価された訳ではなかった。むしろ、戦後すぐは中立原則を危険にさらす越権行為であると非難された。戦後10年以上経った1958年、スイスにおいて戦争の振り返りが行われた際に、ルッツの業績が再評価され、数多くの勲章や栄典が与えられた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%84
ちなみに、杉原千畝が救ったユダヤ人の数は、せいぜい数千人に留まります。
ついでに、その杉原ですが、「命のビザ」にはもちろん敬服するけれど、「手記のなかで千畝は「この<日本という>国の内幕が分かってきました。若い職業軍人が狭い了見で事を運び、無理強いしているのを見ていやになった」と述べている。ソ連と関東軍の双方から忌避された千畝は、満洲国外交部を退職した理由を尋ねられた際、関東軍の横暴に対する憤慨から「日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。同じ人間だと思っていない。それが、がまんできなかったんだ」と幸子夫人に答えている<一方で、>・・・<私が杉山構想を開示されていたと見ている>広田弘毅<こそが、>杉原が<最も>尊敬していた外交官・政治家<であり、>・・・千畝の長男・・・「弘樹」の名前は、広田「弘毅」にちなんだもの<である>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
といったところから、杉原という人物が、物事全体を総合的に見る能力・・例えば、帝国陸軍と廣田が同志関係にあったことを見抜く力・・を持っていなかったことが推察できます。