太田述正コラム#14464(2024.9.16)
<映画評論130:Padmaavat(その1)>(2024.12.11公開)
今度は、ヒンディー語/英語字幕映画です。↓
’2018 Indian Hindi-language historical drama film・・・. Based on the epic poem of the same name by Malik Muhammad Jayasi,・・・ Rani Padmavati, a Sinhalese-born Rajput queen known for her beauty, wife of Maharawal Ratan Singh,・・・Sultan Alauddin Khilji,・・・hears of her beauty and attacks her kingdom to enslave her. ‘
https://en.wikipedia.org/wiki/Padmaavat
この映画のストーリーの背景にある「史実」は以下の通りです。↓
’In 1303, the Delhi Sultanate or Delhi Sultans ruler Alauddin Khalji led an army to conquer Chittorgarh, which was ruled by the Guhila king Ratnasimha. Alauddin captured Chittor after an eight-month-long siege. According to his courtier Amir Khusrow, he ordered a massacre of 30,000 local Hindus after this conquest. Some later legends state that Alauddin invaded Chittor to capture Ratnasimha’s beautiful queen Padmini, but most modern historians have rejected the authenticity of these legends. The legends also state that Padmini and other women committed suicide by jauhar<(注1)> (mass self-immolation).
(注1)ジョウハル。「かつてのヒンドゥーの風習である。戦において敗北が決したとき、侵略者による略奪や奴隷化・レイプを防ぐために、女性の集団が焼身自殺する。この風習は歴史的にインド北西部で見られ、現在のラージャスターン州に樹立していたラージプート諸王朝 (Rajput kingdoms) がムスリム軍に敗北したときのものが特に知られている。ジョウハルはサティーと関連しており、学術文献においてジョウハル・サティー (jauhar sati) として言及されることがある。
・・・この風習がラージプート諸王朝間の内紛に起源をもつことは「ほぼ確実」だという<説がある>一方で、・・・ジョウハルの風習はヒンドゥーイスラム間の戦争でのみ見られ、ラージプート諸王朝間の内紛では見られなかったという<説もある>。
ジョウハルという語は時として、集団焼身自殺のみならずサカ (saka) という儀式をも指すことがある。ラージプートの女性は軍事的な敗北と略奪が避けられない状況に置かれると、略奪を防ぐために子供と金目のものとを巻きこんで、業火で自殺を決行していた。それと同時に、あるいはその後、男性は死を覚悟して戦地に赴く。後者の宗教行事がサカと呼ばれている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%83%AB_(%E9%A2%A8%E4%BF%97)
ラージプートとは何ぞやには立ち入らない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%88
ジョウハル/サカ、と、かの「有名」なサティー(注2)、との関係は微妙なようですね。
(注2)「史書なきインドと言われているように、ヒンドゥーやバラモン教徒による古代インドの記録は存在しておらず、サティーについての記録はヨーロッパ人やアラブ人の記録に見受けられる。古くは紀元前4世紀にギリシア人が西北インドで寡婦焚死の風習があった記録を残しており、中世にはインドの各地方に広まり、9世紀の『<支那>とインドの諸情報 第一の書』や、14世紀のイブン・バットゥータ『大旅行記』といったアラブ人による書物にも記載が見られるようになる。
17世紀のムガル帝国で支配者層であったムスリムは、サティーを野蛮な風習として反対していたが、被支配者層の絶対多数であるヒンドゥー教徒に配慮し、完全に禁じていたわけではなかった。その代わり、サティーを自ら望む女性は太守(ナワーブ)に許可を申し出るよう義務付け、ムスリムの女性たちを使って可能な限り説得を行い、それでもなお希望する者にのみ許可を与えた。ただ、全ての土地にムスリムの太守がいるわけではなく、説得が行われていない地域もあった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC_(%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99)
いずれにせよ、サティはもちろんのこと、ジョウハル/サカすら、世界中でほぼインド史にだけ見られる、恥ずかしく野蛮な風習である、と、言っていいでしょう。
(続く)