太田述正コラム#14468(2024.9.18)
<映画評論130:Padmaavat(その3)>(2024.12.13公開)
この映画はアラー・ウッディーンを悪役、ラタン・シング/パドマーヴァティーを被害者として描いていて、私は、インド内外のイスラム教徒が怒って当然だと思うのですが、にもかかわらず、チットールガルが位置するラジャスタン州のラージプート達や同州の旧諸王室の人々が、イスラム教徒達よりも、この映画の公開により強硬に反対した、というのですから不思議でなりません。
なんでも、ラージプート達は、そもそも、パドマーヴァティーはラタン・シングの妃2人のうちの2番目に妃になった方の人に過ぎず、
https://en.wikipedia.org/wiki/Padmaavat 前掲
ヒンドゥー教徒たるラージプート達もイスラム教徒達同様一夫多妻だったというのに、しかも、彼女が実在したかどうかすら議論になっているにもかかわらず、パドマーヴァティーを神聖視しており、(映画にそんな場面はないのに)ジャラールッディーンといちゃついただの、歴史に忠実でない(?!)だのと唱えた
https://www.telegraph.co.uk/news/2018/01/25/violent-protests-spread-across-india-controversial-padmaavat/?ICID=continue_without_subscribing_reg_first
のですからね。
もっともらしい批判は、妃であるパドマーヴァティーの衣装が高級娼婦みたいだし化粧も派手ばでしい、
https://www.bbc.com/news/world-asia-india-42048512
とか、パドマーヴァティーをへそ出しで踊らせている、
https://www.theguardian.com/world/2017/nov/16/indian-film-padmavati-sparks-protests-over-hindu-muslim-romance
くらいです。
なお、イスラム国家のマレーシアで、この映画は、イスラム教徒たる君主を否定的に描いている等として公開を禁じられました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Padmaavat 前掲
クシャーナ朝の(仏教も振興した)カニシカ王は南インドには手つかずであり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E6%9C%9D
非/前イスラムのインドでインド亜大陸の統一に成功したのは紀元前3世紀のマウリヤ朝の(文字通り仏教を振興した)アショーカ王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB
だけであったのに対し、イスラム王朝では、デリー・スルタン朝の件のアラー・ウッディーンがら14世紀初に統一に千数百年ぶりに再び成功し、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%BC
デリー・スルタン朝を倒した、(やはりイスラム王朝たる)ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブが、17世紀末にも、ほぼですが、またもや成功する、
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/ff/Mughal_Historical_Map.png
ということを想起するだけでも、アラー・ウッディーンを単なる悪役として描いたこの映画は、ラージプート等のヒンドゥー教徒達の反発こそ受けたけれど、イスラム教を排斥する偏頗なナショナリズムが幅を利かせている現在のインドの潮流に迎合したもの、と、言うべきでしょう。
なお、我々を戸惑わせるところの、この映画を含むインド映画につきものの歌と踊りについても、立ち入りたいところをぐっとこらえ、下掲を紹介するだけにとどめ、本シリーズを終えたいと思います。↓
「歌と踊りが欠かせないインド映画の挿入歌は“突然”差し込まれるのか・・・」
https://courrier.jp/columns/198612/
「「歌と踊り」に込められた意味を知ればインド映画がもっと面白くなる・・・」
https://courrier.jp/columns/198817/
(完)