太田述正コラム#14476(2024.9.22)
<映画評論132:VIKING バイキング 誇り高き戦士たち(その2)>(2024.12.17公開)
さて、この映画、背信と殺戮の連続からなる殺伐極まる代物なのですが、ロシア人にとって、そして私見では客観的にも、私が一般用語として用いているところの、弥生人、の何たるかを体得できる、という一点だけでも、一見の価値があります。
御承知のように、先祖がヴァイキング(ゲルマン人)であったところの、リューリク朝、の、そしてこの映画の主人公の、ウラジーミルは、一時スカンディナビアに亡命し、ヴァイキングを率いて帰国を果たし、その後もヴァイキングの自分の支配地への植民を奨励したり(★)、と、自身、ヴァイキングとしてのアイデンティティを有していた、と見てよい人物です。
このウラジーミルの父のスヴャトスラフ1世が、事実上滅ぼした騎馬遊牧民のハザール(注4)、や、その後戦い続けた同じく騎馬遊牧民のペチェネグ(注5)、そして、ウラジーミル自身このペチェネグとの戦いも続けるところ、このペチェネグの弥生性が、ウラジーミルを筆頭とするヴァイキング(ゲルマン人)の弥生性ともども、辟易するほどのあくどさ、残虐さでもって、これでもかと言わんばかりに描かれ続けるのですからね。
(注4)「ハザールは謎の多い遊牧民であり、起源はもとより系統もはっきりしないが、おそらくテュルク系と考えられている。
<支那>の歴史書である『旧唐書』,『新唐書』に出てくる波斯(ペルシア)国(サーサーン朝)に北隣する「突厥可薩部」がこの「ハザール」のことと考えられている。・・・
ハザールはおそらく6世紀末にカスピ海沿岸およびカフカスからアゾフ海のステップに進出したが、その時期はまだ西突厥の勢力が強大で、その宗主権のもとに置かれていた。・・・
7世紀の中ごろ、西突厥の衰退と共にハザールはその後継国家ハザール・カガン国を形成し、独立を果たす。・・・
東ローマ帝国とは共通の敵が<、>ペルシア(<ササ>ン朝)とアラブ(イスラーム)<、>と一緒であったため、利害が一致していたが、クリミア半島の領有に関しては争いが生じた<ところ、最終的に、>・・・クリミア南部は帝国領、それ以外はハザール領という<形>で、両国の友好関係が約200年にわたって続いた。・・・
9世紀初頭・・・<この>ハザールの支配者層<が>ユダヤ教を受容した<ことがよく知られている>が、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
(注5)「<9世紀、>南ルーシの草原・・カスピ海北の草原から黒海北の草原(キプチャク草原)・・ではハザール可汗国の権威が失墜したため、ペチェネグがそれに代わっていた。そのため東ローマ帝国はペチェネグと同盟を結び、またブルガリアと対抗するためその北のキエフ・ルーシとも同盟を結んだ。しかし、ペチェネグとキエフ・ルーシは敵対関係にあったため、東ローマ帝国としては両面外交となった。・・・
ペチェネグの政治体制は典型的なアルタイ系遊牧民と同様で、集会を開いて首長の選出などを決定した。遊牧国家の集会はその領内に散らばる諸部族が一か所に集結するため、招集をかけてから数週間かかる部族もいるが、ペチェネグの場合はそれが一週間で足りたという。それはペチェネグの機動力が優れていることを示している。
ペチェネグの「首都」というものはなかったが、中心地としては考古遺物が多数出土しているローシ川の付近と考えられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%82%B0
「ローシ川<は、>・・・右岸ウクライナの北部、ドニプロ高地を流れる河川である。ドニプロ川の右支流。・・・ルーシの語源の一つとの仮説がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B7%E5%B7%9D
このように、ゲルマン人と騎馬遊牧民の弥生性と弥生性がぶつかり合い続け、当然、両者間の混血も進み、その途中で、キエフ・ルーシが正教を「国家」宗教として採用したところ、そんなものは、戦いを有利に進めるための、便宜的なもの、ないしは、イチジクの葉っぱ、に過ぎなかったことが良く分かろうというものです。
この映画の鑑賞を通じ、かかる、ルーシのリューリク朝が、弥生性の極致の象徴とも言うべきモンゴルに征服されたり隷属させられたりした結果、ルーシの弥生性もまた極致へと引き上げられるとともに、(直轄ではなく)隷属した地域を中心にモンゴルによる奴隷狩りの対象とされ続けた結果、ルーシ人は、モンゴルの軛症候群患者にもなってしまい、現在に至っている(コラム#省略)ところ、そういう成り行きがしごく自然なものにも思えてくる、というものです。
そして、ルーシの後裔を自認するロシア人達の、キエフを中心とするウクライナへの執着、についても・・。
(完)