太田述正コラム#14480(2024.9.24)
<映画評論134:スターリングラード(2001年)>(2024.12.19公開)

 次のは、同じタイトルで2001年の映画です。↓

 「2001年公開のアメリカ、ドイツ、イギリス、[フランス、]アイルランド合作の戦争映画。・・・第二次世界大戦時にソビエト連邦の狙撃兵として活躍し、英雄となった実在の人物ヴァシリ・ザイツェフ<(注)>を主人公に、当時のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)における激戦(スターリングラード攻防戦)を描いたフィクション。

 (注)Vasilij Grigor’evich Zajtsev(1915~1991年)。「第二次世界大戦中活躍したソビエト連邦の狙撃兵。終戦時の階級は大尉。・・・ウラル山脈で育ち、鹿の狩猟によって射撃技術を磨いた狩猟の名手であった。・・・ロシア人。マグニトゴルスクの建築専門学校を卒業。1936年から海軍に入隊し、軍事経済学校を卒業。第二次世界大戦当初は、ロシア太平洋艦隊の会計班長だった。・・・1942年9月から第284狙撃師団に所属する第1047狙撃連隊に配属され、スターリングラード攻防戦に参加した。・・・1943年1月に目を負傷するまでスターリングラード攻防戦で活躍。257人の敵兵を殺害し、ソ連邦英雄、ヴォルゴグラード名誉市民などの称号を得た。・・・
 戦後はキエフ(現:キーウ)の工場の管理職を歴任した。1991年12月15日死去。彼は生前ヴォルゴグラードに埋葬されることを希望していたが、キエフに埋葬された。2006年1月31日、ザイツェフの遺骸はヴォルゴグラードのママエフ・クルガンに改葬された。」 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%95
https://en.wikipedia.org/wiki/Enemy_at_the_Gates ※

 ロシアでも上映され、モスクワとサンクトペテルブルクでは好評を得たが、スターリングラード攻防戦に参加したロシアの退役軍人より、本映画はスターリングラード攻防戦の評価を不当に貶めるものであり、また、ソ連軍や将兵らの描写も、過度に辛辣であり実情から離れているとして、映画上映に反対する意見書がロシア下院に提出された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89_(2001%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

 なお、『スターリングラード』という邦語タイトルは、この映画にフランスで付けられたタイトルを採用したものであり、その他の諸国では、”Enemy at the Gates”というタイトルが付けられています。
 また、この映画は、ザイツェフとドイツ軍の狙撃の達人たるケーニッヒ少佐の「一騎打ち」が筋のメインであるところ、それは、ソ連がプロパガンダ目的ででっち上げたフィクションだったようです。(※)
 いずれにせよ、この映画の脚本は、英国の著名作家のウィリアム・クレイグの”Enemy at the Gates: The Battle for Stalingrad”を主として参照して、この映画で監督もやったジャン=ジャック・アノーの他1名によって書かれた
https://en.wikipedia.org/wiki/Enemy_at_the_Gates:_The_Battle_for_Stalingrad 及び※
ところ、ロシアで「注」で紹介したような反響だったということは、独ソのどちらも適度にディスるという出来の良い脚本の賜物である、と、言っていいでしょう。
 それにしても、「純」ロシア人のザイツェフが晩年をキエフ(キーウ)で過ごしたこと、その彼が、自分が最も活躍したヴォルゴグラードに改葬されたこと、は、かつての、そして、実に、2006年時点においてすらの、ロシアとウクライナの、ロシア人から見た一体性を示すものであるところ、爾来大なる意識変化がとりわけウクライナ側で生じていることに感慨を覚えます。