太田述正コラム#14486(2024.9.27)
<映画評論137:最後の決闘裁判>(2024.12.22公開)
今度は、しばらく前に鑑賞した「『最後の決闘裁判』(・・・原題:The Last Duel)<ですが、この映画は>、2021年に公開された<英米>の合作による歴史映画<で、>リドリー・スコットが監督、ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモンが共同脚本を務め<、>主要キャストとしてマット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマー、ベン・アフレックが出演している<ところの、>1386年のフランス王国のパリにおける最後の決闘裁判の顛末をエリック・ジェイガーのノンフィクション『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』を基に描い<たもの>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%B1%BA%E9%97%98%E8%A3%81%E5%88%A4 ※
です。
実はこの映画、黒澤明監督の『羅生門』へのオマージュ作品とも言えるのであって、決闘裁判にまで至った経緯を、妻を強姦された騎士(knight)α、強姦された妻γ、強姦した準騎士(squire)β、の三者三様の観点から、三度描いているところ、最初の二者の観点からの描写を見終わった時点で、残りの鑑賞を翌日回しにしたところ、無料期間が終わって有料化されていたので鑑賞を断念したものです。
私が見損なったのは、それだけでなく、最後の決闘場面もであり、史実によれば、まさに劇的な経過を辿って騎士の逆転勝利に至った
https://en.wikipedia.org/wiki/Jacques_le_Gris
ことを知り、残念な思いです。
なお、フランスにおいて、最後の決闘裁判が行われたのが1386年であったのは確かながら、最後の公認決闘・・名誉をかけて行われるもの・・が行われたのは1547年だそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Duel:_A_True_Story_of_Crime,_Scandal,_and_Trial_by_Combat_in_Medieval_France
興味深いのは、これが、英仏百年戦争(1337~1453年)の最中に、まさに、英仏にまたがるアイデンティティーを持っていたところの、ノルマン人貴族2人、の間の抗争を取り上げた映画であって、現に映画の中でも、αの舅、すなわちγの父親は英側に加担したこともあるノルマン貴族である、或いは、αが仏側の対イギリスのスコットランド遠征軍に従軍する、といった話が出てくる(映画)ことです。
また、決闘裁判に勝利した後、αが十字軍(注)遠征に参加し戦死する(※)、というのも・・。
但し、これは、あの十字軍ではなく、ニコポリス十字軍です。↓
「14世紀には、国王や騎士によって個人的に起こされた多くの小規模な十字軍があった。最も近くには1390年のチュニジアに対して失敗に終わった十字軍があり、またバルト海沿岸にて北方十字軍が行なわれていた。・・・1394年に教皇ボニファティウス9世はオスマン帝国に対する新たな十字軍を宣言したが、当時教会大分裂によってアヴィニョンとローマに対立教皇が立って教皇権が二つに分かれており、さらに教皇が十字軍を招集する権威を持っていたのは遠い過去のことになっていた。それにもかかわらず、イングランドとフランスは百年戦争が小康状態であり、リチャード2世とシャルル6世は十字軍に資金援助を与えるために協力する意志があった。ハンガリー王、のちに神聖ローマ皇帝にもなるジギスムントとフランスの連合十字軍に関する折衝も1393年から進んでいた。・・・オスマン帝国側の圧勝で終わ<り、>この戦いによってバヤズィト1世は、カイロのマムルーク朝保護下にあったアッバース朝の子孫であるカリフから「スルタン」の称号を授けられた。・・・ヨーロッパ諸国は連携してオスマンと戦う意欲を失った。他方、オスマンはコンスタンティノポリスを含むバルカン半島の支配を固め、中欧に対する一層大きな脅威となっていった。・・・この戦い以降、まもなくイングランドとフランスは戦争を再開し<た。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ゲルマン人がいかに戦闘や戦争が大好きか、だからこそ、決闘裁判なんてものが行われていた、ということがよく分かる映画です。
また、当時が、まだ、オスマントルコなる騎馬遊牧民の弥生性がゲルマン人の弥生性を、結果的にですが、地理的意味での欧州内に封じ込めておくことができていた時代であることも・・。