太田述正コラム#3060(2009.1.27)
<東大生とオバマの読書傾向比較>(2009.3.12公開)
1 始めに
 たまりにたまった『学士会会報』を棄てようと思いながらぱらぱらとめくっていたら、2008-3 No.870 の49~52頁に永嶺重敏氏の「東大生の読書事情」という論考が載っているのを見つけ、斜め読みしてみました。
 そのさわりをご紹介するとともに、東大生の読書傾向をオバマ米大統領の読書傾向と比べてみることにしました。
2 東大生の読書傾向
 「<当時の東大>書籍部の売り上げデータ<によると、>・・・戦後・・・昭和30年代・・・の東大生の・・・読書の中核を形成していたのは、岩波新書や岩波講座を中心とする岩波文化であった。・・・岩波文化と並んで、・・・もうひとつの大きな特徴は、『世界文学全集』(河出書房)、『現代教養全集』(筑摩書房)、『世界の歴史』(中央公論社)といった全集ものがよく売れていた・・・。このような岩波文化や全集文化によって、東大生の読書生活が形成されてきたことがわかるが、さらにもうひとつ東大生に重要な影響を与えてきたのは社会主義・・・とりわけマルクス主義・・・思想であった。・・・東大生の読書の歴史をふりかえって改めて感じさせられたのは、・・・<これら>以上に、彼らの読書生活において通奏低音のように流れている<共同性>の根強い伝統である。帝大新人会の頃から戦後の学生運動に至るまで、東大生たちは研究会や合宿、読書会、消費組合、図書・雑誌の共同購入といったさまざまな形で、自分たちの読むべき本を共同で入手し、共同で読み合うことを連綿と続けてきた。また、戦後の学寮においても、先輩から後輩へ読むべき本の継承が行われていた。そこにおいて、読書はまず何よりも、学生相互の人的なつながりの中で行われる共同的な営みであった。」
 前段は、私の大学時代(昭和40年代)にもあてはまるように思います。
 後段は、当時既に過去のものになっていたのではないでしょうか。
 「<ところが、現在の東大>新入生が入学後にどのような本を読んでいるのか、4月から・・・11月までの8ヶ月間に読んだ本の平均は78冊で、最も多いのが一、「マンガ・コミック」で36冊、次いで二、「勉学に直接必要な本」19冊、三、「小説・文芸書」17冊、四、「その他」7冊、五、「教養書」12冊の順となっている。次に、「よく読む雑誌」は、一、『Tokyo Walker』、二、『少年マガジン』、三、『少年ジャンプ』、四、『non-no』、五、『Number』の順で、マンガ雑誌と情報誌が圧倒的に多い。また、好きな作家は、一、村上春樹、二、司馬遼太郎、三、夏目漱石、四、立花隆、五、遠藤周作となっていて、村上春樹の人気が際立っている。この簡単なデータからだけでも、東大生の読書生活の中心が・・・圧倒的に「マンガ」によって占められていることがわかる。このような傾向は昭和43~44年の東大紛争の頃から始まっていたようである。・・・大学解体を叫んだ学生たちは、同時に「教養」をも解体してしまった。・・・」
 道理で、マンガ好きの麻生首相が日本の首相になるわけですね。
3 オバマの読書傾向
 「・・・オバマは、読書に関しては収集癖的アプローチをとる傾向がある。すなわち、様々の筆者の考えを反芻し、その中から彼自身の世界観を肉付けしてくれたり探求すべき新たな道を示してくれる可能性の高いものを拾い上げ選択するわけだ。
 彼の前任者のジョージ・W・ブッシュはそれとは対照的に、カール・ローヴ(Karl Rove)と<読破冊数を>・・・競ったり、特定の筆者の論文を脅迫観念的に拳々服膺したものだ。
 ブッシュと彼の補佐官の多くは処方箋的な本を好んだ。例えば、世界中に民主主義を普及させるべきだと熱く語ったナタン・シャランスキー(Natan Sharansky)の’Case for Democracy’とか、政治戦略に基づき軍事戦略を推進しなければならないと論じたエリオット・A・コーエン(Eliot A. Cohen)の’Supreme Command’がそうだ。
 これに対しオバマは、簡単な解のない複雑な諸問題に取り組むイデオロギー色のない歴史家や哲学者の著書にあたる傾向がある。例えば、アンビバレント(ambivalent)な人間の本性や思い込み的(willful)な無知ないし不謬感の危険性を強調するラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の諸著書だ。
 更に付け加えれば、聖書やリンカーンの著作選集やエマーソンの’Self Reliance’とともに、小説や詩、シェークスピアの戯曲、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』やマリリン・ロビンソン(Marilynne Robinson。<1943年~>)の’Gilead’が好きである旨の言及がオバマのフェースブックの頁でなされているが、これは彼に言語に関する高い自覚を与えただけではない。これは、ブッシュによって援用されたところのマニ教的<な善悪二元論的>世界観とは全く異なるところの、歴史に関する悲劇的感覚、及び人間の条件が不分明であるとの感覚を彼に吹き込んだのだ。
 オバマは、彼が大学時代に「とてもできの悪い詩」を書いたと語ったことがあるが、彼の伝記作家・・・は、彼が一時期「副業としてフィクションを書こうという気持ちを抱いたことがあった」ことを示唆する。
 実際、<オバマ自身の手になる回顧録である>’Dreams From My Father’は、彼が、生来的に物語を紡ぎ出す才能・・後に彼が選挙戦を戦う際に大変役立った・・、及び、才能に恵まれた小説家達が持つところの共感能力(empathy)と距離感を持っていることをはっきり指し示している。
 この回顧録の中で、オバマは、彼の転転とした子供時代に住んだたくさんの場所を想起しつつ、自分自身のものとは異なった見解を絶え間なく紹介し続けている。これは、彼の党派的分離に架橋するとの約束及び選挙民達の希望と夢をとりもつ彼の能力の恐らくは前兆なのだろう。
 彼は、ある時は窓ガラスに鼻をくっつけることを止めることを学ぶよそ者となり、ある時は彼の過去についての聖歌隊的見解を我々に提供するところの冷静な全能の観察者となる。
 ボールドウィン(James Arthur Baldwin。1924~87年)がかつて喝破したように、言語とは、「政治的道具、手段、そして力の証明であり、かつ、<その人間の>正体(identity)を指し示す最も生々しい残酷な鍵なのだ。それは、<その人間の>私的な正体を暴き、その人物とより大きな公的または地域社会的な正体とを関連づけるか切り離す」のだ。・・・
 ・・・オバマが敬意を払う小説の多く、例えば、<ノーベル賞受賞黒人女性作家の>トニ・モリソンの・・・、ドレス・レッシング(Doris Lessing)の・・・、エリソン(Ralph Waldo Ellison)の・・・、は正体(identity)の問題を扱っている。
 また、オバマが大統領就任式詩人に選んだエリザベス・アレキサンダー(Elizabeth Alexander)・・・<の詩や、>オバマが最近その詩集を手にしていたところの、デレク・ウォルコット(Derek Walcott)<の詩もそうだ>。
 この自己創造なる観念は最も米国人らしいものだ。そもそもそれは米国建国の基本原則であり、『偉大なるギャッツビー(The Great Gatsby)』<(F. Scott Fitzgerald著)>といった古典的作品において取り組まれた事柄であり、それは、オバマの想像力に大きな影響力を及ぼしているように見える。
 2005年にタイム誌に掲載された論考において、オバマは、自分がリンカーンと同じく取るに足らない存在から出発したと記した上で、16代大統領<(リンカーン)>が自分に「我々のより大きな夢に合致するような存在に自分達自身を常に作り変えていくことができるとの確固たる信念なる、米国人の生活におけるところの、より大きな基本的要素」を教えてくれた、と付け加えている。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/01/19/books/19read.html?pagewanted=print
(1月20日アクセス)
4 感想
 オバマは、ハーバード・ロースクールで学術雑誌の編集長を務め、シカゴ大学で憲法学の講師をやった人物ですから、論理的文章を書く達人です。
 その彼が、同時に練達の物語読みであり物語書きでもあるというのですから、彼の文章や演説が人を動かすのは当然と言うべきか。
 この、いわば現代米国の粋のような人物と、マスとしての現代東大生の読書傾向を比較することにいかなる意味があるのかとお叱りを被りそうですが、思わず嘆息してしまうのは、私だけではありますまい。