太田述正コラム#14518(2024.10.13)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その2)>(2025.1.8公開)
この本は1979年11月に上梓されていますが、その元ネタの「国際交流基金の英文機関誌”THE JAPAN FOUNDATION NEWS LETTER”vol.VI/の。3(August-September 1978)に The Human-Relations Society and the Ideological Society と題して発表されたものの翻訳に、筆者が加筆・訂正のうえ『国際交流』第一八号に掲載されたところの、「日本人論」を論ず–人間関係の社会と思想(イデオロギー)中心の社会、が、この本の末尾に収録されている(174~)ので、その部分の紹介から始めようと思います。
2 「「日本人論」を論ず–人間関係の社会と思想(イデオロギー)中心の社会」を読む
「・・・私のアプローチは、まず日本人を中国人や韓国人を含むあらゆる他の民族から峻別している要素を、日本の歴史の中からとり出すことであった。
どうやらその要素は一つしかないように思われる。
すなわち、日本人はごく最近まで、かなり大規模な長期の対外戦争またはその脅威を経験しなかったという事実である。
しかしこの事と、日本人の心理とは、一体どのような関係をもっているのであろうか。・・・
日本の「ユニークさ」の一つはイデオロギーに対する執着の乏しさであろう。
一例をあげれば、日本の政治は折衷主義で動いている。
組織化された宗教も、ほとんど影響力をもってはいない。
なぜ、他の国民はそれほど、思想にこだわるのであろうか。
私はその理由を対外戦争に求めたい。
どんな国民でも、確固たる思想をもたぬ限り、対外戦争の際、自己のアイデンティティーを保つことも、優越性を主張することもできないのである。
特殊な集団中心の価値観と制度はこれに代わる事ができない。
なぜなら、このような価値観や制度は普遍的な正当性を主張していないし、客観的真理としての思想体系になりえないからである。」(176~177)
⇒例えば、クラークの「母国」であり、そこで大学学部教育と修士教育も受けたところの、イギリス、の歴史において、「デーン人・・・は、現在のデンマークおよびスウェーデンのスコーネ地方に居住した北方系ゲルマン人(ノルマン人)の一派であ<って、>現在のデンマーク人の祖先にあたる<が、>ゲルマン民族移動の時代に、スカンジナビア半島から到来し、ユトランド半島まで進出し<、>それまでの先住民である西方系ゲルマン人のアングル人、サクソン人、ジュート人を圧倒し[、5世紀くらいとも目される、]彼らのブリテン島移住の誘因を作った<ところ、>9世紀に入って、ヴァイキングとして西<欧>一帯に海賊活動を始めた。七王国時代の<イギリス>に侵攻し次々と国を滅ぼした<が、>七王国の一つウェセックス王のアルフレッド(アルフレッド大王)は、878年にデーン人に勝利し、ウェドモーアの和議を結び、ブリテン島東岸のデーンロウと称する地域を限定して定住地として認めた<一方で、>10世紀に<デーン人の総帥の>ハーラル1世がキリスト教に改宗し、<これが>デンマーク王国としてデーン人を包括した統一国家の始まりとな<り、>1013年、デンマーク王のスヴェン王が<イギリス>王を追い出し、自身が王とな<って、>1016年、スヴェンの子カヌート大王が<イギリス>王に即位<し、更には、>後にデンマーク王、ノルウェー王にも即位し、デーン人による北海帝国を築き上げ<るも、>カヌート大王の死後、<この>帝国は崩壊した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD ([]内)
わけですが、大ブリテン島のアングロサクソンは、9~11世紀の約300年にもわたる、デーン人相手の「大規模な長期の対外戦争またはその脅威を経験し」て、「特殊な集団中心の価値観と制度・・・に代わる」、いかなる、「客観的真理としての」「確固たる思想」/「イデオロギー」/「組織化された宗教」、を持った、というのでしょうか?
(太田)