太田述正コラム#14522(2024.10.15)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その4)>(2025.1.10公開)


[アングロサクソン文明の誕生を巡って]

一 始めに

 どうしてそんなことまで私が手掛けなければならないのかと言いたいけれど、アングロサクソン文明が長期対外戦争が原因で誕生したわけではないことを疎明するため、私が取り敢えず考えたところの、その誕生原因を、ここで記しておくことにした。
 
二 Thingから議会主権へ

 まずは、アングロサクソンの大ブリテン島の現在のイギリス部分への渡来が、弥生人・・私の言うところの弥生的縄文人・・の日本列島への渡来ほどではないが、比較的平和裏に行われたと考えられる結果、ゲルマン文化が温存されたであろうことが挙げられる。
 その一つが、Thingが維持されたことだ。
 大ブリテン島の原住民はブリトン人だったが、ブリトン人はケルト人のサブグループだ。
 で、アイルランドとスコットランドはローマの支配を受けたことがないので、そこの住民たるケルト人は、比較的に純粋なケルト文化を維持していたと考えられるところ、このケルト人が、日本の、武士、貴族、農工商、からなる江戸時代と似通った身分制度を持っていたというのは興味深いけれど、より重要なのは、彼らがタニストリー(Tanistry)(注1)という酋長選出制度を持っていたことだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Celtic_Britons ←事実関係

 (注1)「在位中の王が成年になるとタニストの選定が行われた。在位時に成年に達している場合、即位の直後にタニスト選定会議が開かれた。タニストは、その資格がある者(ロイダムナ)のうち能力が最も秀で、欠点・汚点のない者が家臣団による投票と合議によって選ばれた。さらにその会議ではタニストに次ぐ者、いわゆる第2位王位継承権者も選定された。大抵は王の第1子がタニストに選ばれたが、これは長子相続制に近いものであった。但し、原則と合議・合意に基づいて家臣が次代の王を決する点が異なっている。・・・
 ロイダムナの資格があるのは、在位中の王から8親等以内の、共通の曽祖父または高曽祖父をもつ者とされ、男系継承が一般的であった。・・・
 平均寿命が短く、王やタニストが成年に達しない中世には、しばしば分家などへのタニストの交替が行われた。例外的な「規定」ではあったが、これによって万世一系の血筋を守ることができた。・・・
 タニストになった者は、自動的に王としての正統性を持つようになり、空位の後継者争いという不安定な状態を未然に防ぐことができた。さらに会議を行うことによって、それなりの「民意」が反映され、有力者たちは王位継承に納得した。
 そのいっぽうで、王の存命中に次代が決められることにより、王の生命が脅かされる危険もあった。「現職」の王よりも次代の王のほうが望ましいと考える家臣・諸侯にとっては、現王が早死にしてくれるほうが望ましく、寿命の到来を人為的になしてしまおうとする者たちが続出した。特にスコットランド王室ではこうした事態が再三起こり、乳幼児がタニスト・王となる例が多かった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC

 このタニストリーは、代替わり的な時に行われるだけだが、ゲルマン人のシング(Thing)は定期的に開催され、酋長の選出や裁判等を行ったところ、ヴァイキングの最後の頃の時代になると、(代替わりごとの世情の不安定化を回避するためだろう(太田)が、)酋長転じて国王がシングの上に立つことになり、やがてシングは裁判機能に特化していってしまう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thing_(assembly)
 また、旧ローマ領に進入して旧ローマ市民を統治するようになったゲルマン人に関しても、酋長転じて国王の権威を確立して、ゲルマン人に比べて平等志向度が低い被治者達に超然主義的に臨む必要があったことからか(太田)、やはり、シングの有名無実化がもたらされた。

(続く)