太田述正コラム#2790(2008.9.14)
<ナチスの占領地統治(その1)>(2009.3.13公開)
1 始めに
われわれは、もっぱらユダヤ人に対するホロコーストをとりあげてナチスドイツのおぞましさを語りがちですが、ホロコーストは、ナチスの占領地統治のおぞましさの一徴表に過ぎないことを忘れがちです。
このことを、英国の歴史家(現在の米コロンビア大学教授)のマゾワー(Mark Mazower。1958年~)が上梓した’Hitler’s Empire: Nazi Rule in Occupied Europe’の書評を通じて明らかにしたいと思います。
(以下、
http://www.ft.com/cms/s/0/813de262-8060-11dd-99a9-000077b07658.html、
http://www.lep.co.uk/bookreviews/Hitler39s-Empire-Nazi-Rule-in.4234190.jp、
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article4074737.ece、
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/the_tls/article4522802.ece、
http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?storyCode=402269§ioncode=26、
http://www.guardian.co.uk/books/2008/jun/14/saturdayreviewsfeatres.guardianreview28、
http://www.literaryreview.co.uk/overy_06_08.html、
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2008/06/01/bomaz101.xml
(いずれも9月14日アクセスの書評)による。)
2 ナチスの占領地統治
(1)序論
このコラム・シリーズのタイトルは「ナチスの占領地統治」にしたのですが、マゾワーの本のタイトルは『ヒットラーの帝国–ナチの占領下欧州統治』となっています。
要するに、ナチスはドイツ帝国を築こうとしたけれど、占領した地域の戦争間の統治に終わってしまったわけです。
1871年時点の国境線を越えて大帝国を築こうとしたナチスの発想の淵源は、1848年の諸革命の際に唱えられた「大ドイツ(Greater Germany)」を希求する声・・プロイセン支配者達によって「小ドイツ」の統一へと「矮小」化された・・やスラブ民族を取り込んで拡大を続けようとしたハプスブルグ(オーストリア)帝国の野望に求めることができます。
ナチスは当初はヒットラーの構想に基づき、ポーランドとチェコスロバキアの相当部分を併合してレーベンスラウム(Lebensraum。生存空間)を確保することを目指し、やがてそれが更に拡大してグロースラウム(Grossraum。大空間)の確保を目指すこととなります。
こうしてナチスは、1942年末の時点で欧州の面積の三分の一前後、欧州の人口の半分近くの2億4,400万人を支配するに至ったものの、その領域は1944年10月には赤軍の東プロイセンへの進撃等によって元の黙阿弥に戻ってしまい、ナチスドイツの帝国は史上最短の帝国の一つに終わってしまいます。
それだけではありません。
ナチスの帝国は史上最もおぞましい帝国の一つだったのです。
そもそも、ナチスの帝国がかくも短命に終わったのは、大英帝国、ソ連、そして米国の三カ国相手の戦争をし、それに敗れるべくして敗れたことが最大の理由ですが、副次的な理由として、ナチスの帝国支配(占領地統治)が余りに拙劣であったことを挙げなければなりません。
(2)成功しなかったことが不思議なナチスの占領地統治
当時ドイツ人は8,000万人もいたのですから、その2倍程度の非ドイツ欧州人を統治することなど、さして困難なことではなかったはずです。
例えば、ウクライナの統治を、英国によるインド亜大陸のウッタル・プラデシュ(Uttar Pradesh)の統治と比べてみましょう。
まず、地理的にもベルリンとキエフ(Kiev)の方がロンドンとカンプール(Kanpur)よりもはるかに近いですし、1941年時点でウクライナの人々の多くは、スターリンの苛酷な統治に反発しており、ドイツ人を解放者として心から歓迎していました。
それがどうして大失敗に終わったのでしょうか。
(続く)
ナチスの占領地統治(その1)
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謹啓、太田様 このブログの多様性の根源として軍事、防衛はまさにMBA的素養、つまり国益として最大成果を常時実践的結果に求められる分野、命懸けの経営者的行動判断と成果を求められ、より成果をあげる判断のため多岐に渡る情報体系を深くバランス良く保有することが必須なのですね。近江商人の哲学に通づるものがありますね。感謝再拝