太田述正コラム#14526(2024.10.17)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その6)>(2025.1.12公開)
「・・・古代ギリシャ<で>は、・・・教条(ドグマ)を奉じるにしても、論理を重視するにしても、いつまでも感情や衝動(本能)で行動し、討論もなく、合理性や普遍性を求めぬ価値観に律せられている人びとは、軽蔑の対象となるのである。
⇒古代ギリシャ、とりわけ、(私の言う)古典ギリシャ、と、ローマ帝国、と、アブラハム系宗教、との三つ、の強い影響を、(アングロサクソン文明地域は含めない)地理的意味での欧州、が、中近東イスラム世界、と同じく、受けていることは事実ですが、だからと言って、クラークのように、古代ギリシャ史をプロト欧州文明/欧州文明の「中」に位置付けてはいけません。
アングロサクソン文明地域は、既に見てきたように、ゲルマン文化(とケルト文化)の影響が圧倒的であるところ、なおさらです。
その上でですが、論理/合理性/普遍性、を重視する価値観・・科学的価値観と言ってもよさそうです・・は、同一文化に属する多数の諸国・・事実上の国も含む・・が長期間にわたる(冷戦を含む)戦争状態下に置かれた時にのみ生まれるものである、というのが私の考えなのです。
そのような状態が出来したのは、全人類史において、支那における春秋戦国時代(BC770~BC221年=秦による統一)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3
古代ギリシャにおけるアルカイック期と古典期・・私の言う古典ギリシャ(BC8世紀~BC322年=マケドニアの覇権確立)・・、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%9C%9F
そして、広義の欧州において、1453年における英仏戦争の終結から始まり、そう遠くない将来において人間主義勢力が世界覇権を握ることで終わるであろうところの時代、の、3回だけである、と。(太田)
この態度は、最初の野蛮な民族的政治的教条を根本的に否定しているヒューマニズムや、インターナショナリズムのような高度に発展した思想の場合でも同様である。
われわれ欧米人はなおもその「思想」(イデオロギー)にすがりつかずにはおれないのである。
われわれは自らのアイデンティティーと存在理由(raison d’etre)のために、宇宙と、その中におかれているわれわれ人間の役割を説明しうる、客観的正統性をもつ原則の体系を信奉しなければならないと思っている。
一方、思想体系を欠く社会の方は、昔からの家族的、部族的社会の価値観をそのままもちつづけている。
もちろん、その場合でも、より拡大し複雑化した社会の要請に応じて、それらの価値観を発展させ、成文化しようとはするであろう。
しかし、そこには、その価値観の放棄を迫るような圧力はまったくなく、その必要性もほとんど認められないのである。」(177~178)
⇒クラークの言う「組織化された宗教」は「思想」(イデオロギー)の一種という理解でいいのでしょうか。
仮にそうだとすると、「組織化された宗教」たるイスラム教なる「思想」をイスラム世界の人々は抱懐しているにもかかわらず、彼らが「昔からの家族的、部族的社会の価値観をそのままもちつづけている。」(注3)ことをどう説明するのでしょうか。(太田)
(注3)「日本ではおなじみの中東紛争<は、>・・・本質的なところは、宗教よりも権力、利権、領土、資源の争いに起因します。・・・中東といっても、ひとくくりで論じるとかえって真実とは違う方向へ論議が向かっていきます。中東の中には、民族、宗派など多くの部族が枝分かれしてい<ることを忘れてはいけません>。」
http://globalfirst.jp/a10155/
(続く)